※この世界はフィクションです※

高橋てるひと

※この世界はフィクションです※

      ※※※


 この世界はフィクションです。


 だから、現実の世界とは一切関係ありません。なんせフィクションですからね。


 この世界は誰かに書かれた物語です。

 そして私は、この物語の主人公です。

 十七歳の少女で、親近感を与えるべく平凡で地味な容姿と言いたいところですが、実際には美少女ですし、平均より凹凸の激しい身体を有しています。

 仕方がないので、いかなる美少女でも一瞬で野暮ったくする眼鏡を掛けています。

 私は高校二年生で、制服は伝統的なセーラー服で、図書委員で、定位置の貸出カウンターに座っており、周囲に人はいません。

 作者の都合です。

 登場人物が多いと面倒と判断したのです。私は一人が楽な人間なので構いません。

 頬杖を突き、本をめくっていると、


 ――※※※さん。


 私の名前を呼ばれました。

 顔を上げますと、一人の男子生徒がカウンターの前に立っています。でも彼に名前はありません。モブキャラだからです。噂で何度か名前をお聞きしたことはあるのですが、認識できません。モブキャラだからです。ちょっと可哀想です。

 モブキャラの彼が言います。


 ――好きです。僕と付き合って下さい。


 ド直球のストレートでした。

 モブキャラの癖に侮れません。

 でも、残念ながら、私の答えはすでに決まっています。


※ごめんなさい※


 私は台詞を読み上げ、彼に伝えます。


※恋愛には興味がないの※


 嘘です。

 私だってそこは女の子なんです。

 まあ、好きな男性はいませんが。

 作者の都合でしょうか。

 それに彼はモブキャラなのです。

 モブキャラとは付き合えません。

 かなり可哀想です。


 ――そっか。残念。


 と、モブキャラの彼は振られた割に冷静で、颯爽と背中を向けて去っていきます。その際、何故か意味深な笑みを残して。


 伏線でしょうか。


 まあ、作者の都合なのでしょう。


      ※※※


 私は一人暮らしをしています。


 作者の都合です。


 女の子の――しかも眼鏡を取れば美少女の一人暮らしは危険な気がします。おまけに安めのアパートです。もっとセキュリティの高いマンション住まいとかに設定してもらいたかったです。

 自宅に帰ると、私は制服から部屋着に着替え、きゅっ、とエプロンの紐を背中で結んで夕飯を作ります。私にメシマズ系の設定は与えられていません。普通の料理を普通に作って普通に食べます。

 食器を洗って片付け、しゅるっ、とエプロンの紐を外し、その後、お風呂に入るわけですが、殿方の読者が期待されているシーンは残念ながら一切ございません。


 何故って? 


 もちろん作者の都合です。あしからず。


      ※※※


 私は物語が好きです。


 夜、パジャマに着替えた私は布団(なぜベッドでないのでしょう? しかもぺらぺらの布団です。冬は超寒いです)の中で、物語を読みます。

 大半は学校の図書室や近くの図書館から借りてきた小説です。漫画だって好きなのですが、貸出禁止だったり置いてなかったりで、自分で購入する必要があるのであまり読めません。設定の改善を求めます。


