終章 あの日

Epilogue

 映画「鬼神の葬式」の撮影は韓国で終わった。撮影のほとんどは日本で行われたが、主人公の幼少時代の舞台は韓国であったため、順番は前後するものの、最後に韓国での撮影を行ったわけだ。舞台監督である智子からは、主人公のライバル役としてのオファーがあった。しかしあたしはそれを断り、むりやりに主人公の幼少時代の母親役をやることにした。ほとんど出番のない、脇役中の脇役だったが、あたしは彼女の役をやって、彼女の気持ちを知りたかったし、それに、撮影に乗じて韓国に来てみたかった。

 主人公は裕福な家で暮らしているという設定であったため、撮影はソウルのなかでも富裕層の多いカンナム区で行われた。撮影はもろもろを含めても一週間ぐらい。智子と恵子は来れなかったけれど、バンド「トリ」が「鬼神の葬式」の主題歌をうたってくれるとのことで、近所でPV撮影があり、ボーカルの子とちょくちょく飲みに行けて楽しかった。高校最後の文化祭の話で盛り上がった。主題歌のタイトルは「赤い夏」という。あたしたちはたぶん、おなじ夏を共有している。

 クランクアップのあとに打ち上げが行われ、次の日にはもう日本に帰る手筈だった。あたしも女優としてだいぶ売れ始めてきたので、予定はかなり詰まっている。あたしは無理をいってマネージャーに一日のオフを作ってもらい、コンジュ市に向かった。


 ソウルからコンジュまでは、高速鉄道のホナム線に乗って一時間ぐらい。高速鉄道というのは、日本でいう新幹線みたいなものだ。新幹線に乗るとき、あたしはふつうグリーン車を選ぶのだけど、韓国だと顔も割れていないだろうし、ごく短時間なので、特室トゥッシルではなく一般室イルバンシルを選んだ。

 サングラスを着けず、人目も気にせず電車に乗るのは久しぶりで、気持ちよかった。車窓の向こうの景色を見ると落ち着くのは、その風景が自分のなかにあるからだろうか。隣の席にはスーツの整ったおじさんが座り、気難しそうにパソコンを叩いていたが、立った拍子にお茶を買ってきてくれた。その流れでおしゃべりをした。おじさんの行先はモッポらしく、コンジュで降りたことはないとのことだったけれど、スマホで調べながら観光地を教えてくれた。韓国人は総じて反日であり、とりわけ在日韓国人はパンチョッパリと呼ばれ嫌われる、というイメージがあったので、日本で暮らしていることは言わないでいた。しかし日本語を母語として育ったことはちょっとした訛りで分かるみたいで、言い当てられはしたものの、悪口のような言葉は投げられなかった。モッポは元々、日本人の町でもあったらしい。彼は日本についても詳しく、十年前の日本シリーズにおける阪神の残念な負け方について盛り上がった。好きな選手は当然スンヨプかと思えばそうではなく、西岡らしくて、びっくりした。小坂とどっちが遊撃手としてふさわしかったか、ちょっとした言い合いになって、それも楽しかった。

 韓国人がみんな国民的打者スンヨプを好きなわけではないんだ。あたしにも、偏見のようなものがあったのかもしれない。大切なことを教えてくれた名前も知らないおじさんに感謝をした。コンジュ駅で降りると、あたしは彼に向かい車窓ごしに手を振って、電車が去っていくのを見守った。


 コンジュ駅は市の外れにあり、駅前には申し訳程度のロータリーがあるだけで、あとは田畑が広がっている。その風景を見ると、涙が込み上げてきた。ババアが子どもだった頃、まだ韓国にいた頃、この駅はなかったはずだ。にも関わらず、電車に乗ってコンジュを離れるババアの気持ちが伝わってくる気がする。とてもさびしい風景だった。ユダの駅前にも似ている。

 ババアの両親はとうぜん亡くなっているだろうし、ババアが子ども時代を過ごした家が残っているのか分からない。妹のカンジヨンに訊けばあっさり教えてくれる気もしたけど、もう彼女と話したくなかったし、いまさら生家を見てどうにかなるわけでもないので、訊かなかった。あたしがコンジュを訪れたのは、ババアのふるさと巡りが目的じゃない。あたしはあたしのルーツを探るため、会いたいひとが一人いた。「ひかりの園」の名簿なんかはまったく残っていなかったし、本来であれば会うのは不可能だっただろう。ババアの遺品のなかにその少女の名前と実家の住所だけ書かれた紙が混じっており、それを辿るのも難しかったが、とにかくあたしは彼女と連絡を取ることができた。

