第2話

 二年生になった。

 在学中にチェス部を作るには、今年中に同好会の人数を五人以上にしなければならない。

 私とまもる以外に、あと三人必要だ。

 なんとしても新入生の勧誘を成功させる。

 気合いを入れてビラを作った。校内の掲示板の隅っこに貼らせてもらった。正規の部活動ではないので肩身が狭い。

 かけ持ちでもいいからと、顔を出さなくてもいいからと、一枚一枚手作りのビラを新入生に手渡した。とにかく人数を増やすことだけを考えた。


 けれど、誰一人として、チェス同好会に入りたいという者はいなかった。


 まもるに対しては、無理やり私の趣味に付き合わせたという引け目を感じていた。

 初心者に対しての教え方としては優しくなかったと思う。

 幼なじみのまもるならいいだろうと、甘い考えがあったことは否定できない。

 それでも、一年間、まもるは続けてくれた。


「ああ、また負けた」

 まもるが両手で頭を抱える。

「だって、まもる、守ってばっかりじゃない。攻めないと勝てないって」

 一学期が終わる頃には、守とのチェスがいい勝負になってきた。

「なるほど、そうか。塔子とうこのポーンはプロモーションできたから、クイーンを切ってもよかったのか」

「そう。チェックがかかって主導権を握れたからね。それで余裕ができた」


 私とまもるがチェスをしていると、興味を示す生徒が現われるようになった。

 よかったら近くで見てください。

 もしよかったらちょっとやってみませんか?

 私は精いっぱいの笑顔を見せて声をかけた。

 けれど、せっかく興味を持ってくれても、ルールを説明すると表情が曇った。

 そして次の日には来なくなった。


 二学期が始まる頃、まもるは『電話帳』を読破していた。すべての問題を解いたらしい。約半年で五千問すべてを解いたなんて、信じられない。一日に二十問を毎日解いたとしても、半年では終わらないはずだ。


 まもるのディフェンスを重視するスタイルは変わらない。

 積極的に攻めていく私のスタイルも変わらなかった。けれど、私の攻めは試合を重ねるにつれ、いなされるようになってきた。無謀な攻めは咎められて、強烈なカウンターが返ってきた。


「やった! 初めて塔子とうこに勝った! あそこで冷静に引いたのがよかった。あれで塔子とうこの攻めが空振りになったからね」

 まもるに初めて負けた。

 信じられなかった。

 まもるが勝ったら、笑顔でおめでとうと祝福するつもりでいた。

 私の趣味につき合ってくれてありがとうって、感謝の気持ちを伝えるつもりでいた。

 それなのに、私は何も言えなかった。

 ただ、盤面を見つめていた。


 約十年。ずっとチェスをしてきたのに。たった一年半で追いつかれた。

 悔しかった。嫉妬もした。

 なんでこんなにも早く、強くなれるのか。

 私とまもるとで、何が違うのか。

 まもるが男だから? 私が女だから?

 そんなわけない。

 そんなこと、あってたまるか。


 少しずつ、まもるに勝てなくなってきた。

 まもるは駒の少なくなったエンドゲームで無類の強さを見せた。

 私の苦手なエンドゲームに持ち込まれては、負けることが確定した試合を、諦めきれずに手を進めた。

 二学期が終わる頃になると、私はまもるに勝てなくなっていた。


「来年は、どうするの? 新入生の勧誘がうまくいかなかったら、同好会は続かないんだよね」

 私とまもるが卒業したら、チェス同好会のメンバーはいなくなって、同好会としての条件すら満たせなくなる。

「僕と塔子とうこの二人だけでも続ける?」

「まだわからないでしょ! 来年こそメンバーが増えるかもしれないじゃない!」

塔子とうこはまだ進路決まってないんだよね。それならチェスはしばらく休みにして、そっちに集中したほうがいいんじゃないかな」

「なにそれ。自分の進路をどうしようと私の勝手でしょ。まもるには関係ないじゃない!」


 最低だ。

 まもるは私のことを心配してくれているのに。頭ではわかっているのに。

 うまくいかなくて、いらいらして、落ち込んで、そんな自分にまたいらいらして。

 まもるにあたるなんて。

 私は、最低だ。


 それでも、まもるは私につき合ってくれた。

 いつもと変わらない顔で、チェスをした。


 まもるは全国でも有数の公立大学に進学することを決めていた。まもるの成績なら、受験に失敗することもないだろう。

 私も、まもると同じ大学に進学したかった。大学でもまもるとチェスをしたかった。

 でも、私の成績では、厳しそうだった。

 別の大学に行くか、それとも就職するか。

 私は自分の進路をまだ決められずにいた。


 三学期のあいだ、私はまもるに勝てなかった。

 ただの一度も、勝てなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る