寄る辺がない

草森ゆき

 

 俺は犬を殺さなければならない。餌で釣って、或いは罠にかけて、或いは石を投げて足を止め、動けないよう足か頭かを潰さなければならない。もう随分長い間そうしている。


 小学生の頃の話だった。親友である東と家でゲームをして遊び、帰ると言うので玄関先まで見送りに出たときだった。また明日、とぶっきらぼうに言いながら玄関を開けた東は一歩も踏み出さずに佇んでいた。

 どうかしたのかと問い掛ける。東は変な顔をしながら振り返った後、足元に視線を下ろした。同じところを覗いてみると汚い布の塊が落ちていた。

「うわ、なにこれ?」

 誰かが家の前にゴミでも捨てたのだろうか。しゃがみ込んで拾い上げると、布は一応何かの形をしていて、それなりに質量があった。どうも人形らしい。

「赤ん坊くらいの大きさだな」

「へえ? お前の妹ちゃんもこんなもんだった?」

「ああ」

 片手では少し辛いが両手ではあまる、というぐらいの大きさだ。くるくると回して全体を確認してみると赤いボタンふたつが縫い付けられた部分があり、雑なつくりでも顔だと認識できた。よくみれば手足らしきものも伸びている。

 東が身を乗り出して、俺の手の中にある人形に触れた。しかし小さく呻いたあとに直ぐ引っ込めて、眉間に皺を寄せながら俺を見た。

「おい、針刺さったみてえだったぞ」

「ええ? 大丈夫か? 怪我した?」

「……マジで針だな。ほら」

 中指ではなく人差し指を差し出された。指の腹には小さな赤い粒が盛り上がっていて、ふと人形を見ればぽつりと赤い点が出来ていた。血が付着したようだ、生地は白いからよく目立つ。じろじろと人形を眺めていると、東は短い溜め息を吐き、血を服の裾で雑に拭い去ってから外へと歩き始めた。

「あ、おい東、この人形どうすんだ?」

「誰かがゴミでも捨てたんだろ、適当に処分しとけ」

「俺がすんのかよ!」

 東は背を向けたまま片腕だけを上げ、自分の家の方向へと立ち去って行った。家も隣同士で、だから俺達は余計に仲がよかった。

 隣家の玄関が開閉する音を聞いてから自分も家の中へと戻り、処分とは言えゴミ箱に捨ててもゴミ出しはまだ先だと一先ず人形は俺の机に放置した。


 数日は特に何も起こらなかった。というより、人形のことをすっかり忘れていた。椅子の付近に置きっぱなしで、更には散らかした雑誌や服などを積んでいたせいで視界に入らなかったからだ。思い出したのは服の山につまずいて蹴飛ばした時で、シャツやジーンズの隙間から顔を出す赤いボタンを見てあっと声を上げた。

 衣類の中から救い出してみると、左側の腕が変な方向に折れ曲がっていた。指でつまんで元の位置に戻すが、不思議なことにまた同じ方向に折れてしまう。中に針金でも入っているのだろうか。そういえば東は針が刺さったと言っていたが、もしかすると駆動用の針金が飛び出していたからじゃないだろうか?

 そんなどうでもいいことを考えながら、少しこの人形を面白いなと思った俺は、捨てることをせずに机の上へと置き直した。

 次の日に登校すると、東がいなかった。昼過ぎくらいに不機嫌な顔で教室に入ってきて、全員の視線を浴びると更に嫌そうな顔をした。興味は遅れて来た理由ではなく左腕にはめられたギプスへと向いていた。

「どうしたんだよそれ?」

 東のギプスに落書きを施しながら問い掛けると、あー、と考えるような声を出してから、理由を話し始めた。

「別になんもやってねえよ。夜に寝てたら、急に折れた」

「はあ? んなことあるわけないじゃん?」

「いやマジだ。でも病院でそう説明しても同じ反応だったな」

「そりゃーそうでしょ、寝てるときに変な方向にねじったとかじゃねえの?」

「まあ、そんなとこだろうけど……」

 なにか煮え切らない様子の顔を覗き込む。東は溜め息を吐いてから、何回か患部を動かしただろうと怒られたと文句を言った。

 大体察しているだろうけど、俺もこのときに、まさか、という思いだった。話すかどうか迷い、しかしそんなことがあるわけがないという思いのほうが強かったため、その日は何も言わず帰宅した。机の上にある人形の腕は、昨日と同じ位置で固まっていた。

 翌日は、鞄の奥に人形を押し込めたまま登校した。朝に東とバス停で顔を合わせると、なにか息苦しいと言って脂汗をかいていた。恐る恐る鞄の口を開けると徐々に表情はいつも通りの無表情へと変わった。

 俺は最初、東が俺をからかって遊んでいる可能性があると考えた。こいつはわりあいにそういう悪戯をすることがある。俺のオーバーリアクションが好きらしい。だから、偶々玄関先にあった汚い人形と、感覚が繋がっている遊びをしてからかっているんじゃないかと。

 俺の席は東の席よりも後ろにある。授業中に心の中で謝りながら、人形の左手をそっと持ち上げて、多分手の甲だろうと思われる場所にペン先を突き刺した。左手で頬杖をつきながら黒板を眺める姿も、同時に視界に入れるようにした。

