第19話 目覚めの時(後編)

 (エリス視点)


 ユーリさんが目を覚ましたのは、ラスボスさんから身を隠すようにユーリさんの部屋に逃げこんですぐのことです。


 目を覚ましたユーリさんは、私の体力が回復しきっていないことを見抜いたようでした。


 「身体辛いなら座れば?」


 「そうですね、それでは失礼しますね」


 男の人のベッドに腰を下ろすという事実にドギマギしつつ、それから私はユーリさんと会話しました。


 変なことを口走っていたりしないでしょうか。 


 表情がぎこちなくなっていたりしないでしょうか。


 髪型とか服の皺とか大丈夫でしょうか。

 

 色んなことをぐるぐると考えていたせいか会話の内容をよく覚えていないのですが、最後の問いだけははっきりと記憶に残っていました。


 「……そう俺たちは聞かされている、誰だってそうだ、でもさあ違うだろって俺はずっと思ってる。だってそうだろう? そのお偉い『人』とやらが平気で見捨てる、そんな人間がここにいる。じゃあそいつは一体どうすればいいかって考えたこと、あるか?」


 「……ありません」


 私はそう答えるしかありませんでした。


 人に見捨てられた人間はどうすればいいのか。


 それは私が意図的に考えないようにしていたことでした。


 この村を目指して馬車の中で揺られる間、止め処なく浮かび上がってきた問い。


 付け加えるなら、ユーリさんが向き合い続けた問いでもあったのでしょう。


 私に限って言うのなら、きっと考えれば答えは出せると思っていました。けれどその過程で覆しようのない他人の意図を突き付けられるのだとも予感していました。


 諦めろ、ということです。直截に言えば、死ね、ということです。


 それを認めるのが恐くて、考えることを避けていました。


 けれどそれは、いつかは考えなければならないことでもありました。


 そしてユーリさんは既に答えを出していました。


 「人はアイツを信じない。アイツも人を信じてない。でもせめて俺はアイツを信じたい。見捨てることに苦しむ人間でありたい。せめて、今よりマシなやり方があるんじゃないかって、アイツに伝えたい」


 その答えが間違いだとは思いませんでした。


 けれど、それはユーリさんが魔王軍との戦いを辞めるつもりがない、ということを同時に意味していました。


 ユーリさんの身を案じると、その考えに諸手を挙げて賛成することも出来なくて、


 「……そうですか」


 私はあいまいに相槌を打つことしかできませんでした。


 私は自分に出来ることを探し始めていました。ユーリさんを止めるのではなく、ユーリさんを守るために何か出来たらと思っていました。


 放っておけば死んでしまう。


 私はユーリさんを放っておけなくなってしまったのです。


 そしてふと気づくことがありました。


 初めて命の危険を感じたこと、初めて魔物の肉を食べたこと、初めて市井の人たちと触れ合ったこと、初めて命を懸ける覚悟を固めたこと、初めて命を救ってもらったこと、初めて誰かのことを知ろうとしたこと、初めて誰かの為に動こうと思ったこと。


 これまで生きてきた15年の間に体験できなかった多くの『初めて』が、この村で過ごした一週間の中に詰まっていました。そしてそこにはいつもユーリさんの姿がありました。


 ユーリさんとの会話を続けながら、私はこれからもユーリさんと一緒にいたいと願っているのだと気付いたのです。


 「……そんでもって、この村の戦いに巻き込まれた姫様が俺たちに付き合う必要もないよな」


 だから、突然に発せられたユーリさんの言葉を一瞬理解できませんでした。


 「怪我を治してくれたことには感謝してる。村に馴染んできたことも知ってるし、ここにいて欲しくないとも思ってない。でも次はきっと姫様を守れない、そもそも自分の身すら怪しいんだ」


