たったその一瞬に

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たったその一瞬に

『よければ、今度お食事でも行きませんか?』


 私にとって、その情報がどのような意味を持って持ち主たちを行き交うのかわからない。私がわかるのは、ただこの情報が上に示した記号の羅列となって2つの機械の画面上に表示されるということだけ。2つの機械とは、今私がいるデバイスとこの情報の送り先となるデバイスのことだ。

 ただ、意味はわからなくても、その文字列が特別なものであることは感じられる。

 いつもより圧力を感じる側面に、デバイスに少しだけ残された持ち主の水分。それらが情報を送る時の妨げにならないと言えば嘘になるけど、そんな不満もこんな特別な情報を担うことができるという満足感がかき消してくれる。

 その情報を打ち込むまでに費やされた時間、何度も押されたデリートボタン。そして最後の仕上げとして、ゆっくりと丁寧に触れられた送信ボタン。

 こうして送られる情報がその後の頻繁なやり取りのきっかけとなることも多い。より頻繁に交わされる情報に合わせデバイスの距離は近づいていく。そして、いつしかデバイスの距離がゼロとなった時、通信は終わりを告げる。

 ただ2つのデバイスの間だけで交わされるごくわずかな情報なのに、そこに至る過程が通信に彩りをもたらしてくれる。

 その彩りが情報の担い手としての義務感をさらに高めてくれる。通信を待つ担い手たちの列の先頭に並ぶ私の身体へと載せられ、その重いがさらに強化される。

 絶対に、この情報は送信先まで届けなければならない。

 高揚感とプレッシャーを同じくらい感じながら、私はそのデバイスから飛び出した。


 外の世界にはあまりにも情報が溢れている。

 見渡す限りの0と1の洪水。時間も関係なく、いつでも空間を満たさんばかりの情報が駆け巡っている。

 何度も情報を送り届けてきたとはいえ、この光景を見るたびに私は行き先を見失いそうになる。安住の地である誰かのデバイスの中とはかけ離れた外界の世界は、いつも私に吐き気を催させる。

 ああ、なんてデバイスの中は心地よかったのだろう。ひっきりなしに入ってくる情報は私と区別され、私はただ持ち主が打ち込む情報だけを眺めていればよかった。ノイズのないクリーンな世界。0と1は、デバイスの中では数秒単位のスパンでしか流れてこない。見る間に何もかもが流れていってしまう外界の忙しなさとは雲泥の差があった。

 それでも、そんな外界を通らなければ私はこの輝かしい情報を届けることができない。長い時間をかけて打ち込まれた情報。幾度となく失敗を繰り返しながらようやく送信ボタンにまでたどり着くことのできた貴重な情報。たった数十バイトしかなくても、その美しさは何物にも代えがたい。

 送信ボタンが押されるまでのきらめくような時間を思い起こしながら、私は0と1の大海原を進み出す。

 0と1の列がひっきりなしに過ぎ去っていく中を、そのわずかな隙間を縫って私は一歩また一歩と進んでいく。ぱっと見では到底隙間の見えない中を、自分が通れるわずかな隙間を見定めながら、徐々にではあるが、目的の場所に向かって前へ前へと歩んでいった。

 かつてと比べて行き交う情報量は格段に増加したように感じられる。私が昔、情報の担い手となった時にはこれほどの密度はなかったはずだ。たまに不意に飛んでくる情報にぶち当たることはあれど、進むために隙間を確認しなければならないほどではなかった。全方向に注意を向けてさえいれば、進むことに難渋することなんてなかった。

 おまけに今では情報のスピードさえも上がっている。昔みたいな注意力では、あらゆる方向から猛烈な勢いで飛んでくる情報を避けられない。ぶつかって、絡まって、その圧倒的なスピードに私はただ流されるだけになってしまう。そうして別の場所に着いてしまったら、今度は自分がその圧倒的な通信に組み込まれることになる。もっぱらそんな高度な通信を舞台に活躍している担い手たちもいるみたいだけど、私には向かない。そこで背負わされる情報は確かに様々なものを表しているのだけど、何か、大事なものが欠けているような気がする。

