第48話 崩壊した世界
◆
人口島における暴動は、住民の半数以上が死亡し、昏睡者も含めると無事だったのは二割ほどに過ぎなかった。
実際に銃で武装して住民を攻撃したのは、ほんの百名ほどだった。彼らは殺戮の限りを尽くし、最後にはピースメーカーの働きを抑制する薬物の副作用で、死亡した。
住民は彼らから逃げ惑い、あるいは反撃を試みた。その反撃を、ピースメーカーは攻撃性と解釈し、住民を処理した。つまり、殺したのだ。
今まで人工島では誰もが暴力性や攻撃性、もっと言えば積極性や他人への干渉を拒絶していたのが、銃を向けられる、すぐそばにいた人間が倒れ、死ぬという現実を前にして、変質した。
死にたくないという一念、抑制し、押し殺していた感情が、やはり、死にたくないという一念で、逆転した。
ピースメーカーに殺されるとしても、殺されたくない。
明らかな矛盾。しかし当然の矛盾。
人間の矛盾ではなく、ピースメーカーという矛盾が、はっきりと現出していた。
僕と仲間たちが全てを終息させた時には、すでに火が地上の建物の大半を包み込み、消防隊は機能せず、今度はこの炎こそが問題だった。地盤は耐火仕様だが、所々で地盤が崩壊し、地下にも炎は広がった。防火設備は万全のはずだったのだが、さすがにこの大規模火災は想定を超えていた。
まるで何かの神話のように、暴力と炎が、人工島を廃墟に変えた。
緊急事態が宣言されて十二時間後、本土から国防軍の部隊が到着し、同時に港が解放された。都市戦を想定した兵士が街にあふれ、彼らは灰色の防護服を着ていて、僕から見ても異質だった。
市民の救助や保護は真っ白い防護服の集団が受け持ち、人工島には施設がないという理由で、港から離れて停泊する国防軍の空母に市民や怪我人が輸送された。
その中に僕もいた。すでに事態は警察の手を離れていて、それどころか、警察とか国防軍ではなく、日本という国の問題であり、同時に国際的な問題にもなるだろう。
僕は空母の中で止血テープで押さえていただけの額の傷を縫い合わされ、さらに首にも湿布薬を貼られた。頭を狙撃銃で撃たれた、と冗談めかして説明したが、防護服の医者は少しも笑わなかった。
どうやら僕は厄介なウイルスを抱えている、人間ではない存在らしい。
空母に四日ほど缶詰になり、その間に僕は朽木シバを何回か訪ねた。彼は甲板上にあるテントのうちの一つに寝かされ、待遇の酷さとタバコがないことばかりを嘆いていた。だけど足の傷はすでに治療が進み、すぐに寝かせておいてももらえなくなる、と言葉とは裏腹に、嬉しそうに笑っていた。
もう一人、僕が何度か様子を見に行った相手がいる。
寺田ロウだ。
地下で意識を失った彼は、そのまま警察に保護され、意識不明のまま空母まで運ばれていた。
全く目覚める気配はない、とやはり防護服姿の看護師が教えてくれた。薬物治療に必要ない基礎的な検査も、ピースメーカーのせいですぐには不可能らしい。
彼が何を目的にしていたのかは、本人から聞きとりたいが、不可能だろうか。
彼は僕の父の兄弟に、銃を向けていた。最後にナイフを投げさえした。
でも結局は、僕が決着をつけた。僕の弾丸が、殺したのだから。
寺田ロウを前にすると、僕があの男を殺したことが、なんだったのか、よくわからなかった。
警官の仕事として、寺田ロウを助けたのか。
それとも、父と母を殺された人間として、その首謀者に報復したのか。
甲板に出るたびに、焦げ臭い匂いが漂う。人工島ではまだ煙が上がっている。あの煙は、人工島の死体を焼却している煙だと、まことしやかに、口がきけるものたちは噂していた。そしてその中から、義憤に駆られたものが、ピースメーカーによって意識を奪われ、場合によっては命も奪われた。
徐々に空母からは活気が失われていく。
それがピースメーカーが強制する、人の在り方なのだ。
人間性を奪い、怒りに死を与え、主義さえも歪める、平和の使者。
空母は情報が極端に制限され、もちろん、人工島へ戻れるものは誰もいない。ただ運ばれてくるものがいるだけだ。
空母の中の通路を歩いていると、一人の少女とすれ違った。
潮ナギだった。僕が足を止めると、彼女も足を止め、そしてゆっくりと歩み寄ってきた。
「無事だったんだね、南くん」
「うん、まぁ、いろいろあったけど」
他にどういうことができるだろう。人を殺して、しかし何も止められなかった、なんてとても言えない。
僕はあまりにも、このクラスメイトと離れたところに来てしまった。
「怪我、したの? 大丈夫?」
僕の額にはまだ包帯が巻かれている。
「たいしたことはないよ。すぐ治ると思う。潮さんは、大丈夫だった?」
「うん、でも……」
彼女が顔を歪める。
「お父さんも、お母さんも、帰ってこなくて、会えないんだ」
僕には答える言葉が見つからなかった。
「私、どうしたらいいと思う?」
泣きそうな顔で、潮ナギが僕をまっすぐに見た。
「私も、お父さんもお母さんも、何も悪いことしてない。なのに、こんなことになって誰を恨めばいいの? 誰を、憎めばいいの?」
僕はやっぱり、答える言葉を持たなかった。
僕たちはすれ違い、それきり、僕は彼女とは会っていない。
そして彼女の疑問に対する正解は、見つかっていない。
実験地区、人工島は閉鎖が決定し、全住民は日本本土に急遽、設置された収容施設に分散した。その収容所も、周囲に人気のない地方に作られた。
棄民政策とも言われたが、僕たち人工島の住民にはそんなことを声高に言えるものはいない。
僕たちからは声を上げることさえ、奪われているのだ。
静かな世界。
平和な世界。
僕は収容所で日々を送りながら、あの時のことを繰り返し考えた。
世界が焼け落ちた日。
世界が死で溢れた日。
僕の世界が、変わってしまった日。
その審判を下した男と、その賛同者たち。
僕はその男を知っていても、怒りを持つことはできない。
ピースメーカーは、今も僕の体の中で、生きているのだ。
そして僕の怒り、過剰な怒りと過剰な憎しみが生まれないかを監視している。
それを抱いた瞬間、死を与えるように。
日々は流れる。静かに、平穏に。
強制されたものだとしても、そうして日々は、流れていくのだ。
(了)
実験的偽善者の島の崩壊 和泉茉樹 @idumimaki
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