勇者を暗殺せよ。~無能力スパイの異世界戦線~

佐馴 論

プロローグ ”異世界”にて

「いよいよこの時が来たんだ、みんな!俺たちは砂漠のポリス、偉大なる『スーザ』の代表勇者旅団として、神に背いた穢れた世界『ネムス=フェルム』に渡る。準備は出来てるな?」


 まばらに据えられた松明のあかりに、ほんのりと照らされた洞窟の中。

 ふと、深い青の光に洞窟内がぱっと明るくなる。光の円が地面に描かれ、その中を幾何学模様が埋め尽くしていく。

 その『転移神技幾何円陣テウルギア=イェーフィラ=エウクレイディア』の前に立つ“勇者”ダリウスは、蒼い刀身の剣を高く掲げた。

 振り返った彼の前には、4人の仲間たちがいる。


「あうう……忘れ物無いかなぁ」


 布袋をガサゴソと漁る少女の頭から、黒いマントのフードが落ちる。まだ10代そこそこの華奢で、可憐な“巫女”である。


「ドリュペティス。足りないものがあったら僕が上げるよ。大丈夫」


 弓矢を肩にかけ、巫女の頭を優しくなでる美しい女性。彼女の耳はとがって細長く、その眼は淡いグリーンだった。彼女は精霊族ニンフェの“弓兵”エウリュディーケである。


「それに魔力ぐらい、こいつの回復の矢ですぐ元通りだろい」


 筋骨隆々、両手の籠手をがつんと突き合せ、“剣闘士”のスパルタクスが言った。見た目通りの太い声が、洞窟内に響き渡った。


「ははは!みんな頼もしいな!ネムス=フェルムの野蛮人を血祭りに上げる準備はばっちりのようだ!」

「おうよ!楽しい冒険の始まりだ」


 そのように軽口をたたき合っているダリウスとスパルタクスを、その背後で静かに見据えている男が居た。彼は深紅のマントとフードで全身をすっぽりと包み、未だ一言も発していなかった。