「ミザ!」

 指定されたとおり、駅を出てすぐのところにある球形のモニュメント前で待っていると、あたしを呼ぶ声がした。美子、はハングルで、ミザ、と読む。

「ヨナ!」

 あたしは彼女の声を呼び、振り返る。彼女の髪は長く、相変わらずしろく、背は低くて痩せているけれど、顔付きはとびきり美人だった。ひいき目なようだけれど、あたしにも似ている。ヨナはあたしの血が繋がった姉だ。そして「ひかりの子どもたち」のリーダーであり、あたしが最後に「ひかりの園」を訪れたさい、殴りつけた相手だ。

 ヨナはあたしの胸元に飛び込んできた。あたしはそれを受け止めるかたちで抱き締める。体温と匂いと手ざわりを確認する。同じ血を宿していることをたしかめるみたいに。

「ヨナ、声が出るようになったの?」

 あたしはそのことを尋ねた。「ひかりの子どもたち」は、初潮が訪れると、煮え湯を飲まされて喉を潰されていたらしい。「ひかりの園」は、娼婦を斡旋する施設でもあったようだ。当時ヨナに会ったさいも、ヨナは喋れなかったと記憶している。その経緯を思いやれば、訊くのははばかられたが、付け焼刃ながら韓国の手話を覚えてきていたので、どちらでコミュニケーションするべきか確認しておこうと思ったのだ。

「うん、薬も飲んでるし、一時間ぐらいなら喋れるよ。今日のために気合いれてリハビリしてきたから、いっぱい話そ」

 ヨナはそう答えた。声はひどく嗄れていて、弱々しいものだったが、無邪気な笑顔には当時の影は見受けられなかったから、ちょっとだけ安心した。

『せっかくだから、韓国語でいいよ。あたしもちゃんと勉強してきたし』

 ちょっとたどたどしかったかもしれないけれど、あたしは韓国語でそう伝えた。ヨナは目を丸くして、

『すごい! さすが私の妹』

 と言い、あたしの頭を撫でてくれた。


 ヨナの家はコンジュの郊外にあるアパートらしく、あたしたちはタクシーを捕まえてそちらに向かった。タクシーのなかで簡単にだけ近況を聴いた。

 あたしが「ひかりの園」で暴力事件を起こしたすぐあと、「ひかりの園」は解散になったという。ヨナの両親(つまり、あたしの両親でもある)は、東京に住んでいたそうだが、もともとヨナやあたしを手放したのは口減らしが目的であったため、ヨナを引き取ることは拒否したそうだ。その代わり、コンジュに残している安アパートを与えてくれて(手切れ金みたいなものだったのだろう)、ヨナはユダの教会にもらった片道分の航空券だけ持ってコンジュに越してきたらしい。その当時に始めたライターの仕事が今も続いているという。その頃、ヨナは声が出なかったため、たったひとつ出来たのが「文字を書くこと」で、忘れかけていた韓国語を必死に勉強しなおし、日銭を稼いで生き繋いできたのだ、と、不思議なぐらい悲壮感のない笑顔を浮かべて言った。

『あの……、最後に会ったとき、ごめんね、殴って』

 ひととおり近況を聴いたのち、あたしはそのことを謝った。それはあたしがヨナに会う目的のうち、一番大事なことだったかもしれない。

『なんで? 全然いいよ。ていうか正直、あの事件が問題になったからエデンは解散になって、私はエデンを離れられたんだよね。感謝してるんだよ』

 あの施設の本当の名前は韓国語で、「エデン」を意味する。ババアはあの施設を「エデン」とは呼ばず、「ひかりの園」と自分だけの名前を付けて呼んだ。ババアがあの場所で「ひかり」を見つけたことの意味を、あたしはあれからずっと考えている。

『そんなことよりさ、ミザ、覚えてる? あのとき、私を殴ったとき、ミザが私になんて言ったか』

 ヨナは相変わらずの無垢な表情で、あたしにそれを尋ねた。あたしは黙ったまま頷く。ババアが死んでその言葉をようやく思い出した。そのときからずっとしこりのように残っていた。どうしてあんなことが言えたのだろう。いまあたしは同じ言葉を口にすることができない。それは当時のあたしが不誠実だったと、それを認めることになるだろうか。

『「痛いなら痛いって言え」。そう言ったんだよね』

 ごめんミアン、という言葉を声にできないまま、口だけを動かす。たとえばあのとき、ヨナは同じように、何かを言い返したくても、何も言えなかったかもしれない。その言葉をあたしは今、受け止めなければいけないと思う。