 暗い想像が目の前を塗りつぶしていきます。楽しかった時が終わろうとしている、という想像。


 「……待って、ください……」


 私はその想像を止めたくて、ユーリさんの目を見つめました。それでもユーリさんが口をつぐむことはありませんでした。


 「それに俺はラスボスに力を使わせたくもない。魔王以上に凶悪なアイツの全力を他人に見せたが最後、この世界からラスボスの居場所はなくなる。そしてまた一週間たてば、様子見を終えた全力の魔王軍がやって来る。だから……」


 ユーリさんは私の目を見返して、目を閉じて、これ以上交渉の余地はないと言わんばかりに告げました。


 「……だから、生きていたいならここを離れろ。俺たちとはサヨナラだ」





 その言葉が来ると予め想像していた私は、それでも問い返していました。


 「……さよなら、ですか?」


 「ああ」


 何事もないように応えるユーリさんの様子ははいつもと何も変わりません。


 「姫様たちが死ぬ必要はないだろ?」


 短いユーリさんの一言に、私は強い引っ掛かりを覚えていました。


 「……姫様たちが、って何ですか?」


 「いや、そのままの意味だよ。姫様たちが……」


 その言葉の中に、死ぬ必要のない人の中に、ユーリさんは含まれていないのでした。


 私はそれを見送ることだけしかできないのでしょうか。自分たちの身を守るために、ユーリさんたちを見捨ててここを去るしかないのでしょうか。


 その問いに対する答えが今、私の口を動かそうとしていました。


 「……ふっ……」


 「ふ?」


 「……ざけんなぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 本性をさらけ出して叫んだ直後、やってしまったと思いました。


 自分が言っていることに嘘はありませんでした。けれど私の日頃の振る舞いが嘘であると露見してしまいました。


 どうしたらいいのかと考えるのですが特にいい案も浮かびません。


 私はしれっと元の口調に戻すことにしました。


 「……私は逃げません。誰も死なせません。本気です!」


 「本気……え、『明日から本気出す』って、こういう事?」


 もふもふの狼の言葉を思い出したのでしょうユーリさんの言葉が私の感情を逆なでします。


 「もふもふは関係ありません! 私たちがここを去る必要もありません! ユーリさんに見えない未来だって私なら見えます! 私は……」


 ……その名を名乗っていいのかどうか、私はためらっていました。分不相応な名だと今も本気で考えています。


 私は追放され、爆破癖を持ち、餌付けされ、頭を叩かれても治らない、それだけの人間。その自覚もありました。


 それでも……もしそれ以上の何かになれるのなら。


 ラスボスさんが言っていたように、私のこの目がまだ誰も見たことのない何かを映すと言うのなら、と考えるのです。


 それがユーリさんの望む未来であったなら、私はそれを一緒に見てみたい。


 だから私は、それ以上の何かになろうと思いました。


 「……私は、先見の姫君です! ユーリさんはさっさと体力と魔力を回復させてください、修業をつけます!」


 「……お、おう」


 ユーリさんは突如として吠え散らかす私の剣幕に飲まれています。それでも感情の昂ぶりが最高潮に達していた私の口は止まりませんでした。


 「大体ユーリさん死に過ぎです! 何度私に爆破されたんですか?」


 「あー……両手の指じゃ足りないくらい?」


 「え、あ……そんなに?」


 「そりゃあ、あの状況で姫様が爆破したってよりは他の騎士が何か仕込んだって考えるだろ。だから気づくのが遅れた」


 「それは、えと……そ、それに! 大体何ですか契約だから私を守ったって……」


 「契約って?」


 「ユーリさんがラスボスさんと結んだっていう契約です! 諦めない限り養ってもらえるって、ラスボスさんに言われてたから私の身代わりになっただけなんですよね!?」


 「ああ……そういえばあったなそんな話。てか諦めないって言ったの俺だぞ。契約ってのもラスボスの蓄えが底をついた後で契約だの何だの勝手に言い出して俺ん家に居ついただけだ」


