第6話
さらに時が過ぎたがグランタスの街は変わらない、疫病は変わらず蔓延していたし作物の実りは悪い。今年の冬は越せるだろうか、万が一のために用意している備蓄は充分だろうかと心に不安を抱いていた。
誰もが冷静さを欠いていた。
冷静であれば今回の不作は過去にあったものと同程度であるということに気付けただろう。疫病は未だ流行りつづけているが山場は既に越えていて、死者は出ていたが体力の無い老人と子供、そして持病を抱えていた者だということに気付けていただろう。
だが誰も気付いていなかった、全てが魔女の仕業だと思い込み視野狭窄に陥っていた。特に酷いのが司祭のペトロスであった。彼は魔女がいない事を知っていた、はずだった。シュリー・デュヴァルを魔女としたのは彼であるが、デュヴァル夫人が魔女でない事を知っていた。
ペトロスは彼女の資産を教会の物としたかっただけだった。ついでに人々の不安を和らげることが出来ればそれで良かった。デュヴァル夫人を燃やした時、全て上手く行くと考えていた。経験上、悪い事は長く続かないことを知っていたからだった。
けれども疫病の蔓延が続いてしまっている。これは彼の想定に無かったことで、焦燥感が日々募ってゆく。さらに人々は教会に詰め掛ける、彼等の相手をすることでさらに追い詰められていった。
ペトロスは司祭の地位にまで達したが、魔女と同様に神もまた信じてはいない。安定した地位と誰にも奪えぬ富が欲しいという欲望だけで登りつめた。上手く隠してはいてもその本性は餓鬼同然といえよう。
そして人は追い詰められ極限へと達すれば簡単に化けの皮が剥がれてしまうもの。これまでは懐の深い聖人を演じられていたペトロスだったが、日毎に声を荒げるようになってしまっていた。これに人々はさらなる不安に駆られ、より司祭であるペトロスに詰め寄るようになってゆく。
悪循環が生まれていた。
ペトロスは神に祈りを捧げ続けるという名目で教会の扉を閉じて外部との接触を絶った。それでも納得の行かない街の住民は扉を叩き続け、その音に急き立てられながらペトロスは蒸留酒を浴びている。
人々の接触を絶っていたのは何もペトロスだけではなかった。役人達も門戸を閉じて人々の声を聞くのをやめていた。請願は毎日のようにやって来たが、役人達に願いを叶える力は無く、教会の司祭同様に追い詰められていた。
街を治める彼等がそんなだから、住民が感じていた焦燥は筆舌に尽くしがたい。最も、グランタスの街の全員が見えない未来に覚えていたわけではなかった。アラム少年がその一人である。
マヌエラ女史に心情を吐露してからというもの、アラムは先の事を心配しなくなっていた。今が辛いのは確かだ、食べるものは少ないし自分も病に犯されるという恐怖があるにはある。
けれども、それがずっと続くわけではない。今だけのこと、来年は豊作になるかもしれないし、疫病はいずれ去る。街の人々の表情は暗く翳っていても、アラムは明るく笑っていた。
そんなアラムを不思議に思う人はいたし、少年である彼が明るく生きていることに希望を見出す人もいるにはいた。
アラムが明るくいられる事に疑問を抱いたある人はこう尋ねた「どうしてそんな顔をしていられるんだい?」と。
これに対するアラムの答えは決まっていた。
「だって長くは続かないもの」
こう答えられた人には新たな疑問が生まれるのでやはり尋ねる。
「どうしてそう思えるんだい?」
アラムは答える。
「そういうものだと思ってるから」
アラムはもっと上手に答えられたら良いのにと思ってはいても、そう答えるので精一杯だった。具体的に、論理的な説明は出来ない。そもそもの根拠が無いのがその理由だが、アラムはそれに気付いていなかったし自信というのはそういうものかもしれなかった。
ともかくアラム少年はマヌエラ女史から勇気を貰ったことで、陰鬱な空気漂う街であっても明るく日々を過ごすことが出来ていた。
ある夜、門戸を閉じて引き篭っていた教会の司祭ペトロスが全ての住民に対し広場に集まるよう号令を掛けた時も、アラムの心には光があった。
ただ集まる場所が広場なせいで悲しくはある、というのもそこはデュヴァル夫人が公開火刑に処せられた場所だからだ。ある程度は経った時間により癒されているとはいえ、アラムの傷は深い。
