発熱

 おい。


 起きろ、浩輝。


 おいってば。


 可愛い彼女が寂しがってるぞ。


 おーいっ、起きろ。


 なあ、早く起きないと俺が寝取るぞ?





「それは、ダメだぁ……」


 柔らかいベッドの感触から体が離れない。


「ん……かり……」


「ひっ、浩くん。大丈夫?」


 あかりの声が聞こえた。そのトーンは本体の方っぽい。


 俺は身体を拷問のごとく締め付ける掛け布団の中をまさぐった。昨日添い寝したはずのあかりは布団の中にいない。


 重い瞼を上げた。


「浩輝、大丈夫か?」


「な、にが……っ?」


「何がってお前……」


 生沼は俺の前に白くて長い物体を差し出した。目のピントを絞ってそれが体温計であることを認識する。


「38.6℃。病人だ」


[浩くんっ。お、おねつだよぉ!! ど、どど、どうしようっ!?]


 分身は枕元で目まぐるしく回っている。


 そう言われて初めて、体の重さの正体に気が付いた。だんだんと目が覚めてきて割れるような頭痛に襲われる。


「うっ……」


[うわぁぁんっ! 浩くん死なないでぇ……!]


 分身は俺の瞼をつまみながら泣きじゃくっていた。耳元のはずなのにその声はかなり遠く聞こえる。


「ごめんな。寝不足だったのにプール入れて夜更かしさせて」


 生沼は隣のベッドに腰を下ろしながら俺の顔を覗き込んだ。俺は大きく腫れているであろう喉の奥を必死に鳴らした。


「いや、俺の、判断で、やったんだ。自業自得、だよ」


 昨日の夜更かしだって、四人でゲームをするのが楽しかったからしたのだ。確かに寝不足ではあったけど、だから責任をこいつらに押し付けるわけにはいかない。


「浩くん……」


「あかりも、大丈夫だよ」


 あかりの手は俺から離れそうにない。


「俺の熱は、いつ……?」


「え? あぁ、朝、柚瀬が俺らの部屋来たんだよ。浩輝が苦しそうだからちょっと来てってさ」


 俺はあかりの方へ顔を向けた。首の筋肉が軋む。


「私、浩くん抱き枕にして寝てたから、寝苦しかったかなって思ってちょっと離れてたんだけど、どうやら違うっぽくて。何回名前呼んでも返事なくて……」



[浩くん、死んじゃうんじゃないかって思ってぇ……!]



「普段の落ち着きようだけど、肩で息してたからさ。あ、これかなりのSOSだなって思って部屋飛び出して来たんだよ。まあ柚瀬はお前のことになると誰よりも必死になるし」


「あかりが、呼んで、きてくれたのか……」


 彼女はこくりと頷いた。同時に俺の手に力がかかる。

 ありがとう、と言う代わりに俺もその手をぎゅっと握り返した。


「あかりは、大丈夫、なの? 俺と、一緒に寝てて、うつったり、とか」


「一応、柚瀬は熱とかなかったよ。身体もおかしなとこないって」


「よかった」


 生沼はベッドから腰を浮かした。


「てか彼女の心配する前に自分の身体をいたわれよ。お前の身体はお前だけのものじゃねーんだからよ」


 彼の視線はベッド脇で恋人の手を握りながら俯いている彼女に向いた。


「あかりは、俺の命なんかより、全然、大事な、人、だから……」


 紡ぐ言葉が散り散りになる。接着剤で繋げても意味が通るのか、それを判断する脳すらうまく働かない。



 ただ、あかりが無事なら、この世界には何も求めなくていい。



「……私も」


「ん?」


「自分の命より、浩くんの方が大事だもん」


 愛の天秤は常に数学的矛盾パラドックスの法則を採用している。



[……かないでっ]



 耳元の分身は泣き止むことを知らないようだ。


「大丈夫、死なないから」


 あかりを守って死ねるなら本望だけど、あかりを残して死ぬわけにはいかないんだ。こんな風邪程度で、うんちゃかぽんちゃか言ってられるかよ。


 あかりは俺の身体を抱き締めるように覆いかぶさって来た。


「あかり、あんまり、近づくと、うつっちゃうよ」


 掛け布団の摩擦を払うように首を横に振る。


「離れたら、どっか行っちゃう気がするんだもん」


 俺は口に笑みを含んだ。


「行かないって、大げさだなぁ……」


 そういうところが世界一可愛いんだよ。君は。


「とりあえず叔母さんに看病は頼んであるから、今日はベッドにはりつけだな」


 そっか。せっかくあかりと旅行に来たのに、これじゃ台無しだな。


「すまん」


「気にすんな。まだ明日だってあるからさ。逆にここで無理して期末試験に響いたらそれこそまずい。柚瀬、行こう」


 部屋のドアを開けながらこちらを向く生沼にあかりは首を振った。


「やだ」


「やだっつったってしょうがないだろ。浩輝が心配でたまらないのはよくわかるけどさ、とりあえず朝ごはんだけでも。な?」


「行っておいで、あかり」


 俺が促すと、彼女は素直に手を解いて立ち上がった。


[す、すぐっ、戻ってくるからねっ!]


