第5話 インクリース

 『若返り』に利用されているのはベニクラゲだが、処置された人間が起こす『若返り』は、クラゲのそれとは大きく違っている。どちらかというと、それは虫……蛹が蝶へ変体する時の変化に近い。

 『若返り』が起こると、人は体を抱え込み、胎児のような体制になり動かなくなるらしい。しだいに体の表面が高質化し、重要な臓器を除き内面のほとんどは自壊する。そして自壊した体組織は変質し、液状のたんぱく質に置き換えられる。人間の素が詰まった状態、とでもいうのだろうか。

「通常、外殻の内部で人体が再構成され、体が出来上がると外殻を破り外界に出てくる。そうして一連の『若返り』は完了する、はずだったんですよね。でも、あの事故の時は、そうはならなかった」

 確認するように、私は言葉を紡ぐ。

 初老の男性はゆっくりと一つ、頷いた。

「その通りでございます。治験中の事故では、外殻がしっかりと固まらず、内部の液状化したものが全てこぼれ出てしまいました。本当に、痛ましい事故でございました」

「……あなたは、怖くはないのですか? あなただって、『若返り』をされるのでしょう?」

「もちろん、怖いことには怖い。例え、あの治験とは違う処置がされているのがわかっていても……。ですが、背に腹は代えられませんから」

「『延命処置』に切り替えようとは思わないのですか?」

「歳を取ると、どうも新しいことに疎くなるものでして。脳の電子化、というものが、わたくしにはピンとこないのですよ。人を機械のように扱えるとはとうてい思えません。それに、新しい別の体に乗り換えるというのにも、少々抵抗がございます」

「『若返り』は記憶がおぼろげになる、と言っていましたよね? 不便ではありませんか?」

 私の質問攻めに、初老の男性は嫌な顔一つせず穏やかな笑みで受け答えしてくれていたが、この質問には即答しなかった。

 考えるそぶりを見せた後、ふいと店内に顔を向ける。

「ジル、こちらへいらっしゃい」

 男性に呼ばれて、カウンター内で待機していたウェイトレスが「はい」と返事をする。ジル、という名前に驚いて、不躾ではあったが彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。言われてみれば、多少彫が深く整った顔立ちではある。

 だが、『延命処置』のオプションで、ある程度顔の造作を自由にできるようになった今では、このくらいの日本人離れした顔は珍しいものでも何でもない。


「彼女はジルといいます。この喫茶店でよく働いてくれていますよ。ところで、突然ですが、彼女の年齢はいくつくらいだと思われますか?」

 質問の意図がわからず、言葉に詰まる。

 いきなりその質問は女性に失礼ではなかろうかと思ったが、初老の男性もウェイトレスも気にした様子はない。

「……ジルさんは『若返り』や『延命処置』を受けたことは?」

「いいえ、ありません」

「では、二十代後半くらい、ですか?」

 ジル、と呼ばれる女性は今まさに自身のことを話題に出されていることに気が付いていないのか、単に興味がないのか、眉一つ動かさずテーブルの横に立ち尽くしている。

「実は、彼女に年齢という概念はないのです。やはり、おわかりにはなりませんか」

「ええと、そうですね。何の話なのか、さっぱりですよ」

「彼女はアンドロイドでございます。日本では物珍しい一品でしょうが、海外では一般に普及している品でございますよ。わたくし、こちらのジルを輸入して、今までたくさんの知識や技術をインプットして参りました」

 驚いて彼女に目をやると、ジルが悪戯っぽくニヤリと笑った。

「表情が豊かでしょう? このくらいのことなら出来る程度には、アンドロイドの性能は高いものなのですよ。『若返り』の後、不便が無いよう彼女にサポートしていただいてもらっています」

「そう、なんですね。驚きました。アンドロイドなんて、初めて見ましたよ」

「そうでしょうね。なんと申しましょうか、わたくしどもの住む国にとって、アンドロイドがSF世界から抜け出てきたものであるならば、『若返り』も『延命処置』も、海外から見れば不気味な呪術のようなものなのでしょうね。これだけこの国で不老長寿が普及しているのに、海外ではいっこうにこの技術に追従する気配がないのは……死なないことのみに対してこんなにも執着を見せているこの国は……いえ、話が逸れてしまいますね。いい悪いの問題ではなく、科学か医療かどちらに力を入れるかという文化の違いであり、何に重きを置くかという、それだけの話なのでしょう」



