現世界へ

そして、日本は……

 しばし、呆然とした時間もあったであろうか。ただ、それも、少年と少女が見つめあえば、

「ムー君!」

「アミナ!」

 どちらともなく駆け出した二人はそして抱擁しあい、そんな姿の周囲を妖精が微笑ましそうにクルクルと回っていた。


 また、ココの勇気と気転に、ムサシとアミナが労いの言葉などをかけていた時の事である。

「GAOOOOOOOOO……」

 などと、強敵の遠吠えが上空から聞こえれば、黒竜を含めた竜の群れなどが旋回していて、思わずムサシとアミナも身構えたが、空にいる彼らは下界の主の変わり果てた姿などを確かめるようにすると、やがて、次々に、ノルヴライトのある青い星に向けて羽ばたき、立ち去っていこうとするではないか。


 そして、息も絶え絶えにしつつも野太い響きの口調が唸り、

「これで……これで勝ったと思うな」

 その言葉に少年と少女が、厳しい視線を魔王に送ると、今や、真っ二つに引き裂かれた姿は、少しずつ、塵となって溶けていくようにしていたが、

「これまでの魔王がそうであったように、私は……私は、再び、必ず現れよう……クックック……次こそ、次こそ、お前たちを根絶やしにし、ノルヴライトを我がものにしてみせるぞ……『光の戦士たち』よ……!」

 すると、「……なら、言わせてもらうけどな」と、口を開いたのは侍の少年で、

「それが、何百年後になるかは知らねえ。多分、そん時に、確かにオレらはいねぇ。でもな。きっとオレたちの跡を継いでくれたやつらが、必死に頑張って、そん時の仲間と一緒になって、お前の事を沈めるだろうよ!」

「……そうよ! 人の力を、甘く見ないでっ」

 アミナも後に続いて言い切ると、「クックック……」と不気味に笑ったのは魔王で、

「人、か……滑稽なものだな……例えば、あの暗黒騎士のような者が、人の世にいる限り、私のような魔王は、いくらでも現れるぞ……!」

(……暗黒騎士……!)

 そして、その意味深な言葉にムサシが引っ掛かりを抱えている中、とうとう魔王は不敵な顔のままに絶命し、その姿は散り散りに消えていくのであった。


「…………」

「…………」

 再び、ムサシとアミナは寄り添うようにして互いに抱き合い、その宿敵であった者がいた跡などをじっと見つめ、ココなどは、「はぁ~っ。怖かったですわ~」などと、少し間延びした口調で呟くものだから、流石に二人の表情も和んだ、その時であった。

「ムサシ殿ー! アミナ殿ー!」

 と、彼らの名を呼びながら、金色のポニーテールを揺らして駆け付けてきたのは、リーファインたちの姿ではないか。

「魔王は?!」

「たーおーしーたーっ!」

 そして、彼女の問いには、ムサシがおどけるようにし、わざとアミナに寄りかかるようにしながら指さす方向には、今や、最後に残った黒い塵が、淡い月の風と共に、立ち去っていこうとする瞬間で、それを見届けた猛者たちの間では、ドッとした歓喜の声が巻き起こったという事は言うまでもない。ただ、こういった時に聞いておかずにはいられないのは、アミナの方の性格だ。


「もぅっ……そっちはどうしたの?! 戦況は?!」

「それが……竜たちも途端に逃げ去っていったし、サイクロプスやゴブリンもオークたちも、まるで、突然、戦意を失ったかのようになったのだ。これが好機と突き進めば、ドルイドの連中など、突然、自らに魔法をかけ目の前で次々に自害すらしていった。奇妙な光景であったが、なるほど、こういう事、か……」

いつものように肩にのっかってきた、パートナーである妖精を愛でるようにしつつ、リーファインは、既に何も残らなくなった魔王の斃れた影があった場所を神妙に見つめ、答える。


 こうして今度こそ、脅威は、完全に去ったのだ。歓喜の声は、この快挙を成し遂げた少年、少女への喝采に変わるのは当然の事だったと言えよう。

 さて、では、後は、共に戦った者たちと、転送石のゲートをくぐり、改めて祝盃をあげる事になるのだろうと、皆が背を向けはじめた、その瞬間であった。後ろでなにがしかか輝いた、と思えば、そこには光り輝く、扉の形状をしたものが現れたのである。

 皆が訝し気にそれを見つめる中、既視感があったのはムサシとアミナという二人のみであり、 

「さぁ……『ふたたび選ばれし者たち』よ……」

 などという、その声は、少年と少女のみにしか聞こえないものであれば、思わず顔を見合わせ、悟ったように頷き合うと、ムサシなどは、「なんだよ、なんだよ~。せっかちだなぁ……」などと呟いてみせたりしていたが、どちらともなく、帰路につこうとしていた一行から一歩離れたようにすると、