 私はハッピーエンドの物語が好きです。

 たぶん私自身が主人公だからでしょう。


 ハッピーエンドの物語の主人公にとっては、途中の困難も悲しみも絶望も布石に過ぎないからです。最後は必ず主人公が勝つのです。


 私の物語もハッピーエンドを希望です。

 ですが。

 私の物語のジャンルはどうも不明です。


 恋愛のあれこれの物語でしょうか。

 ですが恋愛に興味はあっても、私には今、好きな男性も好きな女性もいません。

 そもそも、私の周囲には人がいません。

 ぶっちゃけ、モブキャラの彼だけです。

 これは酷い。


 作者の都合なのでしょう。


 ハッピーエンドで終わった素敵な物語を読み終えた私は、電気を消し、布団に潜って目を閉じ、私の物語のことを考えます。


 私の物語がバッドエンドだったら、と。

 普通に嫌です。


 例えバッドエンドだとしても、物語の主人公としての役目を果たした以上勝ち組なのかもしれませんが、なんか詭弁っぽいです。

 だからやっぱり、最後に私が勝つ、ハッピーエンドの物語であって欲しいです。


 もっとも。


 ジャンル不明な以上、どうすれば私の勝ちでハッピーエンドなのかも不明ですが。


      ※※※


 今日も私は図書室の貸出カウンターに座っており、そして周囲に人はいません。

 頬杖を突き本のページをめくっていると、


 ――※※※さん。


 名前を呼ばれましたが、無視しました。

 例のモブキャラの彼だからです。モブの癖に何度も登場するなんて生意気です。


 ――※※※さん。


 しつこいモブキャラです。

 私は深呼吸をして気持ちを落ち着け、私は本を閉じ、慎重に台詞を読み上げます。


※今日は何の用ですか?※


 ――好きです。僕と付き合って下さい。


※その件でしたら※


 私は、二度目のド直球を叩き落とします。


※この間、お断りしたはずですよ?※


 にこにこ、と。

 断れても笑顔のまま、彼は言います。


 ――たった一度振られて諦めるなら、本当の恋じゃないと、僕は思うんです。


※それはまたロマンチックな考えですね※


 ストーカーの発想にも近いですけど。

 私は深呼吸をして、覚悟を決めます。


※本当に貴方は私をお好きなのですか?※


 私はどうやら、モブキャラである彼と、きちんとお話せねばならないようです。


※どうなんです? 学校の有名人さん?※


 彼には。

 私の物語から、退場してもらわねば。


 ――僕は、どこにでもいる平凡な男子高校生なんだけれどな。ただの凡人だよ。


 白々しい。


※人助けがお得意だと、お聞きしてます※


 ――別に。


 モブキャラの彼は、そう言いました。


 ストーカーの被害に遭っていたクラスの委員長(美少女)を助け、引きこもりの生徒(美少女)を担任教師(ちっちゃくて可愛い)と養護教諭(美女)と一緒に学校に通わせ、水泳部のエース(美少女)を全国大会に導き、鋼鉄の風紀委員長(美少女)をただの愛すべきツンデレに変貌させ、旧家のしきたりに苦しめられ続けていた元生徒会長(美少女)を救うため彼女の曾祖父(この国を裏から牛耳る旧家の現当主。御年100歳にして筋骨隆々の巨漢。熊を素手で殺せる)と一対一で対峙した――普段の定位置は2年A組の教室の窓際の一番後ろの席である、学校一の有名人。


 そんな彼は、こともなげに言いました。


 ――大したことはしてないよ。


 とんでもない方です。


 彼に本格的に登場されれば、私の物語への影響は計り知れません。主人公としての立場は木っ端微塵にされて、たぶん私の立場はヒロイン(十数人目)とかに変更されるでしょう。ご免被ります。


 ですから、彼はモブキャラなのです。

 そして。

 モブキャラのままでいてもらいます。


※今度は、私を助けようと?※


 図書室のカウンターで一人ぼっちで本を読んでいる、眼鏡っ子の、本当は美少女。


※確かに貴方にとっては、これ以上なく丁度良い獲物ですね※


 皮肉を込めた台詞にも彼は笑ったまま。

 手強い相手ですが、私は踏み込みます。


※貴方が人助けする理由は、純粋な善意や正義感――ではないですよね?※


 ――そうだよ。


 と、彼はあっさり認めました。


※では、助けた美少女に囲まれて「はーれむ」を築きたい、という理由ですか?※


 ――え? 何のこと?


