第47話 終わりが始まり
◆
ぐらりと男が傾き、何かが宙を走って、どこかへ消えた。
僕は発砲の衝撃が消えるより早く駆け出し、倒れこんだ男に銃を突きつけた。
表情を取り戻した男が笑みを浮かべ、次に血を吐いた。胸に赤い染みが広がり、それは僕の一発が命中したからだ。
僕がこの人を殺した。
「正義など」男が血を吐きながら言う。「この程度のものだ」
「何が目的か、話してもらう」
男が動けないのを確認し、スーツの腰にある止血テープを取り出し、服を裂いて傷口を露わにする。重要な血管を傷つけたのか、血が溢れるように流れている。すでに男の顔は土気色だ。
ちらっとすぐそばに倒れている男を確認。やはり寺田ロウだ。こちらは息をしているか、わからない。
今になって、さっきの一瞬に、寺田ロウが何かを投げつけたのだと理解できた。男の頬に切り傷がある。刃物、ナイフだろうか。肩と脚を撃たれながらそんなことをやるほどの執念が、彼の中にあったのだ。
僕は男の胸にテープを貼り付ける。しかしすぐに血でテープが剥がれてしまう。
「既に動き出しているぞ、南レオ」
「黙ってください。溺れますよ」
鈍く咳き込んで、血飛沫が僕に飛ぶ。
「誰にも止められない。これからお前が目にする光景こそ、本当の世界だ。覚悟するがいい」
「だから、黙ってくださいよ!」
男が目を閉じ、呼吸が浅くなり、その音が濁る。
もう咳き込む力もないのだ。
くそ!
何枚目かのテープが剥がれた時、ついに男は呼吸を止めた。
立ち上がり、寺田ロウの様子を見る。足も肩も、男に比べれば出血は少ない。だけど、呼吸はほとんど止まっている。脈をとると、極めて緩慢に脈拍はある。
助けられるだろうか。いや、助けなくては。
あまりに多くの人が、命を落としすぎた。何かが、僕の中で変わりつつあった。
人の死なんて、僕からははるかに離れてたはずだった。それが今、こんなに身近にある。
残っていたテープで寺田ロウの傷を止血し、念のために鎮痛剤も打っておいた。彼が、地下にいた武装した男たちと同様、ピースメーカーを機能させない薬物を打っているのは間違いない。鎮痛剤と合わさって、おかしな副作用が出ないことを祈ろう。
一人ではどうしようもないので、朽木シバの方へ小走りに戻った。彼は寝転がっていて、こちらを見ている。ヘルメットは外されている。
「お前が撃たなければ、俺が撃っていたよ」
そんなことを言いつつ、彼の手が拳銃を振る。
僕は笑みを返して、彼の足の傷を見ようとするけど、すでに止血テープが巻かれている。自分で処置したんだ。
寺田ロウのこと、そして奇妙な男のことを話そうとした時、足音が重なって、近づいてくる。
敵が来たのか、と僕と朽木シバが拳銃を構える前で、入ってきたのは僕たちと同じ装備の人間だった。先頭にその四人がいて、それに続くのは戦闘服姿の男たち。所轄の刑事だろう。ヘルメットで見えないが、彼らは動きがぎこちなく、雰囲気も明らかに怯えている。
しかし僕も朽木シバも、ホッとしていた。どうやら地下は制圧したらしい。
駆け寄ってきたスーツとヘルメット姿の女性が片膝をつく。
『無事、ではないようですね、班長』
丹生トモリの声がヘルメットから流れてくる。
「この通りな。武装集団はどうなった?」
『抵抗はほとんどありません。何者なのか、調べたくても全員が原因不明で死亡しています。無傷でもです』
「そういう薬らしい。そうだな?」
こちらに朽木シバが視線を向けるので、はい、と短く応じる。
応じてから、何かの可能性が頭に浮かんだ。さっき、僕が殺した男は、既に動き出している、と口にした。しかし、何が動き出したんだ?
そのことを僕が口にしようとした時、急に無線が話し始めた。
切迫した声が訴えているのは、地上で暴動が起きている、ということだ。
「詳細に頼む」朽木がマイクを口に寄せる。「暴動っていうのは何のことだ?」
『武装集団が暴れています。銃器で武装し、建物に火をつけています』
冗談ではないが、それはありえないことだ。
人工島では、ピースメーカーが全ての暴力を否定した。それは即死なのだ。
「薬だ」
即死の可能性を回避する術を、僕たちは目の前にした。朽木シバがこちらを見る。
「地下の武装集団の仲間が、地上で暴れているんです」
「そんなことをしてどうなる?」
「虐殺が起こります」
馬鹿げている、と呟く朽木シバだが、しかし事実は事実だ。
朽木シバは自分は怪我で動けないから、と丹生トモリに指揮権を渡すと宣言する。丹生トモリはすぐに他の強攻課の班長と連絡を取り始め、その間にも移動を開始している。僕もそれに従った。
縦穴を上っていき、通路を駆け抜け、どこかの空き店舗の事務室に出た。そこは通常の地下空間だ。店舗を出て通路に進んだところで、銃声が聞こえ、焦げ臭い匂いがする。
通路を抜けていくと、銃声がはっきり聞こえ、悲鳴も混ざる。
角を折れたところで、拳銃を乱射している男がいる。丹生トモリがその男の足を打ち、駆け寄ると同時に倒れかけているその顎を蹴り上げる。男が昏倒し、市民がそれにも悲鳴をあげ、逃げていく。後続の所轄の警官に男を預け、僕は丹生トモリに続いて地上へ向かった。
地上へ飛び出すと、煙がまるで雲のように上がっている。
その光景に僕は愕然とした。
市民に一発ずつ、自動小銃の引き金を引く男。
別の市民が、どこで手に入れたのか、椅子のようなものを振りかぶって、男に向かう。
だが、椅子を振り下ろす前に、唐突に力を失い、倒れる。
別の市民が同じように銃撃する男に挑んでいく。しかしその市民は撃たれない。
椅子は銃を持つ男に叩きつけられ、男は片膝をつく。
笑っているのが見えた。そして殴りつけた市民の方が勝手に昏倒し、動かなくなる。
ピースメーカーによる、殺人。
自衛さえも許さない、奇妙な現実。
椅子で殴りつけられた男が、また虐殺を再開する。
僕は思わず叫びながら、拳銃を構え、引き金を引いた。
ボツッと男の胸に点ができ、倒れて、痙攣し、動きを止める。
悲鳴と銃声、血の匂いと硝煙の匂い。死の気配が充満し、街が焼き払われていく。
人工島は、この世の地獄と化していた。
(続く)
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