鐘の音は、まだ聞こえない

神連カズサ

一、あとはあの子に頼みなさい

 二番街の東端。王都のゴミ溜めと呼ばれ、世間から爪弾きにされたものたちが集まるそこには、風変わりなアパルトメントがあった。

「シャロン」

 低く掠れた声に起こされて、シャロンは緩慢な動作で頭を持ち上げた。

 時計を見れば、常の起床時間から二時間ほど早い場所を指し示している。

 無視を決め込もうと寝返りを打てば、もう一度――今度は先ほどよりも大きな声がドアを震わせた。

「シャロン!! 居るのは分かっているのよ!! 早く出てきなさい!!」

 まったく、せっかちなご婦人である。

 第一声で目を覚ます確率が低いことくらい、分かっているだろうに。

「あー……? 何です、ミセス・レミング?」

 結局、ガウンを羽織って渋々と応対する羽目になったシャロンは、嫌そうな顔を隠そうともせず、アパルトメントの古株であるご婦人をジトリと恨めしそうに見つめた。

「あなたにお客様よ」

 レミング夫人自身も未だ眠りと現実の狭間にいるらしい。常よりも重そうな瞼を擦ったかと思うと、首だけを動かして、自身の背後を示した。

 つ、と視線を辿っていけば、目深にフードを被った見るからに怪しい大柄の男が立っている。

「それじゃあ、あとは本人に直接頼みなさいな」

 彼女がシャロンの元を訪れるのは、友人である大家にシャロンの家賃催促を頼まれた時か、仕事の話があるかのどちらかだ。今月の家賃は先週渡したばかりだったから、必然的に男が『仕事』の話を持ってきた、ということになる。

「散らかっていてもいいなら、どうぞ」

「……」

 男は一言も言葉を発さないままだったが、大人しくシャロンに従った。

 えらくゆっくりとした動きで部屋の中に入ったかと思うと、キョロキョロと辺りを見回して、それからまたシャロンに視線を戻す。

 その際、纏っている黒いコートの隙間から見慣れない意匠が見えた。

「なるほど、君は根っからの犬気質と見た。座りたまえよ」

 さあ、と自らも一人掛けのソファに腰を落としながらそう言えば、男はシャロンの動作を真似て、向かいのソファに腰を下ろした。

「……名前は?」

 この国では珍しい漆黒の目がシャロンを射抜く。

「キョウシロウ」

 片言の共通語に、シャロンは苦い思いで天井を仰いだ。レミング夫人の不機嫌の理由に、これも含まれていたらしい。あの人は根っからの愛国主義者である。他国の者を自分の領域であるアパルトメントに入れることに躊躇するのも無理はなかった。

「…………東亜國の者が、私に何の用だ?」

 一度部屋に招き入れた者を追い返せるほど、シャロンの心根は腐っていない、つもりである。

 重いため息を吐き出しながら、そう告げれば、男は驚いたように何度も瞬きを繰り返した。

「……なぜ、」

「まだ夜明け前だというのに、そんなフードを目深に被っていれば顔や髪を隠したい、と言っているようなものだ。おまけに拙い共通語。まだ、同盟を結んで日が浅い国の者だと推測することは容易い。私の推理は間違っているかな?」

「いや、当たってイル。さすがだ」

「だろうとも」

 得意げに鼻を鳴らしたシャロンに、男は一瞬だけ口元を緩めると懐から一枚の紙を取り出した。

 そこには先ほどちらりと見えた見慣れない意匠と異国の言葉が並べられている。

「すまないが、読んでもらってもいいか? 話し言葉なら少しは覚えたつもりだが、読み書きまでは自信がない」

「話せ、るだけでも、十分すごいと思うが」

「それは光栄だが、私としては一度始めたものは最後まで極めないとすまない性分でね」

「なるほど?」

 男――キョウシロウは、書類に綴られた内容を辿々しい共通語に翻訳しながら読み進めた。

 曰く、東亜國の皇子が何者かに攫われたため、極秘に調査を進めてほしいとのことが書かれているらしい。

「……そんな物騒な案件をどうして他国の私に聞かせようと思ったのか、甚だ疑問で仕方がないのだが」

「一つ。アナタに解けない問題はないと聞いた。二つ、この国の大臣たちは信用ができない。三つ、我が国の女王がアナタを指名した。イジョウだ」

「うん。聞きたいことは山ほどあるのだが、まず初めに言うことがあるならば、そうだな」

 君の国の女王はなかなか見る目がある。

 不適に光った翡翠の目が、至極嬉しそうにキョウシロウを見つめた。

 ふんふん、と今にも鼻歌を歌い出すのではないか、と思うほどに上機嫌となったシャロンは、右手の人差し指と中指を唇に添えて、ゆっくりと瞼を落とす。

 面識のない東亜國の女王にまで、自身の名が知れ渡っていることに驚いたのは事実だが、他国を頼らざるを得ない状況にまで追いやられている彼の国のことを思えば、早急に事を進めなければならないだろう。