 あ、これいわゆる鈍感設定ですね。

 いつか刺されそうです。


※もし良ければ※


 私は眼鏡を外し、美少女になります。

 にこりっ、と。

 いかにも美少女な笑みを浮かべます。


※私に理由を教えてくれませんか?※


 ――いいよ。


 彼は頷き、読み上げます。彼の台詞を。


 ――この世界はフィクションだ。


 はい。その通りですとも。


 ――だから、どこかにある現実の世界とは一切関係ない。フィクションだから。


 ええ、まったくその通り。


 ――この世界は誰かに書かれた物語だ。


 そうです。その通りです。


 ――そして。


 そして。


 ――僕が、この物語の主人公だ。


※いいえ※


 にこりっ、と。

 微笑んで、私は彼の言葉を否定します。


※私が、この物語の主人公です※


 にこにこ、と。

 笑顔で、彼は私の言葉を聞きました。


 そのまま。

 お互いに笑顔のまま。

 たぶん一瞬の、永遠みたいな時間の後。


      ■■■


 ほぼ同時に、その笑顔をか殴り捨てて。


「――妄想乙」


 こちらを指差す相手のドヤ顔に対し。


「あんたもそーでしょ」


 私は呆れた顔と、冷めた目で応じる。


      ■■■


 両親が死んだのは、私が小学生の頃だ。


 目の前で死んだ。


 根本的な原因は父の浮気が原因だった。

 直接的な原因は母の握った包丁だった。


 馬鹿なお母さん。


 顔がちょっと良いだけの駄目な父のことを、あんなに必死に好きになって、あんなに必死に働いて、あんなに尽くして――でも、浮気されて。 

 おまけに、何度も研ぎ直して大切に使っていた母の包丁は、正しい使われ方をしなかったせいで折れてしまった。

 そして、そのままその包丁を使って、私を置き去りにして死んでしまった。


 私は全てを諦め、110番してから折れた包丁を手にする――前に本を読んだ。なんせラスト数ページだったし。父が「面白いから読め読め」と薦めてくれた本。


 馬鹿なお父さん。


 物語が好きで、私に(興味がない母にも)たくさん素敵な小説や漫画を教えてくれたけど、それ以外は全然駄目だったお父さん。

 顔はちょっと良いのに中身は内気で気弱なもんだから、仕事先の若い女にぐいぐい迫られて押し切られた。

 母のことも。

 私のことだって。

 ちゃんと愛してくれていた癖に。


 父の買ってくれた本を読み終え、包丁に手を伸ばす前に、私はその言葉を見つけた。それまで特に気にしていなかった、よくある注意書き。


 魔法の言葉だった。


 近づいてくるパトカーのサイレンの音を聞きながら、どうしてか涙が止まらなくなっている顔を何度も何度も拭きながら、包丁に手を伸ばすことを止めて、私は。


 私は、初めてその台詞を読んだ。


※この世界はフィクションです※


 私は、その瞬間から物語の中にいる。


      ■■■


 誰にも、私の物語の邪魔はさせない。


「あんたはモブ。目立つな。消えろ」

「勝手に他人をモブキャラにすんな」

「私の物語だし」

「お前は俺の物語の中だと、ヒロインで攻略対象なんだ。とっとと攻略されろ」

「勝手に他人をヒロインにすんな」

「俺の物語だ」

「ヒロインとモブじゃ全然違げーよ。私のルートはスルーして他の女攻略してろ」

「それじゃ困るんだ」

「何で」

「ゲーマー的に、攻略対象はとりあえずちゃんと全員コンプしないと落ち着かない」

「ふざけんな」


 つまり、こいつは困ってたり不幸だったりする女の子を見つけると、自分の脳内で勝手にヒロインにして、勝手に攻略対象に設定して、勝手に助けるらしい。

 善意でも正義でも美少女に囲まれたいでもなく、ただのコンプリートが目的で。

 控えめに言って最低である。


「ちなみに俺、難易度が高いほど燃えるタイプだから生徒会長(元)攻略したときはめっちゃ達成感あったわ。生徒会長(現)はヌルゲーでつまらんかったが」

「ふざけんな」


 生徒会長(元)にも、いつの間にか攻略されていた生徒会長(現)にも聞かせられない話だ。というか、助けられた美少女全員に聞かせられない。えらいことになる。


「ってか、そっちも現実を見なよ。どーすんの美少女たち。修羅場になるよ?」

「俺、攻略後のヒロインに興味ねーしな」