 そこで送信される情報は、あれほど圧倒的な量があるのに、迷いなく、流れるように送信されていく。今私が担っている情報量の数万倍もの重さがあるのに、そのたった数十バイトを送るまでに費やされた時間や動きが一切そこには見受けられない。ただ機械的に、作業的に流されるだけの情報でしかないのだ。

 そんな重い重い情報をやっとこさ送り先へと運べたとしても、到着次第すぐにまた同じくらい重い情報を背負わされる。ここにもやっぱり送り手の機微というものはない。重い情報の担い手となってしまえば、そんな情緒のない送受信の繰り返しを延々と繰り返すことになるだけだ。

 私はやっぱり、こんな特別な情報を送り届ける方が好きだ。どんどん隅に追いやられるような軽い情報量であっても、そうした通信が途絶えてしまう最後の時まで、私はこうした通信を担い続けたい。

 周囲の状況をこれでもかと気にしながら歩みを進めていると、中継基地が見えてきた。そこに至ってすらまだ道のりは半分程度だけど、たどり着けば少しは落ち着ける。私たち担い手は中継基地で改めて自分の行き先を確認し、再び出発することとなる。

 送信先と受信先との距離によっては、中継基地を何度も経由しないとたどり着けないこともある。私がこれまでで一番多かった時で、確か5回くらいは経由していたような覚えがある。今回は一度きり。この基地を出発すれば、あとは受信先へとたどり着くのみだ。

 基地へあと少しというところで、長い情報の列が目の前を通り過ぎた。情報の量も速さも増したこの世界では、少しの油断が命取りだ。眼前に迫った基地に気を取られて危うくぶつかりそうになり、気を引き締め直す。

 中継基地にも多くの担い手たちがひしめき合っていた。

 外の世界と同じように、ここでもある者は大量の情報を、ある者は小さな情報を抱えている。大きい情報を担う者たちは動きも早く、大きな身体をやっとこさ基地へと潜り込ませることができたと思いきや、そのまままた別の方向へと飛び去ってしまう。彼らのおかげで、いつの間にやら中継基地は忙しなさで溢れてしまった。今の私のように小さな情報を抱える担い手は、存在を無視されるかのような扱いを受ける。大量の情報を抱えた大きな担い手たちが、その巨体を揺らしながら、基地の中央部分を我が物顔で進んでいく。

 あんなのに巻き込まれてしまえば、私の小さな情報は儚く紛れ込んで消えてしまう。周囲の状況を確認しながら、あの貴重な情報に付随した受信先の情報を頼りに、その方向が近づくように基地内での場所をなんとか陣取っていく。

 ようやくその方向までたどり着けたとしても、外はまた無数の情報が飛び交う世界が広がっている。いくら忙しなくなったからといって、やっぱり中継基地は休息の場所だ。一旦自分の場所を確保できれば、そうそうどこかから他の担い手が飛んでくることはない。

 次の一歩のために一呼吸おいた。

 この短く、小さく、貴重な情報を届けるために。私は再び飛び出す。

 基地から外へ出る時も、デバイスの中から飛び出す時ほどではないけれども目眩を覚える。あまりにも多くの情報。それに加えて身も縮むほどの速さ。一体何がこれほど飛び交っているのだろうと、飛び交う担い手の合間を縫ってその情報の一部を読み取ってみたことがある。飛び交う情報は割と似たようなもので、色や明るさなんていう様々な属性が付与された画像の連なりだったり、数値や図形が縦横無尽に張り巡らされたファイルだったりが、そうした重い情報の大多数を占める。

 私が背負っているような単一記号だけの小さな情報なんて、これほど情報が溢れている外界であっても見ることはない。もちろん小さ過ぎて埋もれているだけなのかもしれないけど、それにしても昔より随分と数を減らしたような気がする。

