肩を三回叩かれたら

安室 作

前編 登校


 


 カンカンカンカン、と踏切の遮断機が警報を鳴らしながらおりてくる。

 今日は間に合わなかったな、と思いながら立ち止まった。この時間は電車が行き交うから、待っていると登校時刻ギリギリになってしまう。数分後には少し早歩きしなきゃいけない。

 本当は音が鳴った時点で、歩道橋から回って行った方が早いんだけど。走ってしまったうえ、踏切前まで来てしまうとどっちの通学路でもあまり変わらない。それなら待ちながら息を整えた方がましだ。

 

 肩をぽんぽんと叩かれて、振り返る。

 人さし指がプニっとほっぺに押し当てられた。

 こんなことするのは、私の友だちで一人しかいない。 


「……みお

「あははっ引っかかった!」


 澪が歯を見せて笑っている。

 どこまでも明るくて、陰湿さのかけらもない笑顔。

 友だちっていうよりも悪友だと思う、この子との関係を表すなら。 


「もう、なにが面白いんだか」

「ごめんごめん仁美ひとみ


 澪が両手で謝るポーズを取る。

 ……反省はしてるんだよ。ただすぐ切り替わるし忘れちゃうだけで。それに時と場合、相手もちゃんと選ぶ。私は不幸にもスキをついていいんだって思われてしまっている人間の一人だ。そして学校では私一人だけが該当する。重ね重ね不幸だ。


「別に。気にしてない」

「よかった……あ、そうそう。これはお兄ちゃんに聞いた話なんだけどさ」

「うわ。またお兄ちゃんの怪しい噂話?」

「怪しいって言うのは正解。ただ学年上の人たちにはわりと有名らしくて」


 出た出た。いつもの身内話。ほんと澪って家族のこと好きだよね。

 まあ踏切はしばらく開かないし、待つ時間つぶしにはちょうどいい。

 しょうがないけど聞いてあげるか。


「それで、どんな話?」

「夕方の薄暗くなる時間に、通学路を歩いていると……出るらしいんだ」

「不審者が?」

「そうじゃなくて、もっと恐ろしいかいぶつ。名前は知らないけどね、そいつが


 さっきの澪のイタズラを思い出す。

 頬をさすり、口端を歪める。


「ふぅん……それで? ほっぺを指で突き刺してくるわけ?」

「振り向いちゃダメなの。それに、肩を掴んで絶対離そうとしないんだって。だからその時点で手遅れ。振り返ったら牙を生やしたかいぶつが笑いながら、どこか知らない世界に連れて行っちゃうって話よ」

「なら、どうしたらいいの? 逃げられないんでしょ?」

「えっとね……分かんない」


 ずっこけそうになるが、電車が間近に迫っていて思いとどまる。

 轟音を立てながら通り過ぎるのを見送るあいだ、後ろ髪がなびいて揺れた。


「でも時間と場所さえ重ならなきゃ大丈夫よ。出会っても何か逃げる方法があるかもしれないけど。大切なのは、かいぶつに肩を叩かれないことだから」

「夕暮れ時で、場所は通学路の……」

「たぶん信号待ちとかで、立ち止まっちゃう所ね。踏切なんてピッタリ条件に合ってる気がしない? 。こっちとあっちが遮断され隔たりを生み出すの。もしあたし達の世界を踏み越えて、戻れなくなったとしたら……怖くない?」

「ずいぶん詳しいっていうか、澪じゃないみたいな考え方ね」

「……うん。お兄ちゃんが言ってた」


 奥側の電車も音を立てて横切っていく。  

 連れてかれて戻ってこれないって話がぜんぶ本当なら、この話は誰から伝わったんだ? なんて、澪はお兄さんに突っ込んだんだろうな。光景が目に浮かぶよ。


 ふいに澪とは反対側の肩を二回、ぽんぽんと叩かれた。

 首を振って確認しても誰もいない。ただ、肩の後ろから澪が手を回してて、引っ込めたのが見えた。いたずら好きな顔も。

 こういうやりとりが多いのは兄妹が多いからか?

 毎回引っ掛かる私も私だけど、少し注意してあげた方がいいかもしれない。


「あの、つい手がね……仁美が隙だらけでさ。でも気を付けてねほんと」

「もう一生、この通学路で肩叩かれても振り返らないから」


 警報が止み、遮断機がのんびりと持ち上がる。

 止まっていた人たちは弾かれたように動き始めるけど、澪はつんと横を向いた私の顔色を不安そうに覗き込もうとしている。


 ……澪はほんと真に受けるというか、コロっと騙されちゃうんだよな。騙され耐性がぜんぜん無いんだ。きっと小さい頃からお兄さんたちが、澪のちょっとした意地悪の仕返しをしないで、好きにさせてたんだろうな。

 

「あ、あれ? もしかして怒ってない?」

「怒ってるよー? 今度は私が肩三回叩いてから、ほっぺを突き刺してやる!」

「……あはは。先に言ってるじゃん! 絶対引っかかってあげない!」




 案外お兄さんたちも私みたいに、ちょっと慌てた顔と……

 心から安心した笑顔を毎回見たいってだけかもね。

 


 走って逃げる澪を追いかけながら、そう思った。

 今日の登校は余裕で間に合いそうだってことも。



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