「刺されろ」

「本気で人刺す奴なんかいるか?」

「私のお母さん、包丁でお父さん刺し殺したんだけど。その後自分の首もばっさり」

「まじで?」

「まじ。目の前で見てた」

「お前は?」

「置いてかれちゃったよ」

「そりゃ良かったな。お前は生きてて」


 ――貴方だけでも、生きてて良かった。


 死ぬほど言われた、死ぬほど不快な言葉。

 でも。

 相容れないとはいえ、私と同じこの世界をフィクション扱いしている奴だ。


「だって死んだら――」


 例え同じでも、その無遠慮さと意味合いと後に続く言葉は、まるで違った。


「――物語が読めない」

「うん」


 と、私はその言葉に頷く。


「生きてて良かった」


 なんせ、その頃好きだった漫画の最終巻が一か月後に発売予定だったのだ。


 父が、いつも通り教えてくれた漫画で。

 母も、実はこっそりと読んでた漫画で。


 私は思った。

 二人とももったいないことしたよ、と。

 その後は色々なごたごたがあったから。

 結局、読めたのは数か月後だったけど。

 すごく素敵な最終回だったのに。

 三人で一緒に読みたかったのに。

 そう思った。


 私は、私の物語の中で生きている。

 

 私の物語で現実を覆い隠し、世界を塗り替え、存在しない作者を生み出すことで。

 その物語で私自身すら作り変えて。

 なぜって。

 私はまだ物語を読んでいたいから。


 だから私は、彼にその台詞を告げる。


      ※※※


※この世界はフィクションです※


 その台詞一つで、魔法が掛かります。


※そして、私はこの物語の主人公※


 この世界の全てに。

 そして私自身にも。


※そうして、私は生き延びてきました――これからもずっと、生き延びてみせます※


 にこり、と。

 私はモブキャラの彼に微笑みます。


※ですから、物語は捨てられません――主人公の座も、モブキャラには譲れません※


 ――なるほど。


 にこにこ、と。

 モブキャラの彼は笑顔で言います。


 ――君は随分と厄介なヒロインらしい。


※お分かり頂けたのならば※


 小首を傾げる仕草を一つ。

 胸元で両手を組んでみせ。

 そして、台詞を読みます。


※お引き取り願えませんか?※


 ――今日はそうするよ。


 モブキャラの彼はわざわざ背中を向け、


 ――でも、さっき言った通りに。


 それから芝居がかったように振り向き、私に対してこう宣言します。


 ――僕は、難易度が高い程燃えるんだ。


 そして颯爽と――あ、扉の角に足ぶつけました。小指めっちゃ痛いはずですが、何事もなかった風を装って――去っていきます。


※懲りない方ですねえ※


 私の物語の中ではモブキャラでも。

 彼の物語の中での彼は主人公です。

 さすがに、一筋縄ではいきません。


 とはいえ。


 私もそう容易く攻略はされません。

 この世界をフィクション扱いすることで、全力で自分を生かそうとする私と。

 この世界をフィクション扱いすることで、勝手に他人を助けようとする彼は。

 本来は相容れない敵同士なのです。


 私は外していた眼鏡を掛け直し――ただの平凡で地味な女の子に戻ります。

 本当は全然隠せてなくても。

 そういうことになってます。


 私は、私の物語の中で生きています。


 今は野暮ったい眼鏡を掛けた平凡で地味な女の子として、必要ならば眼鏡を外して美少女となって。でもいずれは美少女なんてふわふわしたものではなく、地に足が付いた大人の女性となって――それでも、ずっと。


 この世界は、フィクションです。

 そして私は、この物語の主人公。

 でも物語のジャンルは不明です。

 長編か短編かすら不明なのです。

 終わりがハッピーかバッドかも。

 その終わりが、いつになるかも。


 作者だってわかっていないでしょう。


 その癖、計画性のない作者の都合で、ろくでもないことが伏線でもないのに何度も何度も襲い掛かってきますが、主人公である以上、最後は私が勝つと信じています。


 だって。


 私は、ハッピーエンド希望ですから。

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