「……リーファイン、ココちゃん、皆……私たちはここでお別れです」

「なんと……」

「ええええ……」

 アミナが少し淋しげながらも微笑みを浮かべ、真っ直ぐに語りかけると、隣ではムサシが、頬やら背中をかきつつ、あらぬ方向を見つめっぱなしで、どうやら、こういったシチュエーションが苦手なようにしている。リーファインとココは驚きを隠せないといった様子だ。


「おいおい、どういうこった」

「隊長っ。隊長には、私、あの時、大変にお世話になったんです。あの時は、突然だったから……改めて、お礼を言わせてくださいっ。その節はありがとうございましたっ」

 そして躍り出てくるようにしてきた獣人族の聖騎士には、アミナは、自らの下積み時代の感謝と共にペコリと頭を下げる。

(……ま~あ、今回も、相当、唐突だけどね~)

 相変わらず気まずそうに目を泳がし、心の中でぼやいてみせるのはムサシで、ただ、今、月の彼方にある青い星に思いを馳せれば、そこには、自らも、改めて、礼をしておきたい人々の数などもよぎったが、

「では、また、なのか……」

(…………)

 ふと、我に返れば、リーファインが複雑な表情でもって、こちらを見つめていて、

「私たちの世界のために、ふたたび、ここまでの事をしてくれたというのに……これまでの『光の戦士たち』がそうであったように、ここで貴公らの姿が風のように跡形もなく消えれば、その名を口にしたくても、さえずりを忘れた鳥のようになり、姿も、強烈な日差しの中の影のようでしかなくなり、後は、伝説に任せるのみでしかないというのか……」

(…………)

 その声は至極残念そうだ。ただ、湿っぽいシチュエーションがそもそも嫌いなのがムサシである。


「わっかんねっ!」

 先ずは一言言い切ると、思い切ったように、自らの帯にさしていた刀を鞘ごと、月の砂漠に突き刺し、

「これまで、こんなふたたびの事なんてなかったわけっしょ?! なら、こんなイレギュラー、どうなるかなんてうちらにもわかんねーよっ! ただ、また会えるなら! そん時はまた! 笑って会おうぜ!」

「ムー君……」

 そしてカラッとした口調で返すムサシの姿に、感じ入るものがあったアミナもやがて表情を変えると、自らの腰に帯びていたレイピアの鞘をムサシの刀のそばに突き刺せば、リーファインたちの方を向いて微笑みかけ、そこで、リーファインも、

「……そうか……わかった……では、また、な」

 いつかの再会などを約束しながら、ココなども小さき体で大きく手を振る中、「元気でー!」という一声を共に、ムサシとアミナは、手を取り合い、光の扉の中に一歩ずつ進んでいくのであった。


 こうして、人だけではなく、エルフやホビット、ドワーフに獣人族、妖精といった、まるでおとぎ話の中にいるような世界の人々の見送る姿は、残影となりやがて消えていき、二人の視界の全てを光が覆うと、次に現れたのは、いつかにも体験した事のある、どこまでも広がる、ゆっくりとした虹色の波間が漂う、不思議な空間で、いつのまにか漂うようにしている二人の目の前は、一際に光り輝くと、あの巨大なクリスタルの存在がとうとう現れるではないか。神妙に見上げる乙女の隣では、「おいでなすったか……」などと、ボソリと少年が呟いたが、

「よくぞ……よくぞ……闇なる元凶を倒してくれました……『選ばれし者たち』……いいえ、『ふたたび選ばれし者たち』よ。これで、当分の間、光の地、ノルヴライトの世界の調和は保たれる事でしょう……私は、あなたたちにどれだけの感謝を伝えても伝えきれません。よくぞ……」

 クリスタルの表情は、神秘過ぎて理解はできない。ただ、その慈愛に満ちた声は、どこか、感極まっているかのようだ。

「……まー! 選ばれた以上はさ! はじめてでもないし、しっかり責任はとっときたいじゃん?」

 ただ、尚、神妙にしているアミナの隣では、ムサシが遮るようにして口を開くと、

「……ただ、はじめてでもない以上、こっちも、質問があるんすけどー!」

 クリスタルは、しばらく沈黙したが、

「……そうですね。この度の事は、全て、私が引き起こしてしまった失敗です。本当にごめんなさい……ムサシ、あなたが思う疑問には、全て、答えてあげたいし、そうする義務もある事でしょう。ですが、全てを人が知ってはならない定めもあるのです。どこまで話してあげられるかは解りませんが……できうる事は、全て、お教えしましょう」


 いつものペースに乗せられてはならぬと、強めにでたのは少年なのであった。すぐそばでは、手を握り合っている恋人が「ムー君……」と、一言、自分の名を呼んで、こちらを見つめている。言うなれば、そもそも目の前の存在自体が謎だらけであったが、まるで神様のようにそこにいるくせに、どこまでも腰が低ければ、なんとなく肩透かしを食らったような気がしないでもない。少年は、一つ、鼻でスンと息を吐くと、

