通学路の座敷わらし

神谷すみれ

第1話

1、登校班の転入生


それは、明け方降った雨が咲き初めた花々や新緑の色彩や匂いを際立たせて、何か特別な日の始まりを予感させる、4月の月曜日の朝だった。

7時50分。いつもの時刻に登校班の集合場所である団地の公園についた涼香は、そこに集まったメンバーの中に見慣れない女の子の姿を見つけて「あれ?」と小さく口の中で呟いた。

見たところ、その女の子は涼香と同じくらいの年頃で、背は少し高く、髪を分けてカチューシャを付けていた。透き通るように色が白く、顔立ちも整ってあか抜けており、この辺の子とは違う、どこか遠くから来たという印象を涼香は受けた。

そうした第一印象のなかで、何より涼香の心を捉えたのは、女の子のランドセルの色だった。

それは、毎年春に季節のとっておきのサプライズのように出現する藤棚の花の色、薄紫色だった。

ランドセルの色といえば、男子は黒、女子は赤と決まっていて、例外は異端であるような時代だった。そんな中、1年の時に転校してきた涼香は、東京の女学校を出た母親の見立てで、黒いランドセルを背負っていた。

それは周囲の子たちに好奇の目で見られ、「女の子なのに黒なんて」とか「オレンジや黄色ならいいけれど、黒じゃねえ」というひそひそ声が涼香の背中に突き刺さることもあった。

それだけに、その女の子の薄紫色の異端のランドセルは、涼香には救いと安心を与える天使の羽根のように見えた。


涼香は小学2年生。

大阪府I市で、父親の勤務先の社宅である団地に住み、毎朝集団登校で学校に通っている。

1960年代、高度経済成長の波は日本全国に押し寄せ、特に70年の万国博覧会の会場であるS市にほど近いI市は、上げ潮に乗ったように近代化への道を辿っていた。

涼香の住む社宅の鉄筋コンクリートのマンションも、近代化の一翼を担うように田んぼにとって代わって建てられた。


涼香の登校班のメンバーは、皆同じ団地の子供たちだった。転勤の多い仕事なので転校生が入ってくることは別に珍しいことではなく、涼香はその見慣れない女の子も転入生だと思った。

登校班のメンバーは1年から6年まで合わせて10人で、6年生が1人、2年生が涼香一人で後は2人ずつという内訳になっていた。

去年2学期に転入した涼香は、一人だけの1年生だったため、6年生のお姉さん2人に優しく面倒を見てもらった。

しかし今年度の班長はきびきびした6年生の男子一人で、彼が先頭に立って引率した。彼は「車が来るぞー」とか、じゃれ合っている男子に「そこ、ちゃんと歩けよ」とか注意を促し、班長としての役割をしっかり果たしていたが、その注意は主に新1年生に向けられていて、2年生の涼香は眼中にないようだった。

1年生が1列目であとは2人ずつ並んで列を作り、涼香はいつも列の一番後ろを一人で歩いていた。「お早う」というあいさつ以外誰とも話をせず、黙々と影のように歩く涼香は、自分がいなくなってもみんな気が付かないのではないかと思った。

元々内気で人見知りな性格の涼香にとって毎朝の登校は、自分のそういう性格をマイナスとして重く背負わされる時間だった。

だから、新しい女の子の加入は、涼香にとって殊更嬉しいものだった。


小学校まで約15分間の道のりだった。

小学校の反対側には国道があり、バスやトラックなどが勢いよく走るその道路は海へ流れ込む大河のようなエネルギーに満ちていて、小学生の涼香は身がすくむ思いがした。

しかし、涼香たちの通学路はまだ時代の進化の切っ先が届いておらず、住宅地の傍らに田畑が見渡す限り広がっていた。

学校帰りにに涼香は通学路ではなく、田んぼの中を通って帰ることもあった。カエルの鳴き声や土や草の匂いが風に溶け込んで、心地よく髪をなびかせた。

去年まで都会で暮らしていた涼香には、田舎の自然が思いのほか相性がよく、心身ともにリフレッシュさせた。


涼香は田舎の風物が肌に合うようにごく自然に、新しく入った女の子と並んで歩いた。

その女の子も2年生で「幸(サチ)」という名前だと自己紹介した。そして気さくに付け加えた。「さっちゃんでいいよ」

さっちゃんというのは童謡にも出てくる親しみやすい名前だと、涼香は思った。

「私は春野涼香。あの……」

「すずちゃんって呼んでいい?」

涼香が言うより先に幸が訊いてきた。

こうして「さっちゃん」「すずちゃん」と呼び合うことで、二人の距離はさらに縮まった。

幸は無口な涼香と比べるとよくしゃべる方だったが、その年頃の子供にしては礼儀をわきまえていて、立ち入ったことや不快になるようなことは話さなかった。


次の日、幸は集合時間ギリギリで最後に現れ、涼香は幸が来ないのではないかとハラハラした。

笑顔で「お早う、すずちゃん」とあいさつする幸に、涼香は「遅いね」などと責めるようなことを言う気は全く起きず、ただまた一緒に登校できるのが嬉しくて仕方なかった。


二人はきのう見たテレビ番組や学校のこと給食のことなど、他愛のない話をしながら歩いた。

ボールをパスしあうような言葉のやり取りが楽しくて、涼香の足取りはスキップしそうなほど軽くなった。

通学路の見慣れた景色も、幸と一緒だとそこから新鮮な発見が飛び出してくるのだった。

幸は物知りで、道端のタンポポからも興味深い会話が繰り出された。

「タンポポの綿毛、フーッとしたことある?」

「あるよ。やりたくなるよね。すずちゃん、綿毛は種を運ぶんだって知ってる?」

「ヘー、そうなの」

「綿毛はうまく風に乗って、遠くまで飛ぶようになってるんだって」

「タンポポも可愛いけど、私はチューリップが好き」

「どうして?」

「タンポポは道に咲いているけど、チューリップは花壇にしか咲いてないでしょ。大事に育てられているみたいに」

「それはね、タンポポは野草だけど、チューリップは球根を人が植えるからだよ」

「球根?」

「あのね、3年生くらいになったら理科で習うよ、たぶん。ヒヤシンスの球根をガラスの容器で育てるの」

涼香は上級生の教室で、球根を入れたガラス瓶を見たことがあった。

「わあ、楽しみ!」


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