広場に集まる人々の姿、その中央で演壇に立つ司祭ペトロスの姿を見ると否が応でもあの火の事を思い出す。記憶の中にある、火に包まれる夫人の姿はやや不鮮明なものになってくれてはいたが、臭いは未だ鮮明なままだった。
俯き広場の石畳を見ているだけで、あの不快な命の焼ける熱い臭気を思い出すとあの時と同じ吐き気を感じてしまう。それでもアラムは気丈に振舞おうと顔を上げて、中央に立つペトロス司祭の姿を見据えた。
彼はこれから大事な事を話してくれるに違いない、それはこの街の指針となるもので人々に希望を与えるものだとアラムは信じていたのだ。ペトロスの本性が欲望に塗れたものであると知りはしないし、距離があったためにアラムにはペトロスがやつれている事にも気付けなかった。
ペトロスは演壇の上から広場を見下ろし、住民の多くが集まっていることを知ると腕を大きく広げて広場全体に響く大声で告げる。
「この街には魔女がいる!」
辺りは騒然となった。魔女は死んだはずではなかったか、それともデュヴァル夫人以外にも魔女が居たということなのか。人々はそんな事を口にしていた。
心に希望の光を宿すアラムですら、司祭の言葉には目を疑っていた。
「皆のものよ静粛に! よく聞きたまえ、魔女シュリー・デュヴァルは浄化された。だがこの街を襲う災厄は消えはしない、何故か!? 他にも魔女がいるからである!」
「じゃあそれは誰だっていうんだ!」
誰かがペトロスに向けて行った後「そうだそうだ」という声が広場全体から上がった。
それを聞いてペトロスは広げていた両腕を下ろし、溜息と共に肩を落とす。
「分かりません……」
嘆くように言った、これは演技だったのだがそれを見抜けるものは誰もいなかった。混乱が広がってゆく、街の中に魔女がまだ潜んでいる。そう思い込んだ人々の目には赤い筋が走り始め、様々な言葉が飛び交って騒音と化した。
「ですが!」
ペトロスは背筋を伸ばしまた大きな声を出す。皆、口を閉じて演壇へと視線を向けた。これはペトロスの計算通りの事である。
「魔女はいるのです、これは間違いありません! この集まりの中に、善良な振りをして潜んでいるのです! 魔女は女とは限りません、男かもしれません。老いているとは限りません、子供かもしれません。
けれども見分けることが出来るはずです! 皆さん、思い出してください。あなたの周りに急に富んだものはおりませんか? 不幸に包まれているというのに笑顔のものはおりませんか? それに何より、あの魔女! シュリー・デュヴァルに哀れみを抱いているもはおりませんか? もしいたら、それこそが魔女であります!
さぁ、今この場で魔女を探しましょう! 善良なる人々がこれだけいるのです、例え魔女といえどここから逃れられるはずが無い! ここで見つけ、浄化しましょう!」
ペトロスのこの言葉の後、役人が広場の真ん中に馬車を引いてやってきた。馬車に積まれていたのは磔刑用の十字架と、燃料とするための大量の藁と薪である。
これを見たアラムは慄くしかなかった。周囲から自分がどのように見えているのか、ふと考えたのである。アラムは街に不幸が来る前と同じように振舞っていた、そしてデュヴァル夫人に対する哀れみの言葉を口にしたこともある。
魔女にされてしまうかもしれない、夫人と同じように燃やされるかもしれない。そう思ってしまえば心の中にあった希望の灯火はいとも容易く消えてしまった。
この場を離れよう、頭に浮かんだのはそれだけだった。出来るだけこっそりと、最初から広場に来ていなかったように振舞おうと。幸い、アラムは演壇を囲む輪の外側に位置していた。それとなく逃げるのは容易なはずだ。
足音を立てぬように摺り足で少しずつ輪から離れて、そして後ろを振り向いた時だ。アラムの手首を誰かが掴んだ、恐怖で胸を割りそうになりながら振り返る。母だった。
彼女はアラムに疑いを掛けてなんていなかった、ただ息子がどこかに行こうとしたのでそれを止めただけだった。アラムはほっと安堵の息を吐く。
「お前、逃げようとしただろ!」
けれども見ていたものがいて、彼は声を大にして言ったのだ。アラムは母に手首を掴まれながら声のしたほうを見た、そこにはアラムを指差すスタンレーの姿がある。友人であるスタンレーがそんな事をするとは信じられずに、アラムは我が目を疑った。
