ITミステリ
グレブナー基底大好きbot
第1話
私立探偵・篠崎は二日酔いの頭を軽く押さえながら、ノートパソコンを起動させた。パソコンは壊れたステレオのような音を出しながら、薄暗い事務所に微かな明かりを届けてくれる。篠崎はデスクトップ画面のマウスを動かし、依頼人から受け取った動画のファイルを開く。机の上に置いてある、いつ開けたかも分からない柿の種をつまみながら、その動画を見ていると、突如、ウヴォンという音を鳴らしてパソコンはシャットダウンした。
篠崎は起動ボタンを押したり、画面を叩いたりするも、パソコンは二度と起き上がることはなかった。篠崎は「チッ」と軽く舌打ちをしてから、机の上に両足を乗せた。そして、少ししてから机の上の書類をすべて床に落とした。積もっていた埃が空気中に舞い上がる。そんなものはお構いなしに、篠崎は備え付けの引き出しの一番下を開けた。分厚い電話帳を取り出し、机の上に置くと「沢村電気店」の電話番号を引いた。スマホにその番号を打ち込み、電話を掛けると数十秒経ってから、若い男が電話口に出てきた。
「はい、沢村電気です」
さっきまで寝ていたかのようなぼんやりとした声だった。
「俺だ。ちょっと今から来てくれないか?」
「……えーと、どちらさまで?」
「とぼけるな。篠崎だ」
「なんだよせっかくの日曜に」
「パソコンの調子が悪いんだ。そういうのはお前の専門分野だろ?」
「いやだね。僕はお前と違って便利屋じゃない」
「それ相応の報酬は払う」
嘘だった。篠崎にはパソコンの修理代を払えるほどのお金の余裕はなかった。
「本当だな?」
「ああ、神に誓うよ」
「……仕方ない。夕方4時ごろでいいか?」
篠崎は了承し、電話を切った。壁掛けの時計を見ると、午後2時を指している。篠崎は二日酔いの頭を癒すために、粗大ゴミの日に拾ってきたソファで一眠りすることにした。
4時半ごろ沢村が事務所にやってきた。床に散乱した書類の山を避けて、沢村はクッションの破けたオフィスチェアに座った。
「それで、パソコンを見せてみろよ」
篠崎はソファで横になりながら、机の上のノートパソコンを指さした。沢村はパソコンを起動させて、中の様子を調べる。カチャカチャというキーボードの音だけが事務所の中で響く。
「分かった。熱暴走だな」
「熱暴走?」
篠崎はソファから半身を起き上がらせた。
「ああ、大方、冷却ファンでも壊れてるんだろう。パソコンを使ってると熱が溜まって、それで処理が遅くなったり、急に落ちたりするんだ」
「風邪を引いちまったってことか」
「重度のな。これはもう修理するより、新しい機種を買った方がいいだろ。うちに安いのがあるぞ?」
「新しいのか……」
もちろん篠崎にはそんな余裕はない。
「ま、お前にはそんな余裕はないんだろうけど」
沢村にはお見通しだった。続けて彼は言う。
「そこでだ、こういうのはどうだ?」
沢村はオフィスチェアを回転させ、篠崎の方を向いた。
「今、ちょっとした謎というか、事件を抱えててな。もし探偵のお前が解決できたら、パソコン代はまけてやってもいい」
「……本当か!?」
篠崎はソファから完全に立ち上がる。急に活気がついたようだ。
「2秒で解決してやるから、早く言ってみろ!誰が殺されたんだ!?」
「落ち着け。殺人事件とは言っていない」
「じゃあ、銀行強盗とかか?それとも密室トリック……?」
「どちらでもない」
「んー、じゃあ、誰かが行方不明になったとか……?」
「ネットが繋がらなくなったんだ」
「……は?それだけ?」
篠崎は落胆して再びソファに寝転がる。
「帰ってくれ。パソコンももういいや」
「ちょっと、もう少し聞いてくれ」
「ネットが繋がらなくなったことに何の謎もないだろ」
「それがあるんだな」
「ないね」
「……まあ、どっちみち、お前には解けない謎だろうけど……」
篠崎は横になりながら体を半回転させた。
「……言ってみろよ……」
沢村は事件の全容を話始める。それは、次のようなことだった。
沢村は実家の電気店を手伝いながら、IT業務の客先常駐もしている。つまり、顧客の会社に出向いて働いているということだ。そして、沢村が今常駐している会社であるトラブルがあった。それは先週のことである。
「沢村くん、またネットが繋がらないんだけど」
常駐先の部長が、少し怪訝そうな顔をして、沢村に注文する。
「すみません、すぐに修復します」