『別に気にしてないんだ。ほんとうに、全然気にしてなかったんだ。ただね、あれからエデンが解散して、日本を離れて、ひとりコンジュにやってきて、大家さんになんとか筆談で事情を説明して、鍵を受け取って、部屋に入って、もうそのときが深夜。それで、電気が点かないことに気がついたとき、ふとね、ミザに言われた言葉を思い出したの』

 あたしはその場面を想像しようとするけれど、まるで分からない。ババアの痛みが死ぬまで想像できなかったように。だからあたしはせめて話を聴こうとする。受け止めようとする。たったひとりの血のつながった姉の、あたしにもあったかもしれない、もうひとつの人生を。

『それで私、泣いた。産まれて初めて号泣した。エデンでどんなに苦しめられても、どんなに辱められても、何も思わなかったのに、ミザの言葉を聴いて、ああ私は、泣いてもいいんだ、って思って。痛いって言っていいんだって思って、ものすごく泣いた。一晩中泣いた。実はすごく辛くて、恥ずかしくて、痛かったってことを、ようやく知ったんだ』

 あたしがあの言葉を忘れて生きていたとき、ヨナは同じ言葉を背負って生きてきたのだろうか。交錯するもうひとつの人生に対し、あたしは何ができるんだろうか。ずっとそのことを悩んでいた。ヨナの連絡先をババアの遺品のなかから見つけたとき、その意味に気づいたとき、韓国の役所や探偵を頼って必死にヨナの居場所を探していたとき、韓国語を勉強していたとき、ヨナに初めてメールを送ったとき、会いたいというメールに返信するとき、あたしはヨナに何ができるんだろうと、そのことをずっと考えていた。あたしが恵まれた人生を送っている一方、ヨナがそうでないことは尋ねるまでもなく分かった。たとえばあたしがヨナを連れて日本に帰るとして、それでヨナを養っていけば、それはハッピーエンドだろうか。それともあたしが韓国に移住し、ヨナとふたりで暮らしていけば、ハッピーエンドだろうか。あたしはずっと探しているその答えを、姉妹の、家族のありかたを、今をもっても見つけられないでいる。

『だからね、ミザ。私はミザに、感謝してるんだよ。あのとき、私は一生分泣いたから、もう泣かないでよくなったんだ。私はミザの言葉のおかげで、強くなれたんだよ』

 あたしはヨナの笑顔の意味を知った。彼女をそう変えたあたしの言葉の重みや罪についても。それをいまさら釈明なんてできない。だってヨナの強さは、あたしのそれとはまったく異質だ。しいていえば、ババアの強さに近いかもしれない。

 この旅はもしかしたら、ババアの強さを探すためのものなのだろうか? あたしはいつも、どこにいても、導かれるようにそれを追いかけている。


 ヨナの家は、郊外の団地群のなかにある古びたアパートの一階だった。朝鮮戦争のすぐあとに建てられたアパートらしく、築六十年近いという。あたりはスラムといったほうが適切なぐらいに荒れており、ゴミが散乱した草地に饐えた匂いが漂っている。背丈ほどの雑草をかき分けて進むと、洗濯板の入った大きな金たらいとキムチの壺が見つかった。その奥に、ボロボロの木で打ち付けられた扉が隠れている。扉は簡素な南京錠で封じられていた。

『狭いけど、いちおうきれいにしてあるから、のんびりしていってね』

 ヨナはそう言い、扉を開けると、なかに入るようあたしを促した。


 外見はぼろぼろだったけれど、家のなかは思いのほかすっきりとしていた。ライターの仕事が関係しているのか、壁一面が本棚になっており、紙類は多く見つけられたけれど、ほかはモノがごく少ない。場所を取っているものはパソコンと冷蔵庫と丸いローテーブルぐらいしかなかった。ちょうど四畳半ぐらいの大きさの正方形で、京都やユダのババアの家と似ていたので、なんだか安心した。冷蔵庫を開けると麦茶が詰まっていて、それもババアと同じだったから、ちょっと笑ってしまった。

『ミザが来るからちゃんと掃除しといたんだよ。飲み物、冷たいお茶でいい? 床で悪いけど、適当に座っててね』

 ヨナは冷蔵庫を開けたままそう言った。あたしは『ありがとう』と生返事を返し、ローテーブルのうえに散乱している書類をなんとなく見やる。パソコンで打ったものをプリンタで印刷したようだが、書かれているのは日本語だった。

