小さな目撃者

増田朋美

小さな目撃者

小さな目撃者

今年は、というかもう毎年恒例になっているのかもしれない。人間は、何か疲れてしまっていて、それ以外の動物に、癒しを求めるということである。犬を飼うとか、猫を飼うとか、そういうことだけではない。フェレットとか、ハムスターのような動物を飼う人もいるだろう。時折、彼らに芸を仕込んで、それをたのしむ人も出ている。そして、その芸を動画サイトなどに登場させて喜んでいる人も少なくない。

ここにいる、中島由梨もその一人。彼女は、一寸変わったペットを飼っている。と言っても、彼を入手したのは、一般的な、ペットショップで入手したのみである。でも、銀色のきれいな毛並みと、黒い顔をしたこの小さな猿を、由梨は特に気に入っていた。猿のことは、モゾと呼んでいたが、モゾもこの名を気に行っているらしく、由梨が呼びかけてもすぐ反応してくれる。

由梨は、モゾに芸を仕込んでいた。輪の中をくぐるとか、そういうことから始まって、フラフープさせたり、ダンスを躍らせたり。猿の調教は、以前猿回しをやっていた、親族に教わったのだった。モゾは小さくて女性の由梨にもすぐに芸を仕込むことができたから、由梨は、自分がちょっと自信がついたような気がして、うれしかった。

何よりも、由梨のうれしいことは、この小さなパートナーの日常生活を動画に撮影し、それを動画サイトに流すことだった。モゾの餌を食べる様子や、遊んでいる様子、眠っている様子などを、動画サイトに投稿する。そうすると、動画サイトの顔のない人たちが、可愛いですねとか、しっかりしたお猿さんだねとか、そういう言葉をかけてくれる。由梨は、現実世界の人が嫌いだった。どうせ親は期限付きとか、もう時間がないとか、そういうことを現実のひとはいう。でも、動画サイトの人たちは、可愛いおさるさんだとしか、上手に芸を仕込みましたねとか、そうやってほめてくれる。由梨は定職にはついていなかった。学生の時に、教師に変な言いがかりをつけられていらい、生きようという気持ちを、なくしてしまったのだ。それを言われてからは、何をやっても、どうせ自分はという気持ちが働いてしまって、由梨は、社会に出ようという気になれなかった。モゾは、そんな中、由梨のことを唯一理解してくれた親戚が、由梨が寂しい思いをしないようにと言って、買ってくれたのである。

夏の間は、暑さで外に出られなかった。一日中エアコンの効いた部屋で、寝てばかりいた。秋になって、少し外へ出やすくなると、由梨は、モゾを連れて、公園に散歩に出かけた。一日中いるのは、家族が気まずい顔をするものだから、其れはしないほうが良いと思った。

今日も、ハーネスにリードを付けたモゾを、由梨は犬を散歩するように歩かせながら、公園の中を歩いていった。どうせ、誰かに出合う心配もない。この公園は、近くに遊園地ができてしまったせいで、利用者は激減したと聞いたので。

由梨は、ハーネスをつけておとなしく歩いているモゾを、写真撮影しようと思って、スマートフォンを取り出そうとすると、後ろからいきなり、

「おう、ずいぶんかわいいおさるさんじゃないか。」

と、でかい声が聞こえてきたので、由梨はぎょっとする。

「そんな顔しないでよ。ただ、僕たちは、可愛いおさるさんだと思って、声をかけただけだよ。ずいぶん人に慣れていて、可愛いなあと思ってさ。きっと、根気よくしつけてあげたんじゃないか。」

振り向くと後ろには、二人の車いすの男性がいた。二人とも、なぜか、現代社会には珍しく、着物を着用していたので、由梨は、もしかしたらおっかない人かと思ってしまったのであるが、

「いえいえ、僕たちは、ただ、通りかかっただけです。ただ、そのおさるさんの着ているちゃんちゃんこが、この杉ちゃんの着物と同じ柄だと、いうものですから。それで声をかけさせていただきました。杉ちゃん、嫌そうだから、早く行こう。」

と、もう一人の男性が、そういうことを言うと、杉ちゃんという男性は、もうちょっといてもいいだろう、同じ麻の葉柄の着物を着ているので、なんか仲間に出合ったみたいだよ、と、変なことを言うのである。