 そんな彼の肩に、ダリウスは手を乗せた。


「さて、君も準備はいいかい?アエネイス」

「……ああ」

「君の“生業なりわい”は、かの世界でとても重要だ。気を引き締めて、いこう」

「分かっている」


 男はフードを外した。


「共に戦おう、勇者たち」

「ああ!」


 彼らは、輝く円陣の中に踏み込んだ。


「ドリュ、詠唱を」

「……はい」

「さぁ、行こう。かの世界の軍勢をなぎ倒し、この世界に平和を――」

「あぐあっ!!!」


 剣闘士スパルタクスの絶叫が、上がった。

 彼の首から噴き出した鮮血が陣を汚し、青い光が徐々に弱まっていく。


「スパ――」


 即座に弓を構えたエウリュディーケの美しい顔が、苦渋にまみれる。


「な、何故……」


 彼女の背後に立つ、一人の人物。

 その手に握られた銀色のナイフが、精霊族ニンフェの赤い血に染まった。

 そしてその凶刃は、瞬時のうちに引き抜かれ、勇者ダリウスの無防備な胸に向かって――


「はっ!!」


 ダリウスの蒼い剣が、その刃を弾いた。

 だが剣の刀身には深いひびが入り、それはもはや使い物にならなくなった。


「……失敗か」

「何が失敗なんだ!?」


 ダリウスは、剣を構える。

 彼が対峙するのは、アエネイスだった。先ほどその肩を叩いた男――彼がこれまで仲間と信じていた男に他ならなかった。


「そのナイフ……まさか、“鉄”なのか?」

「よく分かったな」

「スパルタクスとエウリュディーケの防具は、そう簡単に破られない。やれるとすれば……“鉄”だけだ」

「お前も、これで殺す」

「させないぞ……仲間の仇は、俺が取る!」


 ダリウスは、傍らで震える巫女ドリュペティスの前に回り込み、彼女を庇う様に位置取っていた。


「ドリュ、神技テウルギアを一時解除。防御姿勢を取ってくれ」

「えっと……」

「アエネイス!!君は仲間じゃなかったのか!?」

「仲間ではない」

「それに“鉄”を扱うだなんて……まさか、ネムス=フェルムの刺客なのか?」

「答える義理は無い」

「だったら……生かしては、おけないな」


 折れかけの蒼い剣が光る。その刀身を、らせん状の炎が包み込む。


「燃え尽きろ!!イグニス=マグヌス大炎の神技!!」


 突き上げた剣から爆発するように、巨大な炎が起こる。

 洞窟内で逃げ場のない男に、その火炎は直撃した。

 岩肌は高熱によって溶かされ、煙と蒸気が満ち満ちる。


「……嘘だ」


 ダリウスは見た。

 砂がドーム状に形作られ、アエネイスを炎から守っていたのだ。

 それは『サーブルム=テスタ砂殻の神技』と呼ばれる神技で、砂はさらさらと形を失っていった。


「嘘だ!」


 ダリウスは振り返った。


「何故……神技テウルギアで奴を守るんだ!」


 彼は、巫女ドリュペティスの姿を捉えた。

 彼女の眼は、許しを請う様に、歪んでいた。


「アエネイスは敵だ――」


 ダリウスの背中に突き立てられたナイフ。

 彼は崩れ落ちるように、黒い地面に倒れ伏す。


「……ドリュ……君は、俺の仲間では――」


 倒れた勇者の傍にアエネイスは膝をついた。


「勇者、一つだけ教えてやる」

「な……」

「お前たちがネムス=フェルムと呼ぶ場所は、人間の正しい世界だ。お前たちの、この世界の方が偽物なんだ」


 ダリウスの首が、かき切られる。

 同じように首元を切られた死体が、3つ並んでいた。

 それを見下ろす2人の視線が、交差した。


「これで……お父さまとお母さまは、救われるのですよね?」


 ドリュペティスが、アエネイスに駆け寄る。


「そうだ。ダリウスの手下も、俺の仲間が倒しただろう。ご両親は救われる」

「でも……未だに、信じられません」


 彼女は、既に息絶えた勇者の死体に振り返った。


「勇者さまが、お父さまとお母さまを人質に取っていたなんて」

「奴はお前の力欲しさに、ご両親を脅していたんだ。お前を無理やり旅団に加えるため、スーザ王と手を組んでいたんだよ」


 アエネイスは、巫女の小さな身体をそっと抱きしめた。


「私は……もうどうしたら良いか分かりません。スーザには帰れません」


 ドリュペティスが、潤んだ丸い瞳でアエネイスをじっと見つめた。


「……私を、どこかに連れて行ってください」

「安心しろ。連れて行ってやるとも」

「アエネイスさま……」

「お前たちが言うところの、冥界に」


 ドリュペティスの胸には、銀色のナイフが刺さっていた。


「……そ、んな」


 死体は、4つになった。

 男はそれぞれの脈が止まったことを確認し、洞窟を出口に向かって進んだ。


「終わりましたか?」


 出口で彼を出迎えていたのは、汚れ一つない白い布の服に身を包んだ痩身の美青年だった。


「ヘリオス、協力に感謝する。旅団メンバー4人は殺害した」

「まさか旅団の巫女を篭絡してしまうとは……恐れ入りますよ」

「これでスーザ国内はしばらくごたつくな」

「ええ。王肝いりの旅団が何も戦果を挙げられず帰っても来ない……民心は王から離れていくでしょうね。ところで――」

「きちんと約束は守る」

「次の勇者旅団はわが“神託のデルフォオイ”が取り仕切ります。有利に進められるよう、あなたのもつネムス=フェルムの情報と案内が必要です」

「むこうには既に連絡してある。安心しろ。俺が繋げば、必ず勇者旅団は戦果を挙げられる」

「頼もしい。よろしくお願いしますね、アエネイスさん」


 ヘリオスは小さく笑って、部下に集合の合図を送る。

 彼らが洞窟の中に消えて行ってから、男は歩き出した。

 夕日は間もなく、落ちようとしていた。


「コードネーム“アエネイス”より、作戦名『レコンキスタ』第367日目音声報告。推定第23異禍事変の阻止に成功。推定第24異禍事変実行犯とも関係を構築している。明日、実行国である神託のポリス『デルフォオイ』に入る」


 男はSONY製のボイスレコーダーに声を吹き込み、それを布袋にしまった。

 彼は今度も救った。まるで魔法のような超常の力、恐ろしき幻獣、そして奇跡を起こす神々――“異世界”から現れる襲撃者から、“かの世界”の人々の命を救った。

 いや彼にとっては“かの世界”という呼び名はふさわしくないだろう。

 彼が生まれ育った“人間の世界”を、彼は守ったのである。

 たった一人、誰一人の味方を持たず、彼は“異世界”で、今日も暗躍する。







 西暦2020年某日。ロシア連邦首都モスクワにて記録された映像。記録者はロシア陸軍首都防衛担当第一師団所属。


『ははは。ついに現れやがった。ふざけたコスプレ野郎ども……!見ろ!対地ヘリの機関砲をぶち込んでやれ!!……おいおい、嘘だろ。効いてないのか?』


 黒煙から現れる人影にフォーカス。鎧にマント、剣一本を携えた青年。(以後、異禍いかRU6号と呼称)彼の振り上げた剣の刀身が


切っ先を地面に向け、真下に振り下ろす。


『あんな棒切れで何が――』


 強い発光。映像一時乱れ。


『ヘリはどこだ……』

『馬鹿野郎!!いつまでそこに居る気だ――』


 突如画面に迫る、燃え盛るヘリ。

 爆発音。画面は砂嵐。不明瞭な音声を記録。


『退却命令!退却命令!!』


 映像復帰。しかしカメラを持つ者はいない。地面に転がったカメラは記録を続けている。


『防衛対象に砲撃!大統領府損壊!!』

『砲撃じゃない……奴らそんなみみっちいことはやらないだろ!』

『じゃあ……』

『魔法だ……あの小娘、杖から光線を――』


 燃える大統領府。その入り口に立つ5つの対象を確認。

 5分前に確認された異禍RU6号。

 杖らしき道具を持った白い布装束姿の女性(以後RU7号)

 馬に酷似し、翼の生えた動物に跨る人物(以後RU8号)

 4足歩行、馬の下半身に人間の上半身が付いた生物(以後RU9号)

 弓矢をつがえる人影(以後RU10号)

 RU7号が杖を振り上げると同時に、その周辺が赤い光の壁に囲まれていく。


『異禍特殊領域攻撃の兆候確認!!回避行動!!!』

『もう、だめ――』


 赤い光が画面全体に広がる。

 記録映像、終了。

 以上までの記録が、ロシア連邦大統領府前における戦闘の一部始終である。

 この戦闘『第20異禍事変』をもって、ロシア連邦共和国は統治機能を喪失。

 ロシアという国は、この世界の地図から消えたのであった。

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