「いや、今は繋がるんだが」
「と、言いますと?」
「毎朝、20分だけ切れちゃうんだ」
「20分だけですか……」
「で、どうしてなの?」
「えっと……それは……ちょっと調べてみますね」
「なるべく早く頼むよ」
沢村はすぐにWiFi機器を調査した。しかし、異常らしきものは見つからなかった。そこで部長以外の人に聞いてみると、WiFiは問題なく繋がっているようだった。
「ああ、私は有線だよ、有線」
部長は沢村にそう答える。
「そうですか……(有線だけ……?それも朝だけ?おかしいな……)」
沢村は繋がらなくなる時の状況を詳しく聞いてみることにした。それは朝に中国人のリュウさんが来るとネットが繋がらなくなるということだった。沢村は、そんなことはおかしいと思いながらも、リュウさんに話を聞いてみることにした。
「確かに私は席につくと使えなくなりますね」
リュウさんは素直にそう答える。
「そうですか……」
「あの……私が何か悪いんでしょうか……?」
「いや!そういうことじゃありません。とりあえず、朝、出勤してから席に着くまでを再現してもらってもいいですか?」
「はい、分かりました」
リュウさんは、まずオフィスに入った。そして、カバンを自分の机に置いて、給湯室へと向かった。給湯室でお茶を作ったリュウさんは、お茶の入った水筒を持って、席へと戻る。そして、水筒を机に置いて座り、メールをチェックする。至って普通の流れだ。コードを踏んでいるわけでも、電源を抜いているわけでもないし、有線がつながらなくなる理由はまったくない。
「そういえば、問題なく繋がる時もあります」
リュウさんはそう沢村に話す。
「え?どういう時ですか?」
「一番最近でいうと、先週の水曜日ですね。あ、沢村さんがお土産の紅茶を淹れてくれた日です」
「ああ、あの日か」
「その節はありがとうございました」
「ああ、どうも。……待てよ、もしかしてその日はリュウさんは、お茶を入れなかったんですか?」
「え?はい」
「もしかして、お茶を入れた日だけ、有線に繋がらないんじゃないですか?」
「……あ、確かに、そうかもしれません」
お茶じゃなく、紅茶だと有線は繋がる。この謎の現象に沢村は頭を抱えていた。
「その……もしかして、自分だけをお茶を飲んでいるのが、まずかったんでしょうか……」
リュウさんは心配そうな顔をして沢村を見つめる。
「いえ!そんなことありません!絶対に何か他の原因があるはずです!」
沢村は心優しいリュウさんに、解決までもう少し待っててくださいとお願いする。
***
「ということなんだ」
篠崎探偵事務所に話は戻る。
「このまま有線に繋がらないのも困るし、リュウさんのためにも、この謎は解決したいんだ」
「なるほどな……」
篠崎は口にペンを咥えながら、ソファで寝転んで天井を眺めていた。
「で、篠崎、お前は何か分かるか?」
「いいや、全然わからん」
「……そうか……」
「今のままではな。いくつか質問させてくれ」
篠崎は起き上がると、事務所の奥からホワイトボードを取り出した。
「とりあえず、事務所の机の位置関係をここに書いてくれ」
「分かった」
沢村は言われた通りにマーカーペンで書き込む。
「ここがリュウさんの机だ。ちょうどオフィスの真ん中の辺りにある。有線ランのケーブルは、並んでいる机の裏を通っていて、歩いている時に踏んだりすることはない」
「リュウさん以外の人がリュウさんの机を使ってもそうなるのか?」
「いや、他の人が使っても問題なかった。逆にリュウさんが他の人の机を使っても何も起こらなかった。リュウさんが自分の机で、自分のためにお茶を入れた時だけ、有線ネットが繋がらなくなる」
「お茶か……水が機器にかかったとか?」
「それもなかった。電気ポッドの影響も調べたがまったく問題なし。まったく摩訶不思議だよ」
沢村はお手上げだと、両手を広げるジェスチャーをする。篠崎はホワイトボードをじっと見て、何か考えていた。
「有線だけ……お茶……リュウさんだけ……」
ちょうどその時、自分の壊れたパソコンが目に入る。そして、何かを思いついたように、沢村に尋ねた。
「ちょっと、有線の配線状況を詳しくここに書いてくれないか?」
「え?いいけど」
沢村は赤いペンで、有線ケーブルを書き込む。オフィスの中央部分に四角箱を書いた。そこからは何本の線が出ていた。
「待って、これは……?」
