終 もう一度食卓を囲んで

 ん、んん、ここは俺の部屋? 


 俺はベッドで寝ていたのか?


 いつの間に女神と話が終わっていたんだ?


 起きあがって周囲を確認しようと記憶にある洋室は俺の私室だ。


 一人部屋にはやや広く、本棚や勉強机などがあるありふれた家具配置。


 壁際には制服がハンガーで吊され、スマートフォンで日付を確認すればあの日、清野の子全員でラーメンを食べに行った休日。


 時間的に藍香と楓月が起こしに来る少し前だ。


「夢、だったのか?」


 前髪を手で押し上げようとした時、何か握っていると気づく。


「こいつは、ギアか?」


 端と見て機械部品の歯車にしか見えぬが、金色の歯車から伝わる何かが異世界のギアだと直感させる。


「みゃ~!」


 俺が起きたのに気づいたのか、飼い猫ペロがすり寄って来た。


「おはよう、ペロ」


 優しく喉元を撫でればゴロゴロと鳴く。


 そのままペロを抱き上げた俺はベランダから外を覗き見る。


 この屋敷は丁度小高い丘の上にあるため、清ヶ原の街を一望できる。


「夢、じゃなかったんだ」


 窓から覗く街並みは俺の記憶と一致し、シャッター商店街や空き地など衰退は一切見えず発展した光景が広がっている。


 なら今頃、ティティスたちは新生した世界で生きていることになる。


 どんな世界か気になるが、生憎行き来する方法を俺は知らない。


 こうしてギアを俺に握らせた女神の狙いもまた知らない。


「邯鄲の夢だなまるで」


 世界の栄枯盛衰は儚きものと言ったもの。


 共に旅した仲間たちと勝利を味わえず終いなのが心憎い。


「んしょ、んしょ」


 ふとベランダ下から聞き覚えのある元気な声。


 ああ、そういえばと俺は何が起こるのかを思い出し、先手を打っていた。


「はい、おはよう」


 俺ははしご車でスピーカー運ぶひなたに朝の挨拶をした。


「あ、あれ? お、お兄ちゃん、なんで起きてんの? この時間はバクバクに爆睡している時間ですよ?」


 はしごを登り終えてベランダ立つひなたは、ありえぬと目を白黒させている。


「やれ、ペロ」


「みゃっ!」


 先手必勝! 爆音波な目覚ましボイスはお断りだ。


 俺から解き放たれたペロはひなたの額に猫パンチをお見舞いする。


「朝から酷いですよ、お兄ちゃん!」


 ひなたの額を足場にしたペロは身を捻って方向転換。そのまま俺の胸に舞い戻って来た。


「爆音スピーカーで起こすほうがよっぽど酷いわ!」


 抱き上げたペロを撫でながら俺は言い返す。


 さて流れ的にあの二人が静かに現れるはずだと思った矢先、ドアが静かに開かれ、押し合いながら藍香と楓月が部屋に入って来た。


「ってあれれれ、おにいが起きてる!」


「あらら、おはよう、弟くん、今日は早起きなんだね」


 俺をどちらかが起こすか、スマートフォンを奪い合うなどの展開は俺の起床にて起こらない。


「はい、おはよう。というわけで着替えるから全員出て行け」


「おっらガン姉! なにしれっとおにいの服出そうとしてんだ! おにいの着替えを手伝うのは真なる妹ただ人!」


 俺の言葉は釘にすらならず、起床関係なしに朝の騒がしさは変わらないときた。


 このままだと夢月や陽悟と勇陽が突撃に来るのも時間の問題だぞ。


「ダ~メ、弟くんを着替えさせるのはお姉ちゃんの役目なんだからね? この手は弟くんを着替えさせるためにあるんだよ」


「ならお兄ちゃんの下半身は、不肖ながらひなたちゃんが務めさせてもらいます! ささ、お兄ちゃん、パンツまで抜いで――あいた!」


 いけしゃあしゃあのひなたは俺に承諾一つとらずパジャマを脱がしにかかってきた。


 当然のこと藍香が阻止に動き、ひなたの額にパンチを入れる。


「このガンガン姉妹め! 今日という今日は引導渡して熊の藻屑にしてくれるわ!」


 藍香は俺と楓月・ひなたの間に割り込み、シャドーボクシングで牽制してきた。


 その切れある拳の振りは俺の記憶を刺激しその名を零させる。


「ティティス……?」


「え? どっしたのおにい、なんで泣いてんの?」


「弟くん、どっか打ったの? もうひなたちゃんがセクハラするからよ?」


「ちょっと冤罪ですよ、冤罪! お姉ちゃんこそお兄ちゃんのパンツ、どさくさに紛れてポケットに入れないでください! あ、もちろんひなたちゃんにも一枚譲るなら見なかったことにしますよ!」


 俺泣いているのか?


 確かめんと頬に手をやれば確かに涙が流れ落ちている。


「おにいのパンツはおにいのものだろう! 返せ!」


 涙拭う俺を余所に藍香はベッドに飛び乗れば、楓月とひなたに向けてダイブしていた。


「そうか、そうなんだな」


 パンツを奪い合う三人を前に俺はただ頷くしかない。


 女神は望む形で転生させると言っていた。


 相棒が女王でもなく、人間への転生を選んだ理由は俺には分からない。


 いや藍香がティティスだという証拠はない。


 切れある拳は相棒の拳に瓜二つなんだがな。


「姉ちゃん、兄ちゃんまだ起きないの?」


「あ、兄貴、もう起きてる!」


「ペロ、ペロペロだ!」


 弟組が扉開けては部屋に雪崩れ込んできた。


 俺はベッド脇にあるスマートフォンを手にとれば、抱き抱えたペロを勇陽に預けた。


「兄ちゃん、骨肉ならぬパンツ争いの姉ちゃんたちどうすんの?」


「放置しとけ」


「うんうん、触らぬ姉たちに祟りなしだ!」


「ペロペロペロ」


 俺は弟たちを引き連れて部屋を出る。


 ドア越しだろうと響く騒動をBGMにスマートフォンのグループチャットを開いた。


             *


 一禾:紅樹、紅葉、昼飯にラーメン食いに行かないか?


 紅樹:あ~お誘いは嬉しいけどよ、あれこれ本買ったから今月財布がピンチなんだよ。 


 一禾:先月もそういってたなお前。まあ安心しろ。俺のおごりだ。サービスでチャーハンつけとくぜ。


 紅樹:おごりだと! オーライ! 行く行く!


 紅葉:私もいいんですか、先輩?


 一禾:藍香も喜ぶと思うからさ、ぜひ来てくれ。


 紅葉:ああ、いつもの食事会ですね。分かりました。ごちそうになります。


 一禾:正午前にいつものラーメン屋に現地集合。


             *


『そ、それだけでいいのですか? 彼ら三人は株価の変動やら宝くじの当選番号を要求してきましたよ?』


 女神は俺の願いに酷く狼狽していた。


「ああ、それだけでいい。俺の願いはただ一つ……」


 ――騒がしくも賑やかな食卓をもう一度。

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なぜ誰も忘れてしまったのか? 黄昏にて忘滅する世界 こうけん @koken

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