「君、今から出かけても平気かな?」

「ああ」

「なら、少し待っていてくれ。支度をしてくる」

「分かった」

 シャロンはそう言って客人を置き去りにすると、再び寝室へと舞い戻った。

 奥のクローゼットから適当に服を何着か見繕って、お気に入りのバッグへとそれを詰め込んでいく。

「お待たせ!」

「……こんな、ことを言うのは、失礼かもしれないが、アナタはホントに女性か?」

「身支度が早いのは良いことだろう? ご不満ならば、今から二時間ほど待ってもらってもいいんだぞ?」

 ふふ、と笑ったシャロンに、キョウシロウは参りましたと言わんばかりに肩を竦めた。

 内心で勝ったと小さくガッツポーズを決めると、彼を連れて部屋を後にする。

 行き先はすでに決まっていた。


「だからって何で真っ先に私のところへ来るかな、君は……」

「君に頼るのが一番早いからに決まっているだろう? 我が愛しき同輩よ!」

「まったく、都合が良い時だけよく回る口だなぁ」

 はあ、とため息を吐き出したのは、シャロンの学友であり、国境警備隊の隊長を任されているケイト・ノーツである。

「君の頼みを聞くと身体がいくつあっても足りない気がするよ」

「まあ、そう言わずに聞くだけ聞いてくれ。数日前、ここを黒塗りの馬車、もしくは黒い馬に乗った者が通らなかったか?」

「やけに黒に拘るな……。少し待っていてくれ。他の隊の者にも声を掛けてみよう」

 ケイトはそう言って庁舎に戻ると、数分ほどして書類を持って戻ってきた。

「西の国境を巡回していた者が三日ほど前に、黒馬の群れを引き連れた男たちを見たらしい。こちらに見向きもせず、クロケッシュ山に向かったそうだ」

「よりにもよってクロケッシュか……」

「何か、問題が?」

 それまで黙って二人のやりとりを聞いていたキョウシロウが口を開けば、シャロンはうーむ、と顎に手を添えてケイトを見やった。

「……馬車の貸し出しは、」

「この忙しい時間帯に貸し出しの許可が下りると本気で思っているのか?」

「分かった。なら、歩いて行くことにする」

「そうしろ。その方が、変な連中に首を突っ込まれずに済むだろう」

「だな。朝早くからすまなかった。助かったよ」

「ああ。気をつけてな」

 またな、と短く挨拶を済ませるとシャロンはこれから向かう山について、思案を巡らせた。

 クロケッシュ山は標高が高く、季節に関係なく雪が積もっている。地元の人間でも滅多に近付かない山として有名な場所だった。

「さて、君。登山は得意か?」

「人並みには」

「雪山に向かうことになったわけだが、その前に色々と買い出しを済ませるとしよう。ついてきたまえ」

 二、三日は戻らない覚悟で作った荷物だったが、クロケッシュに向かうとなれば話も変わってくる。

 シャロンはキョウシロウを連れて、再び自宅へ舞い戻ると防寒着やら何やらを大量に詰めた一週間分の荷造りを整えた。

「質問をしても?」

「何だね」

「アナタは、友人に黒い馬や黒い馬車を見かけなかったかと尋ねていたが、あれにはどう言った意図が?」

「ふふっ、何だ。気になっていたのか。君も案外、鈍いんだなぁ」

「?」

トントン。

 シャロンの指先がキョウシロウの左胸を軽く叩いた。

 彼女の言動が掴めずに眉根を寄せたキョウシロウに、シャロンの口角が上がる。

「君の国は馬が名産だろう? それも早馬ばかり。特に有名なのが『黒雷』と称される黒い馬だと聞く。君が国を立ったのが三日前で、それと同時期に黒い馬が我が国に入国している――ともすれば、答えは簡単だ。国有数の名馬とともに皇子が攫われ、隣国である我が国に犯人が潜んでいると考えるのが妥当だろう」