 東はがたりと体勢を崩し、自分の左手を凝視した。手の甲から赤い血の筋が伝っていった。


 恐ろしいことになってしまった。人形に危害を加えると、何故だか東にも同じ危害が加わる。うっかり蹴ったり、踏んづけたりしてしまうと、折れたり血が出たりとそのまま症状が現れてしまう。俺は極力触れないようにと机の少し上の辺りに人形を置いた。とりあえず一生大事にしておけば、この人形を介してのダメージはないだろう。勝手に転んでいたり風邪をひいたりするのは、人間なのでよくあることだけど。

 それ以上に俺が東に怪我をさせている、という事実が重く伸し掛かった。敵を切り倒すアクションゲームや戦闘機を撃ち落すシューティングゲームなどをプレイしたことがあるが、現実で自分が大きな危害を加えるとなると、途方もない責任を感じ胸が痛んだ。それに、東は俺の親友だ。この先もずっと仲良くして欲しいし、大人になっても疎遠になったりしたくない。

 人形を安全な位置に置いているうちに、東の骨折は治って、手の甲も傷跡すら見当たらなくなった。

「東! マジ、もう絶対、変な怪我とかさせねえから!」

「は? 何言ってんだお前」

「こっちの話、こっちの話だけど、な、治ってよがっだあー……」

 ずびずびと鼻をすすりながら泣き始めると東は何でだよという顔をしたが、動くようになった右腕で雑に頭を撫でて宥めてくれた。

 家に戻って確認してみると、人形の腕も真っ直ぐに戻っていて、これでもう安心だなと胸を撫で下ろした。


 それから俺は、人形のことを忘れたり思い出したり、友達といつも通りに遊んだりしながら日々を過ごした。

 しかしある日、家に遊びに来た東が目ざとく卓上の人形をさしたので、その日は存在を思い出した。

「お前、あの気味わりい人形、気に入ったのか?」

「気味悪くねえよ!」

「マジになんなって……ちょっと触らせてくれ」

「はっ!? い、いや、それは駄目、あいつはあそこに一生居たいって言ってる」

「……お前どうした? ちょっと変だぞ?」

 首を真横に強く振ると、東もそこまで人形に興味があったわけではないらしく、直ぐに別の話題に切り替えた。授業のレポートをするために友達の家に行く相談をしながらシューティングゲームをして、遠くに見えている敵を射撃した。赤い飛沫が頭から噴いた。


 人形がいなくなったのは、突然だった。ちらりと俺の部屋を覗いた父親があまりの散らかりっぷりに頭を痛め、部屋の中を片付けてしまったのだ。それ自体はありがたかったが、大変なことになったと青ざめる。机の上にあった人形の位置を問うと、父親は数十分考え込んだあとに、汚い布かと思ってゴミ袋に入れたと発言した。

 慌ててゴミ袋の元へと向かう。袋がおもいのほか大きくなったから、一旦庭へと出しているらしい。捨てられていなくて良かったと安心しながら庭に回る窓を開ける。庭からちょうど、東の部屋の明かりが見えていた。カーテンがゆらりと揺れ、影が動く。特に何の問題もないようだったから、安心した。油断した。

 庭に出したゴミ袋に、野犬が群がっていた。父親は俺と雑な部分がやっぱり少し似ていて、生ゴミの臭いを断っておくというような頭がなかった。

「おい! 袋にさわんなよ!!」

 手近にあった石を投げ付けると何匹かは飛び退いて後ずさった。しかし執拗に袋に顔を突っ込んでいた一匹は、少しだけ遅れて袋から離れた。惨状に俺は声も出ず、その犬が口にくわえている薄汚れた布が何であるかを把握した瞬間に飛びついていた。

 無我夢中だった。それだけは本当にさわってはいけないものだった。犬の口に手を押し込むと牙が皮膚に突き刺さり激痛が走ったが、構わずに口からぶらさがる人形を腕ごと引き抜いた。裂けた皮膚から流れた血が辺りに舞って、草の上にぼたぼたと落ちた。

 野犬は俺の剣幕に驚いたのか、口に手を突っ込まれた犬を筆頭に逃げていった。安堵しつつ、血まみれの腕に抱いた人形を見る。人形はところどころほつれていて、粘ついた犬の唾液と真っ赤の俺の血で汚れていた。

 そして、赤いボタンが二つ付いた頭はなくなっていた。



 だから俺は、犬を殺さなければならない。餌で釣って、或いは罠にかけて、或いは石を投げて足を止め、動けないよう足か頭かを潰さなければならない。もう随分長い間そうしている。

 ぴくぴくと痙攣するだけになった犬の腹を切り開き、中に人形の頭が、東の頭が入っていないかを確認しなければならない。しかしいつも成果はなく、生臭い臭いを発する犬の死骸を見下ろしながら、何処にいけば見付けられるのかと虚無に囚われる。何処かの野犬が持ち去った親友の首と俺のよろこびを、あてもないまま探し回ることだけが、今の生活にあるただひとつの道しるべだ。

 あの日東は首がなくなった状態で倒れているところを発見された。頭自体はその場になく、町中をあげて捜索しても見つけることが出来なかった。知っているのは俺だけだ、首はまだ犬の腹にいる。

 埋葬された東の遺体は掘り起こした。そして俺の部屋のクローゼットに、あの人形と共に安置してある。体は不思議と腐らず、乾くこともなく、まるで生きているように座っている。

 犬を殺して町を歩く。次は何処にゆけばいいだろう。目を閉じて、冷えている夜の気配を肺いっぱいに吸い込みながら耳を澄ませた。

 遠くの方で遠吠えが聞こえたところでゆっくりと開き、大振りのナイフを握り締めたまま、一番深い夜に向かって寄る辺もなく歩き出す。

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寄る辺がない 草森ゆき @kusakuitai

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