『ああ、それ? いま書いてる小説なんだ』

 あたしの目線に気づいたヨナは、麦茶の入ったグラスをあたしの手元に置いてくれたあと、そう言ってあたしの正面にあぐらを組んだ。

『これ、日本語で書いてあるけど……』

 あたしは目線を落としたまま、何気なく文章を追う。生粋の日本人が書いたものとそん色ない、きれいな日本語だった。いや、そのへんの作家が書いたものより文体だけならずっと美しいように見える。あたしはあまり本は読まないが、例えば恵子の書いたものより整っていた。

『そうだよ、日本で出したい小説だから、いま日本語で書いてるんだ。出版社のコネはあまりないけどね。最悪、新人賞に出す手もあるし』

 ヨナは日本語で書くということに何の疑いもないかのような、自然な口調でそう応えた。

『どんな小説なの?』

 あたしはそう尋ねながら、紙をめくる。タイトルはまだ決まってないようだが、文章に淀みがなく、完成は近いように見える。たとえばあたしがこの作品の校正を頼まれたとしても、何も言えない気がした。

『カンチヘ十五歳、ていう作品は知ってる?』

 ヨナはあたしにそう尋ね返してきた。ぎく、とする。知らないわけがない。ババアがかつて書いた私小説だ。

『読んだことあるよ』

 ババアの話はせず、端的にだけそう答えた。ババアの過去が知りたかったので、葬式を終えたあとにすぐ韓国から取り寄せて読んだ。当時はまだ韓国語を勉強しはじめたばかりだったので、辞書を引きながらの読書はかなり苦労したが、文章は整っていたし、それに内容を不思議なぐらいすとんと受け入れることができたので、むしろ韓国語を学ぶいい機会になった。

『私はねー……、この小説で、あのカンチヘ十五歳を、否定したいんだ』

 ヨナはこれまでで一番はっきりした声でそう言い、麦茶をごくりと飲んだ。あたしとよく似た、かたちのいい目元がいたずらっぽく緩む。あたしはこの表情をよく知っている。見たことがないのに知っている。あたしがドラマや演劇で難しい配役に挑戦するとき、いつもこの表情でわらうんだ。

『女、韓国、障害。このみっつの否定ってこと?』

 あたしはそう尋ねた。「カンチヘ十五歳」はフェミニズム文学の走りとして分類されるのが一般的だが、他にも韓国や障害というリベラルな素材を扱ったものとして知られ、評価されている。日本でほとんど翻訳されていないのは、その評価も絡んでいるのだろう。日本はまだ文学においてすら保守的なきらいがある。

『そうじゃない。私は、カンチヘ十五歳と同じように、女、韓国、障害をテーマにして書く』

 ヨナは挑発的な目つきのまま、謎かけをするようにあたしを見つめた。あたしは彼女の本意が分からないでいる。カンチヘ十五歳と同じテーマを扱うならば、同じ趣向の作品になるはずだ。それとも、同じテーマを真逆のベクトルで書くのだろうか?

『筆名は、「ヤス」。名字はまだ決めてないけど、なんでもいいかな。「木下」とかね』

 ヨナの答えは答えになってない気がして、意味を分かりかねた。それでも「木下ヤス」なんて作家がいるとすれば、名前のよくにた人物を、世界でいちばん売れた本をつくった人物をあたしは知っていた。神の子と呼ばれた彼のことを、あたしはいまでも信じていない。

『つまり、私はこの作品を、おとこ、日本人、健常者が書いたものとして、発表する』

 ヨナの種明かしを聞くと、あたしは唾を呑み込んだ。その真意は掴めないまでも、大枠については想像ができた。そして、彼女の挑戦がどんな結果を産むであろうかも。

『反発食らうよ』

 なにかを考えるより先に、あたしはまずそのことを口にしていた。あたしはいま何よりも、ヨナのことを心配していた。

『絶対に、反発食らうよ。ヨナだって分かってるはずだよ。フェミニズム文学は、女が書くから文学足りえるんだよ。たとえ同じ内容でも、おとこが書いたってわかったら、絶対に受け入れられない。世に出してもらえないならまだマシなほうで、まかり間違って世に出たら、絶対に叩かれる。女が分かってないとか、頭で考えて書いてるとか、生々しくないとか、血の匂いがしないとか。生理の痛みも分からないくせにとか、生理の血の匂いも知らないくせにとか、産む苦しみも産まない苦しみも感じないくせにとか。ジェンダーや国の違い、障害のあるなしっていう、ほんとうに仕方がない、ありとあらゆる理不尽をふりかざして。わかるんだ。あたしは、そういうふうに戦ってきたひとを知ってるから。同じように、ぜったい叩かれる。。あたしは……』

