録音の声

しゃくさんしん

録音の声



 両岸にニュータウンをのぞむ、深夜のバイパス道路をゆく。大きく清潔な団地。等間隔に並ぶ、遠い光、白い光。助手席で缶コーヒーを飲んだ。静まり返る暗がりのなかに、この車が起こすわずかな走行音だけがあった。コーヒーは嫌いだが、彼がいつもコーヒーを買ってくる。好き嫌いを伝えるのは億劫。


 ベランダですぐに枯らしたまま放置した観葉植物が雨粒に濡れた。マンションから目の前、大きくも、小さくもない地上駅。二つの線路、ホーム。列をなして電車を待つ人群れの先頭で、学生服を着た少年の踵からのびる、薄い影。時々吹き込む淡い雨に、くらく染まってゆく。特急列車が虚しい通過音とともに過ぎ去った。


 ハムスターも、飼ってみてすぐに死なせた。亡骸をさわるのがきたならしく思えてゲージごとベランダに捨て置いた。ベランダは死なせてしまったものたちの留め置かれる場所になった。無音のゲージ、朽ちた植物、知らず知らず落ちた髪、虫が這うのを見て履けなくなった白いサンダル、いつか取り込み忘れてそのままのハンカチ。生かすことも葬ることもできない。彼らの死が日に風に晒されて乾いてゆくことをおもうと胸が軽くなった。


 肌をおそるおそる撫でる彼の掌が止まった。

 いつまでも冷たいままだ、はじめてはやっぱり怖いものか、と問う。こたえようがなく、沈黙した。彼の掌が離れた。触れていた熱が皮膚の表面からやさしく引いてゆく。

 あわれんだ。

 したいようにしていい、と声をかけるうちにも、肌が冷え冷えとするのが自ら感じられた。慌ただしい手つきで彼が袖を通した学生服が刹那、陽の当たりのぐあいで、青いほど鮮やかに黒々とした。美しかった。


 波の音が耳についた。遠くに倉庫の光が水面に落ち揺らいでいるばかりで、低いささやきのように絶えず鳴る海が、暗闇とまじりあい果てしなくひろがる。私は気を逸らしたくて、結局のところここで何本のコーヒーを飲んだのだろう、と考え込んだ。巨大な運送会社がならぶ港湾区域の外れ。


 夜更け、倉庫は白々と明るいのみで物音はなく、道路にも人影がない。まったくの無人の、工場排水が流れ込んで鈍く濁った海、コンクリートに囲まれた小さな砂浜の、漂流物のように場違いなバレー用ネット。十年ぶりにコーヒーを飲んだ。


 毎朝、声を録る。


 起床し、仕事へ行く前、テーブルにiPhoneを置く。日付、時間、体調を吹き込む。できるだけ、潜めた声で。

 朝食をとりながら、前の日の録音を聞く。iPhoneから流れる無機質な声の、丁寧に告げる日付が、昨日の日付であることを、確かめる。

 録音のなか、声の奥に、薄らと雨の降る音が聞こえると気づいた。

 6月22日、7時53分、軽い頭痛あり。

 いま、録音を聞くこの時にも、雨音はあった。二つの雨音が重なる。雨は時折おさまりつつ、昨日から続いていた。

 身支度をしながら、録音を何度も聞いた。

 はじめてのことだった。



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録音の声 しゃくさんしん @tanibayashi

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