「杉ちゃん、そうであっても、彼女はなんだかうるさそうみたいだし。」

「だって、このおさるさんが可愛いんだもの。せめて名前くらい聞かせてよ。」

と、杉ちゃんは、いうのである。

「ああ、モゾです。」

由梨は、杉ちゃんの話に答えだけ出した。

「へえ、モゾかあ。何とも素朴な名前だ。ちなみに僕の名は影山杉三で、杉ちゃんって呼んでね。こっちは、親友で刺青師の伊能蘭。」

杉ちゃんは、すぐに名前を名乗った。なので、由梨も、中島由梨ですとだけ名乗っておく。

「でも、可愛いですね。そのおさるさんは、どこで入手なさったのでしょう?猿を飼っている女性というのは、あまり聞いたことがないので、珍しいなと思いましたよ。」

と、蘭がそういうことを言った。

「ええ、ペットショップで入手したんです。最近は変わった動物を飼うことが、はやりじゃないですか。それで、私も時代の波に乗って、飼い始めただけの事ですよ。」

由梨は、なるべくことが小さくなるように試みたが、杉ちゃんたちは、そうとはいかないようである。

「あの、つかぬことをお聞きしますが、彼をモデルとして、写真撮影させていただいてもよろしいでしょうか。」

ふいに蘭がそういうことを言ってきた。由梨は、一瞬全身が冷たくなったが、

「いや、何も悪質なことではありませんよ。僕のおじがね、文筆家をやっているんですが、ちょうど、ペットの写真集を出版したいと言ってましてね。ほら、何らかの事情で動物を飼えない人に、せめて写真だけでも楽しんでほしいという意味で、写真集を出版したいと意気込んでいます。そんなかわいいおさるさんがいるんだったら、ぜひ、写真集のモデルになって、出演してくれませんか。」

蘭が、にこやかに笑ってそういうことを言った。刺青師さんというと、一寸怖い職人気質のひとというイメージがあるが、この蘭と呼ばれた人物は、とてもやさしそうで穏やかな印象を与える。

「ああ、別に強制ではありませんから、任意で結構ですけどね。」

と蘭が言うと、

「いえ、私、出演します。」

と、由梨は言った。そうすると杉ちゃんが、やった交渉成立だと言って、手をたたいて喜んだ。

「それじゃあですね、こちらに電話するか、メールするなりしてくれませんか。もちろん、連絡が伝わりさえすれば大丈夫です。いま、モデルになってくれる動物を切実に探しているので、すぐに返事が来ると思います。」

蘭は、手帖を車いすのポケットから取り出して、そこに檜山喜恵という喜恵おじさんの正式な名前と、メールアドレスと電話番号を書いて、彼女に渡した。

「じゃあ、お願いします。喜恵おじさんには、僕が、伝えておきますから。」

と、蘭は、にこやかに笑って、そういうことを言う。何も知らないモゾは、なにが起きたんだという顔で、由梨を見ているが、警戒しているという感じではなかった。

由梨は、約束通り、自宅に帰って、パソコンで檜山喜恵という人物にメールを送った。すると、数分後に返信が着て、すぐに撮影させてくれという内容であった。数日後由梨は、公園に行って、喜恵おじさんに会い、カメラマンの久能という女性にモゾの写真を撮ってもらった。

「ありがとうございます。協力してくださって、本当に感謝しています。」

と、喜恵おじさんが由梨に言った。

「おさるさんのことは、蘭から聞きました。でも、本当にかわいいおさるさんで、写真を撮っても、良く映えるお顔をしているおさるさんだと思いました。」

喜恵おじさんは、そんなことを言っている。久能さんは、ただだまって笑っているだけであるが、彼女もうれしそうな顔だった。

「久能が撮ってくれた写真と、僕が書いた短いエッセイと一緒に、本として出版する予定です。出演料をお支払いいたしますが、えーと、五万でよろしいですかな?」

ふいに喜恵おじさんがそんなことを言うので、由梨はびっくりしてしまう。

「いやあ、だって、出て下さったわけですし、おさるさんであっても、出演料はもらわなきゃダメでしょう。」

喜恵おじさんは、お財布から五万円と書かれた小切手を彼女に差し出した。由梨はまだ躊躇してしまう。だって、こんな大金、もらってもいいものだろうか。すると、隣にいた、久能さんが、