 ヨナにはもうこれ以上傷ついてほしくないんだ。女というだけで。あるいは韓国人、障害者であるというだけで。ババアみたいに。そんなことを言おうとしたけれど、言えなかった。あたしは恵子が小説に向き合うやり方をよく知っていたから、それ以上に切実であったかもしれないヨナの生き方について、いまさら何も言えないと思った。

『子を産めない女、産んだことのない胎、乳を飲ませたことがない乳房は幸いだ』

 ヨナはぽつりと言った。本読みのような言い方だったから、何かの引用なのだろうと思った。あまりに唐突であったためしばらく何のことか分からなかったが、ヨナとあたしが共有する数少ないものを思いだせば、おのずとその正解に行きついた。

『ヴィア・ドロローサ。ルカの福音書・第二十三章だね』

 ヤスさんが十字架を背負ってゴルゴダの丘に向かう道中、ヤスさんが道端の婦人に語りかけた言葉だ。

『この言葉、フェミニズムでしょ。この世界の価値観は、キリスト教に立脚してる。それを産んだのは他でもない、おとこだ。だからフェミニズムだって、元々はおとこのものなんだよ。二千年前から、ずっとそうだった』

 あたしはその言葉を、ババアのものであるかのように聴いた。ババアの産んだ作品がヨナにあたらしい作品を書かせる。であればそれは、ババアの作品と考えてもそう間違ってはいないはずだ。

 ババアはどうして生涯に一作品しか書かなかったのだろう。そのことがずっと疑問だった。「カンチヘ十五歳」は少なくとも韓国ではすごく売れた。続編を期待する声も多かったはずだ。ただその反応は、ババアの望んだものではなかったかもしれない。しかしババアはそれを裏切る作品を書くことはできなかった。ババアは本当はとても、やさしかったから。

 もしもババアが続編を書いていたとしたら、それはヨナが書きたいそれのような、「フェミニズムの否定」だったのではないだろうか。

『私はこの作品で、おとことおんなを反転させたい。そのためには、逆説的に、おとこの書いたフェミニズム作品で、世界中を怒らせることが必要なんだ』


 言いたいことをすべて言い切ったかのように、そのあと、ヨナの声は出なくなってしまった。手話と筆談を交えてすこしだけ話をした。ヨナはあたしに筆談で《ミザの夢はなんなの?》と尋ねた。

 あたしの夢はなんであろう。女優になりたかったときもあった。月9で主演を張りたかったときもあった。ハリウッドの映画に出たかったときもあった。アカデミー主演女優賞を取りたかったときもあった。歌手になりたいときもあった。車が欲しいときもあった。家が欲しいときもあった。家族が欲しいときもあった。死にたいときもあった。生きたいときもあった。韓国に移住したいときもあった。ババアと暮らしたいときもあった。ヨナと暮らしたいときもあった。あたしは……。


《あたしは、誰のものでもない子どもを産みたい》


 考えたすえ、紙の端っこにそんなことを書いた。余白はもうなかったから、ヨナは何も書かなくて、書けなくて、ただあたしを肯定するかのように、笑いかけてくれた。「神様の葬式」でババアが見せた素晴らしい無言劇を思い出した。ヨナもあたしも、同じような夢を追いかけているのかもしれない。あたしたちは、マリアだ。おなかのなかからは夏の匂いがしてる。


 ヨナがはるばるキムポ空港まで送ってくれた。出発ぎりぎりの、放送で呼び出しをされるまでヨナとお茶を飲み、別れ際、また会うことを約束し、キスを交わして、飛行機に乗った。

 振り返ると日本国旗が見えて、いまから日本に帰るのだということをふいに実感し、おなかがさびしさできゅんと痛くなった。あの日のセンリデは、日本国旗に似ている。


 やがて飛行機が飛び立ち、シートベルトの着用サインが消えるころには、機内に日本語と韓国語がぐちゃぐちゃに混じりあった。あたしはやけに聞き心地のよいそれに耳を預けながら、目をつむり、ぼんやりと夢のことを考えていた。誰のものでもない子どもなんか産んだら、みんなに怒られるだろうなあ、と思う。でもヨナが預言したように、怒らせたらいいのかもしれない。怒らせていいのかもしれない。鬼神がつくった世界パーフェクトワールドが反転するためには、そんな発火装置が必要なんだ。

 まぶしくなって目を開くと、窓の向こうには海が見えた。それは日本海だろうか、東海トンヘだろうか。すべての分断を川が表象している。日本と韓国のように。健常者と障害者のように。おとことおんなのように。夏ではない季節、夏の匂いを川の向こうへ置き去りにする。遅れてきた二日目はもうすぐ終わり、してはいけないことが始まる。

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鬼神の葬式 にゃんしー @isquaredc

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