スタンレーの声は大きく、演壇に立つペトロスの視線はもちろんの事、広場中の視線がアラムに集まってくる。
「そういやお前、ここんとこずっと笑ってたよな! 魔女が浄化された日だって、可哀想だって口にしてたよな!」
言ったのはスタンレーである。信じられない、我が目を疑った。けれどもスタンレーは同じことを繰り返し口にしながらアラムを指差す。彼はアラムの友人で、共にデュヴァル夫人に可愛がってもらった仲でありそして理解者のはずだった。
その彼がどうしてアラムを売るような真似をするのか。そこまで考えてアラムは理解してしまった、理解せざるを得なかった。その証拠にスタンレーはアラムを見ているが焦点は合わさないようにしていたし、顔は動かさないが瞳は右を見ては左を見ている。
恐怖に屈した友の姿に顔が引きつる、声が出ない。冷たい目をした大人が回りに集まってくる、役人が刺股を手に集まってくる。その中にはニコルソンの姿もあり、彼の目もまた冷たい色をしていた。
アラムの胸の中にある何かが軋んでいく音がした、それでも砕けなかったのは母の分厚い手が未だ少年の腕を掴んでいるからだ。母は守ってくれる父は庇ってくれると信じていて、助けを求めながら母を見た。
そこに母はいなかった、街の大人がいた。アラムの腕を離そうとはしないが、それは守るためではなく逃がさないためであると知る。スタンレーの名を叫んだ、母の名を叫んだ、父の名を吠えた。誰もアラムを庇わない。
母だった女の手がアラムの腕を離す、別の太い腕が何本も伸びてきて体を掴む。手足を振り回す余裕も無い、ただひたすらに知り合いの名を叫ぶ。助けてくれと叫び続けた、数分にも満たない間に喉は裂けて血が流れる。
応える者はいなかった、淡々とアラムの体は拘束されて猿轡も噛まされた。声を上げてもそれはただのうめき声にしかならない。それでも声を上げ続ける、上げ続けなければ殺されてしまう。誰か助けてくれと呼びかけ続けた。自分は魔女ではないと主張を続けた。
両親ですら耳を貸さないというのに誰が耳を貸すというのか。少年の体は十字架に括り付けられる、足元には大量の薪と藁が積み上げられている。両脇には轟々と燃える松明を手にした二人の役人。
司祭のペトロスが磔にされたアラムを背にしながら立った。何か喋っていたが、アラムの耳には聞こえない。誰にも届かぬ訴えを叫び続けていたため、ペトロスの声が届いていなかった。
アラムの眼下、ペトロスがお辞儀をすると町中から喝采が湧き上がる。松明が足元に投げ込まれる、藁が燃え煙が昇る。薪が爆ぜ炎が足を舐めてゆく。
逃れようと身をよじる、煙が染みて涙が流れる。縛る縄の力は強く逃れられそうに無い、それでも動かずにはいられない。ただただ必死に、泣いて叫んで身をよじる。体のいたるところから、ブチリブチリと音がする。ポキリポキリと芯が折れる。
熱く痛く、苦痛の意味を初めて知った。涙は流れない、瞳から零れ落ちても炎の熱がすぐに乾かしてしまう。少年を焼くのは炎だけではない、喝采に沸く住民の姿がアラムの心を焼いてゆく。
絶望の味に何も出来ない、狂喜する人々の姿を眺めることしか出来ない。せめて、両親だけは泣いていて欲しいと願いながら姿を探す。その途中、アラムはマヌエラ女史の姿を見つけた。
彼女は胸の前で両手を組んで、笑いもせずにアラムを見上げていた。彼女の肩には一羽の鳥が止まっていた。夜だというのに黒い鴉がマヌエラの肩で羽を休め、無機的な瞳でアラムを見ていた。
もし腕が動かせたのならば、黒く焦げて脂の滲む指を差したに違いない。
魔女はそこにいるぞ、と。
アラムが焼かれて数年後、グランタスの街に住む者はいなくなっていた。地図からもその名が消え、時と共に人々の記憶から消えていった。
しかし歌は残った。
『グランタスは魔女の街
あいつは魔女だ こいつも魔女だ 私が魔女だ
夜毎松明手に持って 広場に集まり磔だ
藁を撒け 薪を積め
煙よ昇れ 火よ猛れ
グランタスは魔女の街 全ての人が焼けた街』
Which hunt 不立雷葉 @raiba_novel
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