捜索

 時刻は午後五時を周り、あたりはすっかり薄暗くなってきた。

 標高が上がると気温が下がり、顔に当たる風が冷たい。

 二人は相変わらず元気はないが確実に頂上へと近づいていた。

 最後の休憩所で念のためにと渡された懐中電灯は使わずにすみそうだ。

「二人とも大丈夫かー」

「・・・」

「・・・」

 誰も俺の呼びかけに反応しない。

「返事はしてくれ、怖いから」

「まだ大丈夫よ」

「ぼくも」

 さっきの無視はなんだったのか。疲れた様子だが、声には元気がまだ残っている気がする。

 ここまで、繰り返し二人に声をかけながら登ってきた。

 最初の休憩所に着く前に音を上げていた二人だったが、なんとかここまで登ってこられた。

 まあ、二人の荷物を俺が持って登る羽目になったのだが。

「もう少しだから頑張るぞ」

「わかった」

「はーい」

 気力だけはまだ残っているらしい。

 登り始めてからずっともう少しで着くと言っているが、これが一番心の支えになると思う。

 その後も順調に登り続けた。俺はひたすら二人に話しかけ、できるだけ気を紛らわせながら進んでいく。

 このままいけば問題なく着いて六時を少しすぎたぐらいで着くはずだ。そのぐらいなら誤差のはず。

 そう思ったのがいけなかったのか、順調にいくはずだった予定が崩れていく。

「あのぉ・・・雨戸くん?」

「どうした?」

 後ろを歩く雪瀬から声をかけられ振り向くと、俺の方を横目で見ながらもじもじしている。

「あのね・・・ちょっと言いにくいんだけど・・・・・・」

「?」

「そろそろお手洗いが・・・・・・限界です」

 少し申し訳なさそうにしながら、地面を見つめる。

「まじか、上まで後二十分ぐらいなんだけど」

「できればもう少し早い方が」

「ペースあげれば十分ぐらいかな」

「それでお願いします」

 頂上までの距離が短くて助かった。

 少し急げばそこまで長い時間は歩かないはずだ。

「楓も大丈夫そうか」

「頑張るよ」

 楓も辛そうだが、流石に嫌とは言えないだろう。

「ごめんなさい」

「気にしないで、後少しだし頑張ろう」

 このぐらいのトラブルなら問題ないと思いながら、足早に再び登り始めた。

 やはり、そう思ったのがいけないらしい。

 もう一人に限界が来た。

 ペースを上げて登り始めてから三分も経っていないが楓が立ち止まってしまった。

「日真、もうダメ」

「後少しなんだけど」

「本当の限界が来たみたい」

 まさかレクリエーションで登る山登りで限界がくるとは。

 もっと体力をつけろといじってやりたいところだが、残念ながらそんな状況じゃない。

 楓をおぶって登るには荷物が邪魔で難しい、もう少しがんばれと無理に歩かせるのが一番いいのだが、ここでわざわざ言ってくるということは本当に動けないのだろう。

「ぼくを置いて先に登って」

「井晴くんはどうするつもり?」

「日真が迎えにくるの待ってるよ」

 笑顔でそう言うと、近くの木の幹に座り込んでしまった。

 楓なりに雪瀬に気を使わせないようにしているのだろうが、楓が一番危険な状態だ。

「楓、すぐに戻ってくるからちょっとだけ待っててくれるか?」

「なるべく早くね」

  持っていた楓の荷物を脇に置いて、俺と雪瀬はすぐに登り始めた。

 できるだけ早く楓を迎えにいくためにもかなりのペースで登る。

 雪瀬もついてくるのはキツかったかもしれないが、文句を言わずに頂上まで登tることができた。。

 楓のおかげで、最悪の事態を防ぐことができた。

「お前らー遅かったなービリだぞー」

 やっと頂上まで登ってきた俺の姿を見てくもちゃんが寄ってきた。

 俺たちをいじりに来たように見えるが、一応担任だし心配していたのだろうか。

「あれ? もう二人は?」

 くもちゃんの目の前にいるのが俺一人だったため、二人の安否が気になるのだろう。

 俺は今の状況を説明した。

 雪瀬は登ってすぐにお手洗いへと直行したこと、体力の限界で動けなくなった楓を置いてきたこと。

「そうかお前も大変だったな、井晴のことは任せてもいいんだな」

「はい」

「あったかいカレー作って待ってるから、最後までがんばれって伝えといてくれ」

「わかりました、行ってきます」

「いってらっしゃい」

