第2話

2、最後の土曜日


火曜日、水曜日、木曜日、金曜日と、毎朝涼香は幸と並んでおしゃべりしながら登校した。

それは10数分というわずかな時間だったが、一日のスタートが憂鬱から楽しみへと大きな変化を遂げることで、その日全体が明るく輝くようだった。

母親も涼香の変化を感じ取って、いい友達でもできたのかと内心喜ばしく思った。


小学2年生の少女にとって、楽しくおしゃべりすることが友人と共有する時間を充実させるすべてであって、相手の立ち入った情報は知る必要がなかった。

実際、涼香は幸の住居やクラスを知らなかった。同じ社宅の団地内であることは確かだが、その3棟のうち、涼香の住む1号棟以外だろうと見当を付けていた。

会話の主導権は幸が握っていたので、涼香は幸が作る会話のリズムに身を任せて、つい質問するのを忘れてしまうのだった。

「今度ちゃんと訊いてみよう」

と涼香は決意した。

幸は集合場所にいつも出発間際に来るのに、学校に到着するとすぐにいなくなった。教室へ走っていくのか、それとも別の場所に行くのか。涼香は不思議に思った。


土曜日は、前の晩に降った雨で水溜りができていたが、太陽がその水溜りさえ自分の作品にしようとするように眩しく輝かせていた。

土曜日は次の日休みで半日だけということで、なんとなく気分が浮き立った。

涼香は陽光を歓迎するようにキラキラ輝く景色に見惚れて歩調が緩やかになり、列から取り残されそうになった。

と、その時突然幸が小声で話しかけた。

「ね、前から気になってたの。この道、行ってみない?」

幸が指さしたのは、狭くて暗い路地だった。

まるで明るい陽射しによってそれまで隠れていたのが露出したようで、涼香はそれまでその存在に気付かなかった。

涼香がどうしようか迷っていると、幸はどんどんその路地に入っていき、涼香は仕方なく後について行った。

人がかろうじてすれ違うことのできる狭さで、トラックはおろか車もそこに入れそうになかった。

道の両側はほとんど生い茂った樹木で覆われ、その合間に肩身が狭いといった風情で、木造の平屋建ての家が建っていた。

人が住んでいるのか空き家なのか判別しがたい家々は、時から無残に切り捨てられたように古くうらぶれていた。

こんなに明るい朝でもその一帯は薄暗く、夜にはその場所自体が消滅するくらい真っ暗になるだろうと思われた。


「あっ!」

小石か何かにつまずいて涼香が転び、運悪く水溜りに両手をついて服の袖を濡らした。

「大丈夫?」と涼香を見た幸は、素早く水色のハンカチを差し出した。

ハンカチを受け取って濡れた部分を拭いた涼香は、さっきまでの高揚した気分が沈むのを感じた。

それでも幸は路地の先がどうなっているのか見届けようと急ぎ足で進み、行き止まりになっているところで足を止めた。

幸の後からそこに立った涼香は、目の前が崖になっていて、見上げると木々が密生しているのを確認した。

この路地にふさわしい、完全な行き止まりだった。

それだけではなく、二人の前には木の柵があり、その先には小さな沼があった。柵の周囲にはゴミ袋からこぼれ出たようなゴミが堆積していて、それは沼の表面にも及んでいた。こんな場所に来るのは、虫かカラスか野良猫くらいかと思われた。

その時、濁った沼の水面がブクブクと泡立ちはじめ、水底から何かが浮上する気配があった。

「キャー!」と涼香が悲鳴を上げて、「行こう、さっちゃん!」と叫んだ。

すると幸は「ちょっと待って」と言って涼香の手首をつかんだ。

その手の冷たさが恐怖心をあおり、涼香は真っ蒼になって駆け出した。

路地の入口まで来て、登校班の後ろ姿を20メートルほど先に見つけると、涼香は路地の奥を振り返った。

そこに少女の姿はなかった。

走って班に追いついたが、みんな涼香がいなくなったことに気付いていないようだった。

学校に着いてからしばらく幸が後から来るのを待ったが、幸は現れなかった。


そして、翌週から幸が登校班に加わることはなかった。

涼香は狐につままれたような気持ちで、恐る恐る班長の6年生に訊いてみたが、彼の答えは「そんな子は知らない」という素気ないものだった。


月日は流れ、涼香は3年生の夏休みに再び転校し、よその土地へ移った。環境が変わったため、幸のことを考える暇がなく、そうして大人になって行った。

今、年を重ね、子育てを終える年齢になった涼香は、時折幸のことを思い出し、彼女は一体何者だったのだろうと思い巡らせた。

幽霊、座敷わらし、異星人、未来からのタイムトラベラー

答えは永久に見つからないだろう。

あれ以来、涼香は1市へ行ったことがなかった。もし行ったとしても、あの通学路の景色は一変していて、当時を思い出すよすがは何もないに違いなかった。

しかし涼香にはわかったことがあった。

それは、多くの人が人生の中で、幸のような正体不明の人物に会ったことがあるということ。

そう、私が不思議な幸という少女に出会ったのは確かなことなのだと、涼香は手にした今も色あせない水色のハンカチを慈しむように眺めながら、断言した。


(了)


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通学路の座敷わらし 神谷すみれ @sumire2002

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