第3話
三年生になった。
今年も、チェス同好会に入りたいという者はいなかった。
これで、私の高校生活の目標だったチェス部の設立は、絶望的となった。
もう、終わりにしよう。
「
「もう、いい。これ以上、
「迷惑って、なんだよそれ」
「いいから。もう、本当にいいから」
二人の間に沈黙が積み重なっていく。
私の高校生活ってなんだったんだろう。
あと一年で、私は何かをなしえるだろうか。
ずっとチェスしかしていなかったから、成績も上がらなかったし、友達もできなかった。
チェスしかしていなかったのに、初心者の
こんなはずじゃなかった。
じっと私の顔を見ていた
「もう一試合しよう。それで最後にしよう」
放課後の教室には居残った生徒たちの賑やかな声が跳ね回っていた。
私は机の上にチェス盤と対局時計を置いた。いつもと同じように、チェス盤の上に駒を並べていく。二年間、毎日繰り返した、いつものように。
木製の駒の、色、匂い、手触り、盤に置かれた時の木の触れ合う音。
一つ一つの駒を置いていくその一瞬ごとに、私の気持ちは落ち着き、昂ぶる。
対局時計の持ち時間をそれぞれ二十分に設定する。
私の時間が動き出す。
私もクイーンの前のポーンを進めた。
お互いの進めたポーンが、盤の中央で睨み合う。
試合が進むにつれて盤上からは駒が消えていく。
いつしか教室からも生徒はいなくなっていた。
教室内には私と
二人の間に言葉はない。聞こえるのは対局時計を押す音と、駒が盤と触れ合う音だけ。
ここでビショップを切る手がありそうだ。でも、読み切れない。うまくいかなかったら、ビショップを無駄に捨てるだけ。そうなったらもう絶対に勝てない。
どうするべきか。
迷っているあいだにも私の時間は減っていく。
読み切れないけれど、攻めにいくべきだろうか。
エンドゲームにもつれ込むことを考えたら、ここでこれ以上の時間は使えない。
私は攻める手を諦めて、堅実な手を選んだ。
けれど、この手が
私は必死にチェックをかわしていく。
私のビショップが落ちた。
戦力差はポーンひとつ分ほど
不利な戦力差のままエンドゲームに入る。
私の残り時間は三分。
勝てない。
私はポーンを手に取る。ポーンを持つ手が震えていた。そのことに気がつくと余計に指が震え出した。
私の手からポーンが滑り落ちた。
チェス盤に落ちたポーンは、硬い音を一つ鳴らすと、盤の上を転がり、他のポーンにぶつかって、止まった。
私は自分のキングを寝かせた。負けを示すサイン。
私は、溢れ出る涙を止められなかった。
どうして自分が泣いているのか、自分でもわからなかった。
次から次に、涙が溢れてくる。
私は、声をあげて泣いていた。
私が落ち着いたのを見て、
「もう一試合、する?」
私は頷いて答える。
「あたりまえじゃない。勝ち逃げなんて許さないから」
私の声はまだ少し震えていたけれど、自然に笑うことができた。
「あぁ、トーナメントとかしたかったな」
「将棋人気が凄くて、囲碁部も新入部員が少ないらしいよ」
「囲碁部といえば、
「まあ、囲碁のルールを知らないのに囲碁部の顧問をしてるくらいだからね。囲碁部のほうにも顔は出してないんじゃないかな」
「なんで、顧問になったのよ」
だけど、私だって。
私だって、まだまだ強くなれる。
今度は私が先手の白。
持ち時間はさっきと同じ二十分。
私はキングの前のポーンを進めた。
駒が展開されていくにつれ、白と黒の模様は混ざり合い、盤上の景色を刻々と変えていく。
交錯する駒の経路はもつれ合い絡み合い、盤面はその複雑さを次第に増していった。
ビショップを切る手がありそうだ。でも、読み切れない。また、さっきの試合と同じ選択で迷う。
今回の局面はより複雑で、その後の展開はまったく読めない。先が見えない。
さっきは迷った結果、緩い手を選んだせいで負けた。
今回は迷わない。
自分を信じて、見えない先へ、踏み出そう。
そのほうが楽しいし、そのほうが私らしい。
もう、迷わない。
私はビショップを手に取った。
「私、決めたから」
私は
「私も
堅牢だった
「うん。
私はビショップを斜めに走らせる。ポーンを取ってチェックをかけた。
勝っても負けても、この試合が終わったら、
ずっと言えなかった感謝の気持ちを。
ずっと言いたかった気持ちを。
ちゃんと言葉にして、伝えよう。
ありがとう、って。
そして、これからも……。
時間を確認する。
私の残り時間は?
あと5分。
私はルークを手に取る。
さあ、ここからだ。
ギリシャの贈り物 つくのひの @tukunohino
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