ギリシャの贈り物

つくのひの

第1話

 チェスは父から教わった。それ以来約九年間、ずっと続けている。

 大好きなチェスの魅力を広めたい。

 私は、この高校にチェス部を作る。

 けれど、新規に部活動を立ち上げることが、こんなにも大変なことだとは思わなかった。


 新しい部を作る前に、その前身となる同好会を作らなければならない。

 同好会に必要なのは、顧問と、二人以上の定員。

 定員の一人は私、白城しろき塔子とうこ

 もう一人は幼なじみの黒騎くろきまもるに声をかけた。鈍くて運動が苦手なわりに昔から頭はよかったから、チェスもできるようにはなるだろう。


塔子とうこがチェスを好きなのは知ってるけど、僕には無理だよ。将棋だってわからないのに」

「人数が揃うまででいいから。チェス部ができたら、すぐに辞めていいから」

 まもるは乗り気ではなかったが、むりやり引き込んだ。


 顧問は、囲碁部を受け持っていた担任の盤田ばんだ広樹ひろき先生が、かけ持ちで引き受けてくれることになった。盤田ばんだ先生は囲碁部の顧問なのに、囲碁のことはわからないらしい。


 同好会の発足までは順調だった。

 ここから部活動にするために、定員が五人(つまりあと三人)以上必要で、同好会としての活動が一年以上必要となる。

 そこから申請を出して、それが承認されれば、部活動として認められる。

 条件さえ満たせれば問題ないだろう。危険もないし、特にスペースが必要なわけでもない。チェスセットさえあればどこでもできる。

 お金だってたいしてかからない。チェスセットなんて千円も出せばちゃんとした造りのものが買えるのだから。


 いくら日本でチェスがマイナーだとはいっても、あと三人くらい、すぐにどうにでもなるだろう。早ければ来年には部として発足できる。そうなれば私が初代の部長としてこの学校に名を残すことになるかもしれない。

 前途は明るい。


 昼休みや放課後に、教室で楽しそうにチェスをしていれば、同好会に入りたいと言ってくる人は自然と現われるはずだ。そんなふうに楽観的に考えていた。

 けれど、半年を過ぎてもなお、同好会の人数は増えず、まもるとのチェスがまともな試合になることもなかった。実力差があるからということもあるが、それ以前にまもるがチェスのルールをなかなか覚えてくれなかったからだ。ポーンの動きは特に理解できないらしく、慣れるまでにずいぶんと時間がかかった。


 何度も何度も、同じことを繰り返し説明した。

 私は苛立ちが表に出ないように注意した。

 日に日にフラストレーションは溜まっていった。


 三学期になっても、チェス同好会に入りたいという者は現われなかった。

「はあ、今年は無理かなあ。正直、もっと簡単にいくと思ってた」

「来年の新入生に期待しよう。今は将棋が流行ってるから、チェスにも興味を持ってくれる人はいるはずだよ」

 将棋界では若い天才棋士の台頭が話題になっていた。マスコミにも取り上げられたせいか、将棋部への入部希望者は多かったらしい。


 日本で頭脳競技といえば、将棋と囲碁が挙げられる。その次にはオセロだろうか。

 チェスの名が挙がることはない。

 チェスだって面白いのに。

 どうして、理解されないのか。

 どうしたら、チェスの魅力を伝えられるのか。


 説明を聞いても覚えられないと言っていたまもるに、入門書を貸した。

 一週間後には、まもるはチェスのルールを把握していた。

 本を読めばすぐに覚えられるらしい。

 その次に私は、通称『電話帳』と呼ばれるメイトの問題集をまもるに貸した。将棋でいう詰め将棋の本にあたる。『電話帳』と呼ばれてはいるが、家にある電話帳よりも分厚いから、辞書と呼んだほうが正確なのではないかと思う。なにしろ五千問以上もあって、とにかく分厚いし、重い。


 まもるは、本で見たメイトパターンを、、再現してみせた。

 本人は気づいているだろうか。それがどんなに凄いことか。少なくとも、初心者にできることではない。

 もともと頭はよかったけれど、私の想像していた以上の速さで、着実に、まもるはメイトパターンを習得していった。


 一学年が終わる頃には、私とまもるとのチェスは試合として成立していた。

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