「あ、これか有線のハブだよ。ここで、有線ネットを中継するんだ」
篠崎はにやりとして、続けて沢村に質問した。
「リュウさんは中国出身だったんだよな?」
「ああ、そうだけど」
「もしかしてリュウさんの水筒は中国から持ってきたんじゃないのか?」
「さあ?たぶんそうなんじゃないかな」
「そして、その水筒の容器は透明だった?」
「え?何で分かったんだ?」
沢村は目を丸くして、篠崎を見る。
「決まりだな。謎は解けた」
篠崎は、口に咥えていたペンを取って、沢村に言った。
「リュウさんに、水筒の位置を10cm手前にずらすように伝えてくれ。それで事件は解決する」
***
一週間後。沢村は再び篠崎探偵事務所にやってきた。手には何やら大きな箱が下がっていた。
「入るぞ」
沢村がそう言って事務所に入ると、篠崎はソファで寝転んでいた。机の上にキッチンコンロをおいて、その上でお湯を沸かしているようだった。
「お、よく来たな。お疲れさん」
「いい加減、エレベータのある事務所に引っ越してくれないか?階段上るのがどれほど辛かったか……」
「ま、そのうちな」
「ほれ、報酬だ」
沢村は新品のパソコンを篠崎に渡す。
「へっ、悪いな。こんなのもらっちゃって」
「約束だからな」
「それで、あれからどうだった?」
「ああ、お前の言う通り、有線ランが繋がらなくなることはなくなったよ」
「やはり熱暴走が原因だったか」
実は有線ネットが繋がらなくなる原因、それは「リュウさんの水筒」だった。沢村は事件の真相を思い出すように話す。
「ああ、リュウさんは毎朝出勤すると、給湯室に行って、自分の水筒にお茶を入れる。そして、それを自分の机に置く。その位置が問題だったんだ」
「そこはちょうど、有線ハブの上だった」
「ああ、机の裏にはたくさんの有線ケーブルが這っている。そして、オフィスの真ん中の机の裏にはそれを中継するハブが、磁石で取り付けてあった。ちょうどそれがリュウさんの机だったんだ」
沢村はポケットからタバコを取り出すと、ライターで火をつけた。
「熱湯の入ったプラスチックの水筒から、有線ハブへ熱が伝わる。高熱になった有線ハブは熱暴走を起こす。だから、毎朝の20分だけ有線ネットがつながらなくなったんだ」
「俺のパソコンと同じわけだな」
「そもそもリュウさんがその位置に置いたのも、そこが有線ハブの熱で温かったからだ。水筒が冷めないようにそこにおいた。しかし、それが逆に熱を伝えてしまった」
沢村はタバコの煙をゆっくりと吐いた。
「そこでお前の言う通りに水筒を置く位置を変えたら、問題はなくなった。部長も大喜びだ。リュウさんは謝ってたけど、もちろん故意じゃないし、全然気にすることはないと言った」
「それはよかったな」
篠崎は早速もらったパソコンの箱を開けている。
「じゃあ、僕はこれで帰るぞ」
「お、またな」
沢村はドアを開け帰ろうとした時、ふと足を止めた。
「そういえば、どうしてリュウさんの水筒が透明だって分かったんだ?」
「え?ああ、多くの中国人は水は沸かしてからしか飲まなくて、透明なプラの水筒を使う人が多いんだ。プラスティックの容器は熱を伝えやすいから、それでピンと来たわけだ」
「なるほどな。……その推理力をもっと他のことに活かしたらどうだ?」
「余計な一言だ。早く帰れ」
「はいはい」
篠崎は手を振るジェスチャーをして、沢村を追い払う。沢村はやれやれと言って、去り際に篠崎の方を向いた。
「もう一つ余計な一言だが、さっきから机の上のやかんが熱暴走を起こしてるぞ」
キッチンコンロの火が周りの書類に燃え移っていた。
「お、おい!そういうのは早く言えよ!」
篠崎は慌てて火を消す。あちちと急いで手を水に濡らす。
「まったく気のきかないやつだ。二度と関わるものか」
篠崎は心に固く誓う。しかし、これから沢村経由で数々のミステリが舞い込み、篠崎はIT探偵と呼ばれてしまうのだが、それはまた別の話である。【終】
※脚注※
この話は @rei_software さんのTweetを元にして作成しました。
ただし、この話の登場人物などはフィクションであり、実在の人物や団体などとは関係ありません。
@rei_software さんにはこの小説の認知をいただいており、小説化にあたってはまったく問題がないことを確認済みです。
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