 自分の荷物を置いて、懐中電灯だけを持った。

 くもちゃんに見送られながら暗くなっていく道を戻っていく。

 俺は全力で降りていった。

 薄暗くなってきていて、足元も悪かったが急がずにはいられなかった。

 途中何度もつまずき転びそうになったが、構わずに楓の元へと急いだ。

 来た道を戻り始めて十分も経っていないはずだ、かなり急いで来たこともあって体感だがすぐについた。

 楓が座っていた木を見つけると、急いで近寄っていった。

 こちらからは楓の姿が見えず反対側を覗き込むようにして声をかけた。

「待ったか?」

 そこに楓の姿はなかった。



「雨戸!? どうした?」

 息を切らし激しい動悸に襲われ息を整えようとするが、うまく息が吸えない。

 落ち着いて話そうとはするが、緊張や焦りからなのか上手く言葉が出てこない。話そうとすると言葉が形あるものとして喉の所で突っ掛かる。

 そんな俺を見て事態を察したのか、くもちゃんはいつもは見せない真剣な表情で俺の両肩を支えた。

「まずは落ち着け、そしたらゆっくり話すんだ」

 そう言われなかったら俺はずっと呼吸が整わずにいただろう。

 現実に思考が追いつかずパニック状態になっていたのかもしれない。

 ゆっくりとだが、肺に酸素を取り込みまとまらない思考から必要な言葉だけを抜き取っていく。

「くもちゃん、楓が。楓はここには?」

 楓が座っていたはずのあの場所に楓はいなかった。

 しばらく辺りを探し回り、声をかけ続けたがどこからも返事は返ってこない。

 もしかしたら楓に何かトラブルがあったのかもしれない、

 俺の頭の中にはいくつもの最悪の状況が浮かんできた。

 嫌な考えばかりが頭によぎり、全てを否定しようとするがどれも可能性はゼロではない。

 楓の待つはずの木のある場所までは頂上からは一本道。楓が自力で歩いていたとしてもどこかで必ずすれ違うはず。

 しかし、俺は今来たときには誰ともすれ違わなかった。

 でも・・・

 俺は楓が無事であって欲しいと思う気持ちから、もう一度頂上へ戻りすれ違った可能性にかけたのだが・・・

「井晴はまだここには来てないはずだ。 井晴とは会えなかったのか?」

 まっすぐと俺の目を見るくもちゃんの質問にゆっくりとだが答えていく。

「楓を休ませていた木まで行ったんですけど、何処にも楓の姿はなくて」

 さっきの状況を改めて言葉として話すことで、俺の心は見えない重圧で押しつぶされそうになっていく。

「わかったお前はひとまず座ってろ。 ガイドさんたちと他の先生を呼んでくる。」

 俺を近くのベンチに座らせるとすぐに走り出した。

 異変に気付いた生徒の何人かがざわつき始めてるのが聞こえる。

 それを聞いてか、雪瀬も俺に気付き駆け寄ってきた。

「雨戸くん! 井晴くんは?」

「いなかった」

「いない?」

「あの木まで行ったのに近くには楓の姿は・・・」

「そう、大丈夫よきっと無事だから」

 雪瀬も不安と驚きでいっぱいだろうが、俺をさらに不安にさせないためか落ち着いて声をかけてくれる。

 鏡で見たらきっとひどい顔をしているのだろう。

 不安。恐怖。罪悪感。様々な負の感情が体の中で混ざって言葉にできないものとなって溢れ出ている。

「雨戸! 井晴と別れた場所まで案内できるか?」

 二人のガイドさんを連れてくもちゃんが戻ってきた。

「はい! いけます」

「雨戸くん」

 心配そうな表情で雪瀬は俺を見つめる。

 だが、この事態は俺のせいであって俺がいかなければいけない。

「必ず楓を連れてくるから」

 俺はベンチから立ち上がると、自分の荷物から懐中電灯を取ろうとしてないことに気がつく。

 楓に渡したことをすっかり忘れていた。

 その様子を見ていた雪瀬が俺に懐中電灯を渡してくれた。

「これ持っていって」

「助かる」

 最低限の装備だけを身につけると、ガイドさんを先頭に再び山を降り始めてた。二人のガイドさんとくもちゃんと俺の四人で捜索を始める。


「ここで別れたんだな」

「はい、この木の根元で楓を座らせました」

 楓と別れた木のある場所までやってきた。

 木を見つけくもちゃんたちに教える。やはり楓の姿はないのだが。

 ひとまず手分けして周りを探しましょうとガイドさんの指示で、俺たちは周りを探し始めた。

