本編

 あれは確か何年も前の、夏になったばかり、七月の初めの頃だった。

 いつものように自室で眠りについた私は、夜明け近くにふと目覚めた。


 私は寝つきは悪いが一度眠れば基本的に起きない性質で、下手すれば十五時間くらいは寝てしまうくらい眠りが深い。


 そんな私が朝方に目を覚ますなんて、珍しいことだった。


 最初は、足元の掛布団がめくれてしまったせいで、足が冷えて目が覚めたのだと思った。

 七月に入ったとはいえ、まだ肌寒い。

 私は寝ぼけながら、横着して足で掛布団を掛け直そうとした。


 が、すぐに異変に気づいてしまい、私は動けなくなった。


 ファサッ……


 ファサッ……


 掛布団が勝手に動いているのだ。

 正確には、掛布団の下部左端を誰かがゆっくりと捲っては離し、捲っては離ししている、そんな風の動きを感じた。


 ファサッ……


 ファサッ……


 一定間隔で、掛布団が捲られる。

 捲られてできた隙間から、布団の中に冷めた空気が入り身体を撫でていく。


 ファサッ……


 ファサッ……


 家族は全員寝ている時間のはずだ。

 よしんば、家族の誰かが起きていたとしても、この行動は意味が不明過ぎる。

 家族ではない。

 では、『何』が……?


 ファサッ……


 ファサッ……


 考えている間も掛布団は同じリズムでずっと捲られ続けている。

 掛布団を捲る何かの正体を確認しようと、私はついに自分の左下を怖々、目だけを動かして見てみた。


 知らない女の人だった。


 髪の長い、女性。

 イメージは『リング』の貞子が一番近いだろう。


 ボサボサの頭とギョロっとした目だけが確認できた。

 私の身体と布団で他の部分は隠れて見えないのだが、不思議と女性だと思った。


 それを見た私は、ゾッとしたどころでは済まなかった。


 頭しか見えていないその女性は、顔全体を覆うような髪の隙間からジィっと私を睨んだまま、布団を捲っては離し捲っては離ししている……。


 叫び声など出なかった。

 それどころか、全身縛られたように身動きひとつも出来なかった。


 憎しみなのか、嘲りなのか、なんの感情も読み取れないような、カッと見開かれた昏い女の目が、私を見つめ続けている。


 女は布団を捲り、私を見るだけで、その他には何もしてこなかった。


 いつの間にか気を失ったのか、次に目が覚めた時には布団を捲る気配はなくなっていた。


 シャツは冷や汗でグッショリと濡れていて気持ち悪かったが、すぐ起き上がることは出来なかった。

 もしまたあの女が足元にいたら……。

 しばらくは恐怖に震えながら布団にくるまっていた。


 しかしそれは杞憂で、その後も、同じ体験をすることは一切なかった。


 あの女性は一体なんだったのだろうか。


 私に何か訴えたかったのだろうか。


 勿論、単なる夢の可能性の方が、めちゃくちゃに高い。


 だが実は従前からしばしば、自宅で誰かの気配を感じることがあった。


 なんとなくの直感だが、それは女性のような気がしていた。


 ふと視界を横切る気配。


 夜、洗面台の鏡に映る背景に感じる気配。


 これらは全て、もしかしたらあの女性と同一なのかもしれない、などと勝手に思った。


 私が住むここは、築四十年の古いアパートだ。

 きっと私達家族の前にも多くの人がここで暮らし、様々な人生の一時を過ごしたことだろう。


 以前、上階からの水漏れが起こった際、自室の押し入れの天板の上から開封済みで、使用された形跡のある古いコンドームの箱が見つかったことがある。


 これは私の完全な妄想だが、あの女性は昔ここに住んでいた男性に、この部屋で抱かれていた女性だったのかもしれない。


 かつての恋人なのか、とにかく関係のあったその男性を探して、私の部屋に現れたのかもしれないと思ったのだ。


 亡くなっているのか、あるいは生霊の可能性もあるかもしれない。


 私は気休め程度に、時折、部屋の四隅に向けて塩を撒くようにした。


 それでもやはり、今も何かしらの気配がある。


 恐ろしくもあるが、あの日の体験もきっとただの悪夢だし、気配も気のせいだと思って、今も同じところに住み続けている。


 本当に恐ろしかったので、あまり経験したくはないが、また何かあればここに書こうと思う。

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かえるの身に起きた恐怖体験 かえるさん @michodam

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