「出演したんだから、出演料をもらう権利があるんですよ。遠慮なく請求して下さい。」

と優しい口調で言ってくれたから、由梨は喜恵おじさんから小切手を受け取った。

「じゃあ、本が出たら、連絡しますから、楽しみに待っててね。」

と、喜恵おじさんは、にこやかに笑った。

其れから、一か月ほどたって、本は出版された。表紙を飾ったのは、猿のモゾであった。このかわいい猿のおかげで本は飛ぶように売れて、あっという間に、100万部を突破する。世の中が不安定なせいで、癒しを求めている読者が多かったためか、動物の写真集は、瞬く間に売れてしまった。それで本の著者である喜恵おじさんに印税が入ってくることになったが、喜恵おじさんは、出演した動物たちの飼い主に、定期的に分配していたので、由梨のところにも、お金が入ってくるようになった。由梨は、それでお金が入ってくるようになったから、おかげでお金をつくることができる身分に早変わりした。それで、由梨は今までの無職ならではの、虚無感というか、むなしい気持ちからやっと解放されて、堂々とふるまえるようになった。由梨は、そのお金で新しい服を買い、自分の欲しかったパソコンなどを買い、やっとはやりのゲームをしたり、小説を読んだりすることができるようになった。とにかくやりたいことは、出来るようになった。今までは、お金をつくることができないから、常に小さくなって、誰が発言するにも、黙っていなければならなかった彼女であったが、そのお金を得ることができるようになってからは、由梨は、良くしゃべってよく笑う、明るい女性に変貌していた。其れなのに、本はまだ売れて、お金が入ってくる。

ある日、由梨のもとを、一人の女性が尋ねてきた。其れはかつて、本を書いたとき、カメラマンの役を引き受けていた、久能瑞枝だった。

「こんにちは、由梨さん。」

と、瑞枝は、静かに言った。

「ああ、瑞枝さんでしたよね。確か、あの本の写真を撮ってくださった。」

由梨は、なんとなく顔を覚えていた。瑞枝は、あったときより、一寸服装が派手になったように見えた。おかしなことに、由梨も、少し華やかになりましたねと瑞枝に言われた。

「まあ入ってくださいよ。いまお茶入れますから。」

と由梨は、彼女を居間に通して、すぐにお茶を出した。

「そして、話って何ですか?」

と、由梨が聞くと、

「ずいぶん明るくなったわね。」

と瑞枝は言った。

「話しというのはね、私、今まで檜山先生と一緒にアマチュアのカメラマンとして活動していたんだけど。」

彼女は、にこやかに言った。

「ああ、そういえば、そうだったんですね。」

と由梨は、瑞枝に言う。

「それで私、あの本が100万部を超えたことで、一寸自信がつくようになったのよ。だから、もう独立しようかなと思って、会社を今日辞めてきたの。」

「で、それがどうしたの?」

「ええ、これからはプロのカメラマンとしてやっていこうと思ってるのよ。それでね、今月中にでも、個展を開こうと思っているのよ。それで、お願いなんだけど、あなたにも、個展に協力してもらえないかしら。会場費を少し負担してもらいたいの。」

瑞枝は、にこやかに笑ってそういうことを言った。

「すでに、檜山先生にはお願いしたわ。だから、あなたにも協力してほしいのよ。」

「ちょっと待って。なんで私が、あなたの個展に協力しなければいけないのよ?」

と、由梨はちょっと驚いて、瑞枝に言った。

「だって、あの本は、檜山先生が単独で描いたわけではないでしょ。写真を撮ったのは私、出演したのはあなた。それで、私たちはずっとつながっている。そういうわけだから、私が何かしたときは、あなたも協力してもらうのが当たり前だと思うんだけど?」

「当たり前って、私たちは、あの本を書いたときに集まっただけで、それ以降は何もつながりはないでしょう?」

由梨がそういうと、瑞枝は、一寸驚いたような感じで由梨を見た。

「あの本を書いたのはあたしたち三人よ、共同著書ということで、ずっと協力し合うのが当たり前なのよ。本を出すってそういう事だと思うけど。違うの?」

「だって、ただ、本を出してその時だけじゃないの?私たちが三人一緒だったのは。」

「いいえ、私たちはこれからも仲間よ。だから、誰かに何かあったときは、仲間同士何かする。これが当たり前よ。出版するってことは。」

と、瑞枝は、にこやかに笑ってそういうことを言った。でも、由梨はよく理解できなかった。なぜ、共同作業者という関係なだけで、私が瑞枝さんの援助までしなければならないのか。其れがよくわからないのである。

「瑞枝さんと私は、何もないわよ。だから、個展を開くのも、瑞枝さんの意志で開けばいいわ。私には関係のないことよ。」

と、由梨がそういうと、瑞枝は、いきなり豹変した。

「そんなこと、あなた、本を出してお金をもらって、いいことずくめで、結構変わっちゃったわね。それじゃあ、あなたの事、世間にばらしてもいいかしら。あなたが、何もすることがなくて、ただあの猿の世話をするだけしかできなかったことくらい、私知ってるのよ。それを、あなたは、世間にばれることを恐れて生活していたようだけど、其れは、世間的に言ったら、ただの落ちこぼれよね。ただの落ちこぼれだったなんて公言すれば、あなたはたちまち行き場がなくなるでしょうね。そうしてほしくなかったら、」