 暗い山の中、懐中電灯がなければ数メートル先も見えない。

 俺は必死に楓の名前を呼びながら探すのだが、返事は返ってこない。

 自分の声だけが山の中を反響していく。

 俺たちはしばらく捜索を続けた。

 探し始めて十分程経っただろうか、ガイドさんの一人が俺たちを呼んだ。

「これは! 楓のです、朝からかぶっていたものです」

 ガイドさんが指をさす地面には朝から楓がかぶっていた帽子が落ちていた。

 つばのついた大きな帽子は楓が朝からかぶっていたもので、今日の山登りの最中も何度も見ていたから見間違えるはずがない。

 それを見た別のガイドさんが、もしかしたらこの下にと真っ暗で何も見えない山の斜面の方を指差した。

「そんな・・・」

 手前にある数本の木しか視認できず、懐中電灯で照らしても下までは見えない。

 私たちにはこれ以上は無理です、救助隊を呼んで明日捜索を頼みましょう。

 そんな会話が聞こえてくる。

「明日なんて・・・楓は今もどこかで・・・・・・」

 俺のせいで楓は。

 あの時楓を置いて先に登るなんて事をしなければ。

 いくつものたらればの可能性が頭に浮かぶ。どんなに考えた所でこの現実は変わらないのに。

「雨戸、お前のせいじゃない。私がもっとしっかりしていなければいけなかった。自分だけを責めないでくれ」

「でも・・・」

「わかってる、きっと井晴は無事だから」

 強く優しく俺の肩を掴んでいる。

 崩れ落ちないように支えてくれている。

 俺だって楓が無事だと信じてる。

 だけど、それは俺が望む希望でしかなくて、楓にもしものことがあったら俺は。

「俺がおります」

 おそらく周りの三人は、一瞬俺が何をいっているか理解できなかったはずだ。

 俺が真剣な顔で崖の下を見つめていなければわからなかっただろう。

「だめだ! それはだめだ!!」

 くもちゃんが俺の肩を掴んでいた両手にぐっと力が入る。

 二人のガイドさんも慌てた様子で、俺と崖の間に立った。

「楓に何かあったら俺は生きていけません」

「お前に何かあったら、楓が助かった時に辛い思いをするのは楓なんだ。だから今は我慢してくれ」

 今すぐに崖の下に飛び降りて楓を探したいのはくもちゃんだって同じはずだ。

 俺がいなかったらくもちゃんが降りていってた。

 くもちゃんは優しいから。

「それでも、楓は俺の家族ですから」

 肩を掴んでいた手を振り払うと、二人のガイドさんを避け暗い斜面へと飛び込んだ。

「待て!」

 俺を止めるために、後を追って飛び込もうとしたくもちゃんを止めるガイドさんの声が聞こえてくる。

 斜面に生える木から木に飛び移るようにして斜面を滑り落ちていく。

 後ろからはくもちゃんの叫ぶ声がずっと聞こえていたが、それもだんだんと小さくなっていく。



 気がつくと、暗い山の中で平坦な場所にいた。

 ふと見上げると降りてきた高い斜面があった。

 どこにも怪我がないか確かめるように体を動かしたが、どうやら怪我はしておらず無事に降りれたようだ。

 普段感じることがない危険の中で気分が高まっていたせいか、降りていた時の記憶は曖昧になっている。体を動かすのに必死だったせいもあるだろう。

 辺りを見回しても真っ暗でよく見えない。月の明かりで微かに地形がわかる程度だ。

 俺は持っていた懐中電灯をつけると楓を探し始めた。

 こんなに長い斜面を転がり落ちたなどとは考えたくもないが、今は楓を見つけることが優先だ。

 暗く不気味な山の中を懐中電灯で照らしていく。広く見渡すように何度も左右に体を振りながら。

 しばらく見渡すと、山の中には場違いな自然のものではないものが落ちていた。

「これは」

 すぐに駆け寄ると、落ちていたのは楓の靴だった。左足の山登り用の靴が転がっていた。

 これがこの場所に落ちているということは、楓はこの斜面を転がり落ちている。

 落ちていた靴を拾い上げると、再び辺りを懐中電灯で照らす。

 不幸中の幸とでも言うのだろうか?

 落ちていた靴の目の前を照らすと、そこには仰向けで倒れている楓の姿があった。

 


 


 

 

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