 だからこそ、私のような小さい情報を好んで担う者が大事だという気持ちを抱くことができる。あまりにも情報が多くなって、私のような者が活躍できる場所は限られてしまった。こうした軽く貴重な情報を運び続けることを選択し続けなければ、無条件に重い情報を背負わされてあの猛スピードの流れの中に巻き込まれてしまう。

 時たま中継基地の中で、私と同じように小さな情報を背負っている担い手たちに声をかけることがある。大きな担い手たちが飛び交う中で、ごくわずかの時間しか話すことはできないけれど、それでもそうした担い手たちの中には、私と同じ確固たる信念を感じることができる。

 失われてしまいそうな儚いものたちを担っているという自負。それが私たちを、次の通信へと向かわせるのだ。


 ここら辺のはずなんだけど。

 そうこうしている内に、なんとか今回も受信先の場所付近までたどり着くことができた。もちろんここにも溢れんばかりの情報が飛び交っていて、油断をすれば簡単に巻き込まれてしまう。

 これまでと同じくらいの注意を維持しながら、情報に付随した受信先の番号をくまなく探していく。場所はかなり絞られているはずなのにそれでもまだまだ視界には候補が溢れている。移動するたびに次々と浮かんでいく番号を確認しながら、これでもない、これでもないと慎重に移動していく。

 あれは! いや、少し違う。

 これは? 全く違った。

 こんな一喜一憂を繰り返しながら、その内ようやくその番号が見つかる。

 これだ! 間違いない!

 何度も何度も番号を確認して、そこが受信先だという確信を得る。見つかった瞬間の喜びは何物にも代えがたい。ましてやあれほどの時間を費やして生み出された輝かしい情報の送り先なのだ。その担い手として、小さく貴重な情報を届けられたという喜びは、大きな情報を送り届けた時よりも大きい。

 はやる気持ちを抑えつつ、慎重に、確実に、その受信先へと潜り込む。

 デバイスの中には思いの外多くの情報がやり取りされていた。その中には外界で見るような大きな画像の連なりもあった。

 大きな情報よりも大事なんだと、我先にと届けたい気持ちを抑えつつ、しばらく待ってようやく背負った情報をデバイスへと格納することができた。きっちりとその中に収まっていく情報を見届け、私はようやく本当の意味での安堵を感じることができた。

 情報を送り届けた担い手たちは、次の情報を背負うまでしばしの間デバイスの中で休息をとることとなる。デバイスの一部として組み込まれ、そこで起こる様々なことも感じられるようになる。

 私が運んできた情報は、無事デバイスの持ち主へと届いてくれただろうか。

 そわそわしていると、その情報が確認されたという動きを感じ取ることができた。

 そしてその直後に、文字列が書き込まれる情報の流れを感じる。

 送り主のかけた時間よりも大幅に短かったが、それでも何度か失敗を重ねながら、ようやく送信ボタンへと優しい圧力がかかった。

 その間、他の情報のやり取りはほとんどなかった。ただ純粋に私が送り届けた情報を元に、このデバイスの持ち主が反応を返してくれたようだ。

 あまり休憩も取れなかったけど、その動きを察して私の身体は早くも情報の積載場所へと動いていた。小さな情報を好んで運ぶ担い手はあまりいない。私の狙い通り、他の担い手に邪魔されることもなくその情報を背負うことができた。

 私はまたこのデバイスを訪れることになる。それは、何度も担い手を続けてきた経験の中で確信できることだ。

 丁寧に打ち込まれた情報に、これまた丁寧な返答。担い手の感覚からすれば途方もなく長い時間をかけて打ち込まれたごくわずかの情報が、同じくらい時間をかけて生み出された情報へと繋がっていく。

 その連なりはきっと、2つのデバイスをゼロになるまで近づけていくことだろう。

 これからのことを思いながら、私は新たな情報を確実に送り届けるという覚悟を胸に、このデバイスを飛び出した。

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