空の向こうは見えずとも……

幼いころ、主人公は父親に連れられて海に行った。空は快晴の日だ。

父親は息子に海を見せたかったが、息子は空を見たがった。いや、空の向こう側を見ようとしていた。
どれだけ登っても、空の向こうは見ることが出来なかったが、いつか見られる空の向こうを想って主人公は遠くを見つめた。


場面は変わり、息子は高校生へと成長する。
恋焦がれた異性への告白を控える主人公だが、空は雲に覆われていた。ちょうど主人公の告白への気持ちが表れているように。

主人公も無意識のうちに予想していたのだろうか。告白の結果は…。
それに伴うように雨も降ってくる。

主人公は思う。また、海が見たいな、と。これは勝負に負けた主人公の強がりであったかもしれない。しかし、再び幼き頃の記憶が蘇ったことは間違いない。

一人で行く勇気が出ない主人公は、気が置けない親友を連れて海へ出向く。
長い自転車の旅の中で、空は次第に曇りから晴れに向けて変化していく。

そして、最後の場面。遠い空に晴れ間が見え、物語は結末を迎える。

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主人公にとって海は空までの架け橋なのかもしれない、とふと思った。
海があることで、主人公は空に気づける。空の向こう側は見えなくても、自分にはこんなに素晴らしい友達がいる。それに気づけたのもまた主人公の成長を示しているのではなかろうか。


主人公の感情を空が鮮明に表している。
屋上扉もまたそうだろう。「悲鳴をあげる」という表現によって、よりリアリティー生み出している。





そうであっても、空の向こう側に何かがあればよいのにな…