 気にしないでいいよ。大丈夫だから。


 分身は枕元から俺の身体を伝って掛け布団の上へよじ登り、思いっきりジャンプして本体の中へ消えていった。





 あかりは本当にすぐ戻って来た。


「浩くんっ」


「は、早いな」


 部屋のドアが開いたと思ったらすでに手を握られている。


「あのね、悠作叔父さんたちと山菜採りに行くことになった」


「おぉ、そ、そうなの」


 急だな。


「取って来た山菜で浩くんに温かいうどん作ってあげようって。そしたらきっと具合もよくなるからって、叔父さんが言ってたから」

 

 あかりは愛がこぼれないようにその可愛らしい唇を結んだ。


「ありがとう、あかり。そこまで……」


[頑張って採ってくるから、待っててね浩くんっ♪]


 体中が熱いはずなのに、彼女の声にその芯を温められる。


「……あかり」


「ん?」


「大好き」


[ふぁ♡]


 彼女の肩に乗っかっているお饅頭はろうそくにあかりともしたように赤く染まった。動じていないような等身大のあかりと、その素直なスクリーンが並んでいる。


 分身はやっぱり肩に乗っているのが一番可愛らしい。


「みんなで、行くの?」


「う、ううん。叔父さんと生沼君と、三人で」


「そっか」


 ここら辺の土地に慣れてる二人なら大丈夫そうだ。


「気をつけてね」


 あかりは大きく頷くと、準備してくると言い残して部屋を出て行った。



 山菜が採れるのはペンションのすぐ裏の山だろうか。プールの時にその山肌をなんとなく見ているから、あんまり大きな山ではないことは知っている。きっとうどんはお昼ご飯だろうから、そこまで遠くに行くわけではないのだろう。


 あかりは女の子の割に体力ある方だけど、それでも長時間山道を歩くのは初心者にはしんどいはずだ。


 しかも夏前って草が生い茂ってるし山菜採るのも難しそうな気がする。


 間違えて毒草とか引っこ抜いてこないだろうな。


 天井ばかりを見つめてもそんな不安が後から湧いてくるだけだったから、俺は重い身体を持ち上げてベッドから這いずり出た。ドアを開けて廊下の手すりを摑みながら一階へ向かう。


「おいおい浩輝。何出て来とんねん」


 一階に降りたところで玄関で靴紐を結んでいた生沼に見つかった。


「寝てろって」


「いや、見送り、だけでも。そうしたら、すぐ部屋、もどるから……」


 生沼は俺の肩に手を置いて笑う。


「心配すんな」


「なあ、夏って、山菜、採れるのか?」


「山菜? あぁ、採りに行くって言ってたやつか」


「え、お前、一緒に行くんじゃ……?」


 生沼は腕を組んで頷いた。


「おぉ行くよ。でもあくまで山道散歩だからな。山菜は見つけたら採って帰ろうって話だよ。なんだ、柚瀬か?」


「あかりから、そう、聞いたんだよ」


 あかりの中では散歩なんかより俺の体調治すほうがメインのイベントになってたってことだな。まったく、あの美少女は。


「まあフキとか取れるところあるし、ちょっと奥地に行くと運が良ければ春の山菜が残ってたりするよ」


「そうなのか」


「浩くんっ」


 背中側から世界一の天使の声が響いた。天井の高い玄関が幸せの陽だまりになる。


「だ、大丈夫なの?」


 天使は羽衣はごろものように俺の身体にまとわりついた。白系のワントーンでそろえてすっかり山ガールの格好になっている。


 山菜うどんなんかなくてもそれだけで具合はよくなってしまいそうな気さえする。


「あかり見送ったら、すぐ戻るよ」


[む、無理しないでっ……むぁ♡]


 心配しないでと、優しく彼女の頭を撫でる。


 分身は気持ちよさそうに声を漏らしながら、下唇を上唇で巻き込んで鼻の下を伸ばしながら目を細めた。背中に背負ったリュックサックの肩掛けを小さな手で握っているのがたまらなく可愛らしい。


「お、浩輝くん。休んでなくて大丈夫かい?」


 廊下の奥方から悠作叔父さんも出て来た。声を出すのにかなりの体力を浪費する俺は重い頭を一階だけ縦に振った。


「さ、いこーぜ」


 生沼の声にあかりは俺から離れてスニーカーを履き始めた。


「おう。早速行くか」


「待っててね、浩くんっ」


「うん。行ってらっしゃい」


 スニーカーのつま先で地面を突くあかりに俺は笑って手を振った。





「時田は、一緒に、行かなくてよかったのか?」


 俺は教科書に落としていた視線をベッド脇に座る彼女に移した。高熱は治る気配を見せないが、だから逆に寝付けない。もう諦めて期末試験の勉強をすることにした。


「私、心肺弱いから長時間運動できなくて」


「あ、そうなの」


 言われてみればプールの時も結構休憩してた印象がある。あかりを追いかけて来た時もかなり疲れてたけど、よく考えたら校内で完全に息が上がるほどの距離をあかりが逃走するわけがないか。


