「覚醒」
「くっ、くそ」
極寒により朦朧とした意識の中、木の下に隠した我が子を思い出す。亡き妻の形見で自身の生きる希望。
しかし、このまま凍死するにせよ、後々、自分は間違いなく死ぬ。
何故なら、植物の副作用で体が限界だと既に気付いているからだ。
度重なる体調不良が何よりの証拠である。しかし、せめてこの醜悪な人間どもを片付けてからである。
「立て、守れ」
自分が生きた意味を、妻が生きた証を守るために。何より我が子の未来のために。
彼の想いに体が応えるように凍り付いていたはずの血が徐々に熱く煮えたぎっていく。
ドクン。心臓が強く音を立て、鼓動を刻んだ。血の流れが一気に加速して、体が熱くなっていく。心臓が常軌を逸した速度で強く脈打ち始めた。
勢いよく瞼を開くと、すかさず自身を取り囲んでいた連中を瞬く間に切り刻んだ。
白い霧で覆われていた周囲が血で真っ赤に染まった。
「なっ、何!」
冷殺剤をもろに受けたのにも関わらず、動きにまるで変化がない。彼自身、少し肌寒い程度にしか感じなくなっていたのだ。
「馬鹿な、トカゲは急激な体温の変化に対応できないはず」
「まさか、克服したのか!」
隊員達が化け物を見るような目を彼に向けていた。爬虫類や両生類は変温動物のため、気温の変化に弱い。
しかし、彼は弱点である冬の寒さのような冷気を克服したのだ。生物の歴史を覆しかねない出来事である。
「ばっ、化け物!」
隊員が手足を震わせながら、冷殺剤を散布する。吹雪に迫る白い霧を断ち切り、隊員の喉に鋭利な歯を突き立てた。
喉の引きちぎって肉を食らった。隊員は喉を抑えて、息ができないせいか地面に倒れて、のたうち回っている。
「ヒャッハー!」
トカゲは体に鞭を打って、敵陣に突っ込んでいく。恐れなどない。彼の脳裏にあるのは怨敵の殲滅。ただそれだけだ。
「急激な変化をしたんだ。奴自身も体力を消耗したはずだ! 追い込め!」
隊員達は武器を銃に切り替えて、彼に向かって狙撃を始めた。
しかし、トカゲは銃弾の雨を次々とかわしていく。そして、一人の隊員に狙いを定めて飛びかかった。
トカゲの奇襲に目を見開いた隊員が銃を横にして盾の代わりにした。
強靭な顎の力でいとも容易く噛み潰したが、歯が歯肉ごと数本折れてしまった。
「ぐっ!」
僅かに痛みを感じたが、サメの歯のように新しい歯が一瞬で生えてきた。
そして、顎を外して、口を数十倍の大きさに巨大化させた。隊員が目に涙を浮かべていたが、容赦無く頭部から鎖骨に当たるまでの部分を食いちぎった。
「お前!」
別の隊員が声を荒げてトカゲに銃口を向けた。
すかさず彼は隊員の顔に吐瀉物を吐き出した。
鼻をつくような匂いと胸に渦巻いていた不快感から解放された気分が異物に絡み合う。
隊員の目に汚物が入り、断末魔と思うくらいの奇声を上げた。
「うるさい」
彼は苛立ちながら、悶絶するような悪臭の放つ隊員の頭を跳ね飛ばした。
縦横無尽に辺りを蹂躙するトカゲだが、内心あまり余裕がなかった。何ならいつまた、あの副作用が発症するかも分からない状況だ。出来れば戦いは早めに終わらせたいのだ。
すると突然、トカゲの背中に激しい痛みが走った。副作用ではない。撃たれたのだ。
「ぐっ!」
弾丸が飛んできた方を見ると一人の若い男性隊員だった。恐怖しているのか。足が小刻みに震えていた。
視界に自身の鮮血が映り、脱力感が体を襲う。しかし、トカゲの傷がまるで時を巻き戻すかのように癒えていき、出血も止まったのだ。
トカゲはすぐさま、隊員の下に向かって走っていく。再生すらしたもののかなり痛かった。鱗が砕けて抉れたのだ。
「うあああああ!」
隊員が銃を反射しながら、トカゲの行く手を遮ろうとするが、弾丸の速度に対応できる彼にとっては悪あがきに過ぎない。
目の前まで来た時、数多の命を刈り取って来た凶悪な爪を隊員に振り下ろした。
「くそっ」
隊員は静かに呟くと、諦念したように目を閉じた。トカゲが首を落とすと大量の血を噴き出しながら、膝から崩れて動かなくなった。
周辺に鮮血が飛び散り、真っ赤に染め上げていく。遺体を通り過ぎようとした時、懐から血のついた一枚の写真が出てきた。
そこに映っていたのはにこやか表情を浮かべる隊員と太陽のように明るい笑みを浮かべた少女であった。
おそらくこの隊員の娘であろう。残された娘は気の毒だが自分達は命を脅かされたのだから後悔はない。
「くそやろー!」
仲間が殺されて激怒したのか。他の隊員達が次々と大声を張り上げながら、向かってきた。しかし彼にとっては赤子同然。屈強な隊員達を次々と死体に変えていく。
辺りには惨殺された遺体が散乱しており、内臓や脳、血液、目玉や四肢など飛び散っていた。
目や口に敵の血肉が入ろうとも、殺戮の手を緩めない。一児の父親としてはとてもじゃないが誇れたものではない行いだ。
戦いの最中、トカゲは目を向けると、先ほどまでガラス窓からこちらを見ていたはずのラルクスの姿が見当たらない。
すると、研究所の屋上から風を切るような聞きなれない音が聞こえた。
目を向けるとヘリコプターが飛び立とうとしていた。目を凝らすとラルクスが機内に乗ろうしていた。
風を切りながら、回転するプロペラが徐々に機体を陸地から離していく。
「逃がすかよ!」
トカゲは研究所の壁を目にも留まらぬ速さでよじ登っていく。絶対に逃さない。
鋼のような強い意志と亡き妻、我が子への想いが原動力となり手足を動かす。
「追いつけー!」
目を血走らせながら彼はヘリコプターにしがみついた。飛びついた衝撃で期待が大きく揺れた。
ふと機内に目を向けるとラルクスと目があった。その手には銀色のアタッシュケースを大事そうに持っている。
「揺れろー!」
トカゲはその小柄な体からは想像もつかないような強力な腕力で体を揺らして、ヘリコプターの飛行状態を不安定にさせていく。
機内からは愚かな人間達の慌てふためく声が聞こえる。自分達の行い責任を取らない哀れな連中を彼は許したりはしない。
「堕ちろ」
バランスが取れなくなったヘリコプターがゆっくりと降下していく。
地面まで八メートル近くの地点で彼は近くの木に飛び打つった。
「うあああああ!」
ラルクスの叫び声をとともにヘリコプターが研究所の屋根を突き破り、爆炎をあげながら大破した。
巨大な研究所が凄まじい爆炎と煙に包まれた。
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