わたしの知らない戦争

「そんならわたしが先に登るから、ついてきなさいよ」


「ありがとう。紫苑しおんって親切だね」


 到真とうまが笑うと白い頬にえくぼが出来た。


 わたしは松の木の一番下の太い枝に両手でぶら下がった。そこから足を掛けて体を引き上げると、枝の又から又へと登っていった。わたしの後から到真がフワフワと非現実的な動きで登ってきた。地縛霊の転落死って聞いたことないけど、万全を期してなるべく登りやすい安全なコースを選んだ。登る途中でほらが見つかる度に、わたしが手を突っ込んで中を調べた。ちょうど今夜は満月で松の梢は濡れたような月光に照らされていた。


「あった!」


 頂上に近い幹のほとんど口を閉じかけている洞に手を突っ込むと、丸くて堅い感触を覚えた。そっと取り出してみると。長い年月の雨や埃に汚れて元の色がわからない布袋が手のひらに乗っていた。到真は頬を染めて「開けて」と言った。大きな目がますます大きく見える。 両手を使えるように足を踏ん張り松の幹に背中を押しつけて、袋の口を閉じていた紐を引くとあっけなく千切れてしまった。袋を逆さまにして片方の手のひらに中身を空けると、丸いものが転がり出てきた。月の光に空かすと淡い紫を帯びた氷の塊のようだった。


 到真がほうとため息をついた。


「これが到真の水晶玉なんだね」


「うむ。昔のままだ。ありがとう、紫苑」


「どういたしまして」


「悪いけど、ちょっと持っていてくれるかい?」


「いいよ」


 水晶玉を取り敢えずポケットにいれると、わたしと到真は松の木を降りた。


「あの晩、この町に焼夷弾しょういだんが降ったんだ。それこそ雨のように」


 到真が松の黒く焼け焦げた幹を慰めるように撫でた。


「しょういだん?」


「爆弾のことだよ。落ちると火を噴くんだ。町中が火事になった」


「それって、空襲くうしゅうっていうやつ?」


「そうだよ。よく知ってるね」


「この町にも空襲があったの?」


 知らなかった。ここは東京まで快速でも一時間もかかる田舎の町だ。終戦記念日になるとよく聞く「空襲」なんて自分には関係ないと思ってた。


「僕の家はこの坂の上にあって、この先の川へ逃げる途中で火に巻かれて死んだのさ。お母さんも妹も弟も。この松がこんなふうに黒く焼けただれたのも、その時なんだ」


 到真は悲しそうに黒松を見上げた。


「そうだったの。なんかゴメン。何も知らなくて」


 空襲で焼けた町の後に出来たのが、わたしの知っている町だったんだ。

 わたしは何故だかすごく無神経なことをしてきた気がして恥ずかしかった。


「いいんだよ。君はまだ子供だから、これから教わるんだろう」


 到真が大人びた表情で頬笑んだ。


「この水晶玉はいつ隠したの?」


「空襲の来る日の朝だよ。まさかこんなことになるとは思わずに」


「見つかって良かったね」


「ああ。ありがとう」


 到真は明るい満月を見上げると、深く息を吸い込んだ。


「安心した。これで成仏出来そうだ」


「到真、成仏ってどういうこと?」


「地縛霊を卒業ってこと。紫苑、ありがとう。この水晶玉は御礼に君にあげるよ」


 到真の半透明の手がヒラヒラと動いて別れを告げた。


「到真、イヤだよ。どこに行っちゃうの? わたし、御礼なんかいらないよ」


 到真の笑顔が少しだけ歪んだ。何か言いかけて、でも口を閉じた。


「ごめん。もう逝かないと。じゃあね、紫苑」


「到真!」

 

 我に返ると、わたしは松の木の下に一人で立っていた。手には到真の水晶玉を握りしめている。白い月を見上げると涙の粒がほろほろと零れた。失恋って初めてなんだ。



                              <了>

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黒松坂の地縛霊 来冬 邦子 @pippiteepa

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