 「えっ?」


 「えっ? ……そもそも仕事も家事も俺がやってんだぞ。飼育してるのは全面的に俺だ……何を吹きこまれたか知らないけどさ、デマには気をつけろよマジで」


 ラスボスさんの言葉を鵜呑みにして振り上げた手を降ろす先がなくなってしまいました。私は部屋の外でゴロゴロしているはずのラスボスさんのいる方を横目で睨みました。


 「……じゃあ、ユーリさんは何で、私を助けたの……ですか?」


 「はぁ? 姫様が死んだらイヤだろ。俺は姫様のことが嫌いじゃない、だから助けた……てか変なこと言わすな」


 「……嫌いじゃ、ないって……」


 これ以上余計なことは言わないと宣言するように、ユーリさんは私から視線を逸らしました。


 ユーリさんの言葉の意味をもっと詳しく知りたかったのですが、どう聞けばいいのか分からなくて、私は同じように黙り込んでしまいました。


 くすぐったいような呼吸が苦しくなるような、何とも言えない居心地の悪さに耐えきれなくなった私はノリと強気な態度でごまかすことにしました。


 「……とにかく! 決戦は一か月後の夕方です! 分かったらさっさと休んでください、お大事に!」


 ぽかんとした表情を浮かべた後、ユーリさんが不思議そうに私を見ました。


 「……一週間後じゃなくて?」





 魔王軍との交戦以降、たった一日の間にも頻発した魔王軍の小規模な襲撃は全て村人の方たちが蹴散らしていました。


 グレゴールさん曰く、ラスボスさんの薫陶くんとうによって若い人間はみな魔法の心得があり、魔王軍以外の魔物であれば戦闘経験も豊富なのだそうです。


 冒険者基準で測るなら全員が上級冒険者に近い戦闘能力を有し、一部は最上級一歩手前にまで食い込むほどで、対魔物戦に限定すればその戦力は国境防衛を担う辺境伯軍のそれにも匹敵するとクラッドさんが補足します。


 この村は独立国家でも旗揚げするつもりなのでしょうか。


 次回の襲撃について言えば、神狼フェンリル種が最も有効だと気づいた敵が更に多くの同種の戦力を投入する公算が高い状況でした。


 同種の戦力とは狼種で、その特徴は個として備える優れた運動能力以上に、群体としての集団行動でその本領を発揮すること、そして満月の夜に能力が上がること。


 前回は日没前に引き上げていきましたが、万全を期して村を襲うのであれば、その力を最大化させられる条件を整えるはずでした。


 つまり前回の襲撃で負った傷を癒して仲間を揃えるだけの時間を確保した上で、味方の能力を最大化できる時機を選ぶのです。


 ならば襲撃日時の本命はあの日と同じ満月の昇る日、つまりは約一か月後。そしてもう一つの要素を考えれば夕方近くに姿を現す可能性が高いと言えます。


 仮に神狼フェンリル種が複数体、さらに大量の強力な狼種が一カ所に集うなら、在来の魔物はそれを脅威と看做して一斉に縄張りから逃げ出します。つまり群衆事故スタンピードが発生するのです。これがもう一つの要素でした。


 群衆事故が発生するのならばそれを有効に利用しようと考える。つまり日没とともに魔物の大群が村に到達するよう魔物たちの逃走経路を誘導し、序盤の戦局を混乱させるための陽動として使うはずです。


 であれば敵の配置はある程度予測ができました。狼種を牧羊犬に見立て、数匹程度の集団を広域に分散配置するのです。


 この予測が意味するところは一つ。牧羊犬役の狼種数匹であれば群体としての能力を発揮しきれない、ならばある程度の腕を持つ冒険者たちの手で各個撃破することが可能だろうということです。


 ユーリさんとの会話を終えた私はクラッドさんと共に城へ赴きました。


 馬車を使わず直接騎乗し、馬を宿場町ごとに乗り換え、更にその馬を魔法で通常の倍の速度に強化した結果、馬車で一週間かかる距離を二日で駆け抜けました。

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王城を追放された姫様は隠しスキル『先見』で幸せをつかむ ~今更城に戻れとか言われてももう遅いです……家出ライフを満喫しますので~ 戦食兎 @senjikiusagi

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