「アナタに出国の日取りを教えたオボエがないのだが」

「それはね、君。コートの状態と君が私に見せた書類の日付だよ」

 そう言われて初めてキョウシロウは己の衣服に目を向けた。

 所々が泥で汚れ、うっすらとまだら模様を描くそれを見ただけでシャロンは一体何を察したのだろうか。

「三日前に雨が降っていたのは東亜國に面する国境付近だけ。それからその泥は、雨が降る中、不安定な足場を越えてきた事が予想できる」

 少しの泥だけでそんなことまで分かるのか、と言葉ではなく表情が雄弁に語っている。

 その様子がまるで子犬のように思えて、大の男に何を、と自分で自分の考えに笑いが込み上げてしまった。

「さて、ご満足頂けたところで、君の登山用品や食料を買い出しに行こうと思っているのだが、その前に少し遅いモーニングでも食べに行こうか」

「モーニング?」

「ああ、失敬。朝食のことだよ。すぐ近くに美味しいパンケーキの店があるんだ」

 翡翠色の目が金色の睫毛に隠れて弧を描く。

 絵画の中から飛び出してきたような一面に、キョウシロウはグッと言葉を飲み込んだ。

 この国の人間はいちいち容姿が整いすぎてやしないだろうか。

 おまけに、ほとんど初対面の人間に対しても、緊張感がないと言うか、何と言うか――気が抜けるようなことばかりされている気がする。

「どうした?」

「あ、いや、何でもない。ぱんけーき? と言うものはうまいのか?」

「それはもう、絶品だぞ。一度食べたらきっと病みつきになる」

「そう、か」

「そうとも。私の一押しだ」

 行こう、と告げた彼女の顔は、無邪気なそれで。

 この国に来て初めて、呼吸が出来たような気がした。


 結論から述べると、キョウシロウはやけにパンケーキを気に入ったらしい。

 クロケッシュ山に向かうまでには汽車に乗り込む必要があったのだが、持ち運べるように五つほど包んでもらう程度にはお気に召したようであった。

「そんなに美味しかったのかい?」

「ああ! こんなにうまい甘味は食べたことがない! 自国で待つ妹にも食わせてやりたいと思ったほどだ」

「何だ、君。妹がいるのか。これは意外だな」

「意外、とは?」

「君のような堅物が兄だと疲れそうだな、と」

「……」

「ふふ、冗談だよ」

「まったく笑えない」

 そう言って、拗ねたようにパンケーキを齧る姿がおかしくて、シャロンは白い喉を逸らして、カラカラと笑い声を上げた。

「この国は冬が短いと聞いていたのだが、これから向かう場所はそんなにかこくなのか?」

「そうだなぁ。君の国に比べると冬は短いかもしれないが、一年中、霧に覆われているからね。寒さには慣れているつもりだが、あそこは別格だ。常に吹雪が舞っているようなものだからな」

「吹雪?」

「まあ、実際に見てみれば分かるよ。そら、次の駅で乗り換えだ。いい加減、パンケーキはしまいたまえ」

 ガヤガヤと人の出入りが激しくなってきた汽車の中で、未だパンケーキを堪能する男を諫めると、うっすらとその影を見せ始めたクロケッシュ山を視界の端に捉えて苦い思いが込み上げてくるのに、シャロンは気がつかない振りをした。


 クロケッシュ山には二つの施設が存在している。

 一つは観光客向けの山小屋。こちらは二代前の国王が場所柄、農作物を育てることが困難なクロケッシュ地域の民のために作ったと言われているが、作った場所が山の中腹だったために閑古鳥の鳴き声が虚しく響いている。

 もう一つは、軍の演習場だ。

 新兵の忍耐力とどのような環境でも活動ができるようにする事を目的とした所謂『地獄の演習場』であった。

「軍の演習場には数名の軍人が駐在する決まりになっているから、そちらに潜むことはまずないと考えていい。我々が目標とするのは中腹に位置する山小屋だな」

「ちゅう、ふく……?」

「お、どうした? 早速現実逃避を始めたか? 残念ながら、雲が出ている少し上まで登らないと山小屋は見えんぞ」

 至極楽しそうな口調で残酷な事を口ずさむシャロンに、先ほど食べたパンケーキが喉元まで戻ってきそうな気配を感じ、キョウシロウは思わず口元を押さえた。

「さー楽しくハイキングと洒落込もうじゃあないか!」

「アナタが朝食を少ししか食べない理由が今になってわかった」

「だから、初めに断っただろう? あまり食べすぎると後が辛いぞって」

「せめて理由を教えてくれ」

 登り始める前からすでに顔面蒼白となったキョウシロウを横目に、シャロンは積雪の中に真新しい車輪の跡が残っていないか必死に目を凝らした。

 この辺りは比較的緩やかに雪が降る。

 雪で滑らないように改良された馬の蹄や馬車の跡ならば、うっすらと跡が残っていてもおかしくはなかった。

「お!」

「今度は何だ?」

「見つけたぞ。やはり、中腹にある山小屋に向かったようだな」

「……我が国にも君のように鼻の効くキレモノがいればなあ」

「なんだなんだ? 褒めているのか、喧嘩を売っているのかどっちだ?」

「両方だ」

「ふふっ。君も冗談を言う元気が出てきたところで、張り切って登るとするか」

「まったくもって、やる気の出ない掛け声だな」

 ちら、と互いの顔を見遣って、それから。

 どちらともなく笑い声を上げると、二人は先の見えない雪山に足を踏み入れた。


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鐘の音は、まだ聞こえない 神連カズサ @ka3tsu0

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