 老人の長話に付き合っていただき、ありがとうございました。これに懲りずに、またいつでもいらしてください。初老の男性はそう言って、店の奥へと戻って行った。

 会計を済ませ店を後にしたその足で、私は病院に向かう。

 どんな結末になるのかはわからない。それでもこの治験を最後まで見届けたい、と思った。何もできない学生でも、それくらいのことならできるだろう。

 病院で問い合わせると、エテルノは既に退院扱いになっている。

 当たり前だ。表向きには、彼女の治験は終了したということになっているのだから。

 病院からは出たが、出入り口付近で立ち止まりスマホを操作する。

 少年医師に連絡を取れば、今彼女がどこでどうしているのかわかるだろう。教えてもらえるかどうかはわからないが。

 私はヒアリング開始時に交換していた彼の連絡先にコールをかける。

 数コール後、はい、と言う声変わり前のソプラノが耳に届いた。

「突然のご連絡、失礼いたします」

「いやいや、そんな堅苦しいのはいいよ。それで、どうしたの?」

「はい。その、エテルノさんのことなのですが……」

「ああ、彼女なら元気にしてるよ。申し訳ないことに、面会はできないけどね」

「あの、今、エテルノさんと話をすることってできますか?」

「いやー、それも厳しいかな」

「あの後、どんな治療をされたんですか?」

「彼女は元気だよ。だから、君が気にすることはない」

 まただ。胸にざらりとしたものが生まれる。このまま押し切られてしまってはいけないと思い、口を開きかけたところで、ふと気が付いた。

 救急車がサイレンを鳴らして近づいてくるのだ。

 病院の出入り口で電話していた私は、邪魔にならないよう隅の方へと退いた。

「君が気にするべきは、レポートの方なんじゃないかい。どう? 順調に進んでる?」

 医師の電話越しに、サイレンの音が聞こえてくる。

 目の前で患者を下ろした救急車がサイレンを止める。連動するかのように、電話越しに聞こえていたサイレンの音も止まった。

「……今、どちらにいらっしゃるのでしょうか?」

「僕かい? 今は彼女に付きっきりでいるよ。だから、君は何も気にしなくて……」

 通話を切って、再び院内に入る。

 まさかな、とは思うのに、考えるよりも先に体が勝手に動いてしまう。

 いるはずがない、と思いながらも、私はエテルノが治験を受けていた病室へと足を運んだ。


 果たして、そこにエテルノはいなかった。

 いたのは少年医師と、なぜか巨大なクラゲだけだった。

 医師は私を見ると楽しそうに笑いかけてくる。

「やあ、来たんだね」

「エテルノさんに付きっきりだったんじゃなかったんですか?」

「そう、付きっきりなんだよ。ほら、ここに」

 医師が示す先には、大きな水槽が複数ある。

 一つには優雅に揺れる巨大なクラゲが入っていて、その他の水槽全てには薄ピンク色の液体が溜まっていた。が、エテルノの姿はない。

「まさか、そのクラゲがエテルノさんだとでも言うおつもりですか?」

「いやいや、これはベニクラゲの改良したやつ。人間じゃないよ。彼女なら、クラゲの隣にいるだろう?」

 少年医師が笑顔で言う。

「ほら、よく見てごらんよ。体組織がしっかりと脈打っている。元気に生きている証拠だよ」

 少年の言っている意味が分からず、薄ピンク色の液体をじっと見つめてみる。言われてみれば、確かにその液体は、微妙に振動しているようだ。

「これは、なんですか?」

「まだわからないのかい? これはね、『若返り』の成り損ないだよ。自壊変質まではよかったんだ。でも『延命処置』でクローン体に移し替えるために脳の電子化を繰り返したせいなのか、電子化した回数と同じだけ分裂してしまってさ。まったく、『若返り』で自己増殖しちゃうのなんて初めて見たよ。仕方ないから変質したたんぱく質状態のままをキープさせているんだけど……つまり、これが彼女なんだ。オフレコで頼むよ?」

 少年が嬉しそうに何か言っている。

 改良に改良を重ねたベニクラゲを使ったんだ今回こそうまくいくと思ったんだけどねまあ今までよりはうまくいっているよなにせ彼女はまだちゃんと生きているからねよかった彼女の何とかしてくれっていう願いも叶えられたしだってこれ痛覚なんてないでしょいやあ本当によかったよかったこれで君も納得かなあれどこ行くのちょっとこのことは内密に頼むよー。


 

×××



 無意識のまま病室から飛び出してしまった後、幾日も自宅で呆然としていた。

 しかし時間と共に自分が何を見たのか冷静に認識し始めると、これは私一人で抱えていられるものではないのだと気が付いた。

 私は教授に連絡を取り、事情を説明し頼み込んであの病室について来てもらった。

 でもその時にはすでに何も残っていなかった。空の病室で教授は、悪い夢でも見たのではないかと言った。私もそう思いたかったし、そう思うことにした。そんなわけがない、あれは現実だったと主張するには、私は弱すぎたのだ。


 あれから私は、得体のしれないものが見えるようになった。 


 それは、クラゲだった。

 どうしようもなく、それはあの時のクラゲだった。

 中心の赤い色をした核が妙に生々しくて、それを囲う半透明の身体がゆうらりと揺れる様も、なにもかも、とにかく存在自体が非常に不快だった。

 なのに、私はそれが見えるとどうしても目が離せなくなる。

 いや、正確に言えば、その全長二メートルはある巨大クラゲは、場所を選ばずどこにでも現れる上、常に私の目の前の空間を浮遊するせいで、目を離すには目をつぶる以外に方法がないのだ。

 他の誰にも見えていないこの忌まわしいクラゲを、何度この手で殺す様を夢想しただろう。


 しかし私に見えているそれは、ただの幻覚らしいのだ。

 いくら手を伸ばそうと触れることすら叶わない、ただの、幻……。

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インクリース 洞貝 渉 @horagai

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