「やめて!」

と、瑞枝に由梨は言った。それでも瑞枝は話を続ける。

「だったら、私にお金を貸したっていいじゃない。私たちは、共同で本を書き上げた仲間なのよ。それはどこの世界でもそう認められているの、わかる?」

「わからないわよ!」

由梨は、思わず棚の上においてあった、ブロンズの置時計をとって、それを瑞枝に思いっきりぶつけた。その時は、ただ、彼女の話しを止めるつもりだった。其れだけであった。でも、幸か不幸か、瑞枝の打ち所は悪かったらしい。瑞枝は不意に黙って、動かなくなり、椅子から崩れ落ちた。由梨は、その時は確かに驚いたけど、そのあと自分が何をしたのか、まったく覚えていない。ただ、正気に戻った時、由梨は、ドラム缶の前にいて、目の前をバチバチと火が飛んでいた。そんなことができるなんて、由梨のどこにそんな力があったのだろうか。いずれにしても、瑞枝は灰になっていて、体もなければ洋服だってなかった。由梨は、警察には通報しなかった。これでいいと思ってしまったのだ。瑞枝の灰は、花壇の肥料としてばらまいてしまった。そう、髪の毛一本も残さないで。

由梨の生活は、又いつも通りの生活に戻った。あの本のブームも一巡し、別の本が売れるようになったから、もうお金が入ってくることもなくなった。それに、久能瑞枝という女性の死体が発見されたというようなニュースになる事もなかった。由梨は、いつも通り生活していた。また、何もしていない女性に戻ってしまって、あの本の事なんか、もう頭の片隅にも残っていなかった。ただ、本を著した喜恵さんが、由梨に久能さんはどうしているんでしょうねと聞いたことは一度だけあった。でも、彼女もクラウドソーシングで知り合った女性なので、さほど気にならないと喜恵さんは言っていたから、由梨は、海外に留学でもしたのではとだけ言っておいた。

由梨は、いつも通り、猿のモゾを散歩に連れていく。モゾは、この頃好きだった松ぼっくりを拾って食べることもなくなった。ただ、公園を歩いていくだけであった。周りのひとに、何か声をかけられることもない。というのは、モゾがモデルを勤めたということを、喜恵おじさんは本に書かなかったためである。

「由梨さん。」

ふいに、声をかけられて、由梨は、振り向いた。

「その節は、ありがとうございました。」

振り向くと、蘭であった。

「ああ、あ、あの時の。」

とりあえずそれだけ言っておく。

「ええ、ありがとうございます。おかげさまで本がヒットしてくれて、喜恵おじさんも、僕もうれしいと思います。」

「今日は、杉ちゃんさんはいらっしゃらないんですか?」

そこにいたのは蘭一人だったため由梨はそう聞いてみた。

「ええ、今日は、一寸用事があると言って、出かけてます。僕も何度か由梨さんにお礼の手紙を差し上げたいと思いましたけど、いま、口頭で言うことができてよかったです。あの、クラウドソーシングで見つけてきたカメラマンさんも、きっとどこかで活躍していると思うんですけど、どうしたんですかね。」

と、蘭はうれしそうな顔をしていたけれど、由梨は、あの瑞枝が押しかけてきたことを思い出して、うれしいという気持ちにはなれなかった。ただ、

「さあ、私は、ただ、彼女に写真を撮ってもらっただけですし。失礼します。」

とだけ言って、蘭に頭を下げて、モゾのリードを引っ張り家に帰った。何だか、蘭にすべてのことが知られてしまったのではないかという気持ちがして、由梨は全身の力が抜けてしまった。その日、由梨は自室から出なかった。由梨は、夕方から、布団に入って寝てしまったのである。

翌日の朝だった。由梨は、目を覚ました。何も音のしないシーンとした部屋の中で、いつも通りモゾを寝かせている檻に目をやる。モゾは、眠っているのだろうか、ハンモックに丸くなっているだけである。由梨が檻のドアを開け、モゾの体に触れると、モゾは氷みたいに冷たかった。

由梨は、これを見て、自分は、人生というものを失敗したこと、敗北したことを認めた。もう自分は、自分の人生を歩くということはできないだろうとおもった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小さな目撃者 増田朋美 @masubuchi4996

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る