「茂くんとお散歩したいんだけど、山道だとちょっとね」


「そうだな。なだらかな道でも、結構、疲れるし……っ」


 思わず咳込む。


「大丈夫?」


「ん……あぁ、うん」


 時田は社会の授業プリントを机に置いた。


「茂くん。写真撮るの上手なんだよ」


「知ってるよ」


「知ってるかっ」


 時田はえへへと笑った。


「デートの時も、私が行けないところまでささって行って写真撮って来てくれるの。私の見れない景色も一緒に見てくれる」


「いい、彼氏だな」


「大好きっ」


 時田は小さく微笑んだ。


 あかりに意地悪してると聞いた時にはどんな輩だと思ったが、この子もまごうことなき恋する乙女なのだ。結局友達になりたかっただけだったみたいだし。


 今聞いてみようか。


「な、なぁ時田」


「ん?」


「あかりのこと、どう思う?」


「え? どうして?」


 こてんと首をかしげる彼女。


「いや、なんとなく。なんか、意地悪、してたみたいだし」


 時田はぴくりと跳ねた。ぎゅっと胸元を押さえながらぱくぱく口を開く。


「そ、それはほんとにごめんなさいっ! 殺さないでっ……!」


「こ、殺さないよ」


 俺をなんだと思ってるんだよ。


「あかり……さんのことは、めっちゃ可愛いなって思ってました。おんなじクラスになった時からずっと」


 なんで敬語なんだよ。


「それは、当たり前、だよ。俺の、彼女、っ、だし……」


 うまく声が出ない。だせぇ。


「意地悪って言っても、ちょっかい出すくらいだったの。ほんとはもっといろんな話したいのに、逃げられちゃうから……」


「やられてる方が、いじめだと、思ったら、いじめに、なるからな、この世界」


 時田は肩を落とす。


「最低でした。ごめんなさい。大切な彼氏のことも悪く言っちゃって」


「まあ、普通、っていうのは、間違って、ないけど」


「ほんとは、なんていうかその、冗談半分のガールズトークっていうか、そんなことしたかったんだけどな」


「下手くそ、だったな」


 まあでも、あかりも時田が悪いやつじゃないことはもうわかってるみたいだし。罰ゲームでキスさせるような仲になれる素質は元々あったってことだろう。


 あかりが俺にあんなに心を開いているのは、彼氏であるだけじゃなくて彼女の分身のおかげで心の中を汲み取ってあげることができるからというのもあるのかもしれない。他の人とは意思疎通が難しいから勘違いもされやすいし、必然的に俺のところにやって来てしまうという。


 時田がどれだけ友達になりたかったとしても、誰よりも理解してくれるがいるかぎりあかりは振り向いてくれないと。


 裏を返せば、時田はその壁を壊した開拓者なのかもしれない。

 一見いじめのちょっかいも探らないと分からないものだ。


「にしても、急に仲良く、なりすぎじゃね……?」


 俺は天井と壁の境界線を横に流すように眼球を動かしながら聞いた。


「そうかなっ。あかり、お話してくれるようになったらすっごく面白い子なんだよ。やっぱり同じ彼氏持ちってなると、ことも多いし」


「共鳴……」


「それは内緒。てか寝ろぉ、あかりも頑張って山菜採ってるんだから、きっと! えいっ」


「いてっ。ごめんなさい」


 時田は机の上に置いた授業プリントをさらって俺の頭を一発パシャっと叩いて笑った。


「ん?」


 俺は時田の笑い声の向こう側で何やら騒がしい音が近づいてきているのに気が付いた。廊下の方だろうか。かなり急いだ足音が次第に大きくなっている。


「なんだろう……」


 時田はベッド脇から離れて部屋の扉を開けた。


「茂くんっ! 帰って来たの!?」


「お、生沼……?」


 まだ予定よりかなり早いけどな。


 俺もベッドから出て体を引きずるように廊下へ顔を出した。確かに生沼だが、何やら様子がおかしい。肩大きく上下させながら廊下の突き当たりにある物置を漁っている。


「ど、どうしたんだよ」


 彼は俺を振り向くと、一気に苦い表情をした。その瞳孔は明らかに震えているようだった。


「浩輝っ、落ち着いて聞いてくれ」


 な、なんだよ。やめろよそういうの。海外ドラマじゃねーんだから。



「柚瀬がいなくなった」



「……は?」

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俺の幼馴染はほとんど感情を表に出さないが中に飼ってる素の人格があまりにも可愛い かんなづき @octwright

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