後編 下校




『部活終わったよ そっちは?』

『このあと片付けあるから また明日だねー』

『分かった また明日ね』

『あたしがいなくても 泣くんじゃないぞ?』

『誰が泣くか!』



 

 短く文章を打ち込み、携帯をポケットに入れる。

 今日はここから一人帰りだな。

 大通り側から帰る部活仲間と別れれば、踏切の方に歩いていくのは私しかいない。澪とも部活終わる時間がズレることが多くなってきた。べつに寂しい訳じゃないけど。


 帰り道は茜色に染められていた。正面から西日が沈んでくるのが眩しい。下を向いて歩いていくと、後ろに伸びた影が付いて来る。いつもの街並みの影を踏みながら、踏切まで来て立ち止まった。ちょうど遮断機が目の前で下り始めたし、朝みたいに急いで渡る必要もない。

 あいつが息せき走って合流するかも、なんて思ってないぞたぶん。

 

 踏切って、境界なんだよ。

 

 澪の言葉を思い返す。

 踏切のカンカンカンカンって警報はなんか悲しい感じがする。 

 目の前に隔たりを作るからだろうか? それとも向かう道を遮断されたって感じるから? 境界、境目ね。確かにそうなのかもしれない。よく表現したな、澪の……お兄ちゃんは。

 もう後は薄暗くなるだけだ。太陽は隠れ、誰が誰かも分からなくなる。

 

 と、肩を三回叩かれる。

 

 澪のやつ。あのメッセージはこの瞬間のための仕込みか、やられた。  

 またほっぺ、プニられるのもなんか負けた気がするな。

 ……あ、そうだ。

 ちょっと思いついて、肩を叩かれた方とは反対側から振り返った。


「もう澪。やめてよっ、て……」

 

 私の声は、電車の横切る轟音でかき消された。

 後ろには誰もいない。

 

 髪がざわざわと風に揺れる。

 電車がいま通ってるんだ。死角があったって前は絶対に行けない。本当に肩を叩かれたのか……錯覚? いや、三回なにかが触れたのは確かだ。気のせいなわけがない。

 肩と耳にまだ違和感が残っている。電車が通る直前に、私の肩を叩いて……振り返った時、不機嫌そうな舌打ちとぶつぶつ何かつぶやく声が聞こえた。気のせいとは思えない!

 

 誰が、私を?

 澪の話にあったかいぶつが、すぐ後ろにいたってこと……?


 遮断機がぎこちなく上がっていく。

 警報の音が鳴り止むと辺りは不気味に静まり返っていた。

 踏切という境界を越え、なりふり構わず走り出す。電車が覆い隠していた西日に包まれても、恐怖は少しも消えない。眩しさが眼にしみて、泣いてしまいそうだった。







 *  *







 コンビニの横でひざに手をつき、しばらくしゃがみ込んでいた。

 息ができなかったし、心臓がノドから出てきそうなくらい胸を叩いていたが、大分ましになった。だけど恐怖は……私の肩から広がってまとわりついているみたいに、ずっと残ってる。

  

 早く家に帰らなきゃと思う自分と、このままじゃいけないって思う自分がいた。コンビニは私と澪が別れる場所だ。少しお喋りをするときも、悩み事を聞いたり言ったりするときも。ついつい長くなっちゃって帰る時間が遅くなる……。


 澪を迎えに行こう。

 一緒に歩いて、ここで別れないと。昨日までそうしたように。

 携帯を取り出して画面を見ると、メッセージが入っていた。

 

『明日の宿題 窓側? 廊下側から? どっちだと思う?』


 他愛ない澪のメッセージが、私をいつもの日常に戻してくれる。

 ああ、こいつ宿題全部は解かないつもりだな……ほんとしょうがないんだから。

 安心して、ようやくひと息つく。


『ほ 後ろを取られるとは まけたー』


 画面を見た瞬間、ぞわっと背筋が冷たくなった。

 すぐに立ち上がって澪に電話を掛けながら、通学路を走る。


 私と一緒だ。

 あのかいぶつが……いま澪の後ろに!

 澪は歩きながら携帯を使わない。メッセージを打つとしたら、しばらく足を止める場所……きっとあの踏切だ。電話はコール音が鳴ったままで一向に繋がらない。いま澪は携帯を操作してたんだ、何で出ないの!?


 茜色の夕日を背中に受け、自分の影も踏み越えるぐらい全力で走る。

 道の向こうに見える踏切では、電車が黄昏の光を反射しながら通り過ぎようとする所だった。向こうの様子は隠れてしまっている。


「澪! 振り返っちゃ駄目!」


 聞こえない。この距離じゃ聞こえない。

 警報も電車も、声を遮ってるんだから届かないって……分かってるんだよ!

 でも叫ばずにはいられなかった。


 電車は一瞬で流れ去り、遮断機がゆっくりと上がった。

 自動的に隔たりが取り払われて通学路がまた繋がる。

 汗も拭わず、息を弾ませたまま踏切を越えた。

 こちらへ渡ってくる人は誰もいない。


 伸びた自分の影が、地面に落ちている物を包む。

 鳴り続けている着信音は、毎回聴かされているのと同じだった。


 私の名前を表示した画面が、滲んで見えなくなっていく。


 いつもの変わらない景色や日常から引き離され、置き去りにされた気持ちになる。だってそうでしょ? 私と澪のいる場所は重なっているはずなのに、お互いの顔も声も……分からないんだから。


 落ちている携帯の影が膨らんで、私の影を持ち上げる。

 私はただ、悪い夢だとか気のせいだとか頭の中で言い訳をして、泣き顔を向けることしかできなかった。




 うすっぺらく伸びた影が地面に不自然な人の形を作る。口元の辺りに切れ込みが入り、ケラケラと笑っている。誰かを見下したり馬鹿にしたりするような笑い方。

 



 それは肩を三回叩かれた時、聞こえた声に似ていた。




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肩を三回叩かれたら 安室 作 @sumisueiti

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