「……まぁ、いいや。ならさ! 一個だけ! で、あの、ヒデトってやつは誰だよ?」

 それは、彼らの記憶の中からはすっかり失ったはずの者であった。ただ、世界から世界へと渡る中で、特に、さといムサシの心には、なにがしかの心の引っ掛かりを感じる者の事だったのだ。クリスタルは、そんな彼の事をじっと見つめるようにしていたであろうか。やがて、

「彼には、とても可哀想な事をしました。一際に強い力を持ちし者であったからこそ、もっと私が見守ってあげられればよかった……」

「いや。そういうのいいから! 要するにさ! オレたちの仲間だったんだな」

「はい。かつて『選ばれし者たち』として、あなたたちと共に、魔王に立ち向かってくれた素晴らしい剣士、でした」

(剣士……)

 更に、その言葉には何か思うところもあったムサシだったが、

「……まぁ、いいや! わかったよ! それだけ!」


 そして、少年が一歩ひくようにするタイミングまで、クリスタルは見守るようにしていたが、

「ムサシ……アミナ……次元の彼方における存在たちよ。あなたたちは、この度、あってはならない二度の試練をも乗り越え、見事に魔王を倒してくれました。私のあなたたちへの感謝は、いくら口にしても足りないほどです」

 ただ、多少の文言に差異はあるが、既視感を覚えた少年の方が、

「……いやいやいや! ちょっと! タンマ! また、記憶、ごっそり無くなるとかは無しよ?!」

 慌てて、アミナの手を強く握れば、それには少女も反応し、

「あっ、え、えっ?! そっか……! そ、それは困りますっ! 私、ムー君の事、もう忘れたくありませんっ」

 流石に従順な優等生も声をあげたが、クリスタルは、そんな二人の姿に、どこか微笑みをたたえていたであろうか。


「既にあってはならぬ事は、最早、これ以上、あってはありません。あなたたちが共にある絆は、そのまま持ち帰りなさい。ただ、彼の世界同士は、本来ならば交わる事があってはならない世界……あなたたちは、元の世界の姿に戻り、お帰りなさい……では、全ては、調和と共に……」

 そして、眼前の結晶は一際に光り輝くと、二人はあまりの眩さに目を瞑り、次にすっかり馴染みのある風が吹いたと思えば、そこは、荒野と化した国会議事堂前であり、

「ムー君っ」

 という声に、少年が振り向けば、そこには制服姿のアミナの姿があって、彼女の榛色の瞳に映りこんでいたのは、丁髷もおろしたロングヘアー風の男子高校生の恋人の姿であり、思わず雲の切れ間から陽射しが照り付けると、二人は共に顔をしかめて天を仰いだのだが、そこにあったのは、どこまでも広がる青空ではないか。

 間もなくして、パタパタパタパタといったプロペラ音が聞こえてくれば、それは、彼らの目の前で「航空自衛隊」というロゴが解るほどの距離に着陸するのだった。





現在、ムサシとアミナは、すっかり消滅してしまった東京跡地に新首都が建設されるまでの仮説首都とされた、「大阪都」に在住している。そして、今や二人は同じ大学に進学した大学生で、丁度、ファミレスにて、ムサシは、アミナによる個人レッスンを受けているところだった。

「ほらー。ムー君。また間違ってますっ!」

「えええ……」

ノートを突き返されれば、最早、ムサシは悲鳴を上げるのみだ。

「もぅっ! お家にいたら、お勉強にならないんだから! 今日は解るまでとことんやりますっ」

そして、二人は同棲すらはじめていた。


テーブルにはテキストと自らのノートをひろげ、アミナの講義がはじまっている。

「…………」

だが、ムサシは、聞いてるふりをしながら、窓の外にひろがる難波の街並みなどを、ふと、眺めたりしていて、すると、あの日、対峙した、ヒデトによく似た少年の姿などを、人波の中に垣間見た気がした。

「…………」

あの世界での旅の記憶は、ムサシにとってもアミナにとっても、折に触れては、二人の間の会話にのぼるものであったが、

「…………」

 ふと、かつてのあの旅路の中で、ヒデトとは、自分たちの、どんなふうな仲間だったのだろう、などとムサシが思いを馳せていると、

「こらっ! ちゃんと聞きなさいっ」

気づけば、アミナが口もへの字にこちらを睨んでいるではないか。そうだ。今は、自分の単位がかかっている、この個人レッスンが喫緊の課題なのだ。ムサシは観念するように苦笑し、テキストに向かっていった。






あの日、ヒデトがムサシたちに倒された後、上空を覆っていた禍々しい空間も消失すると、居残っていたゴブリンやオークたちの部隊は、完全にパニックすら起こせば、戦意も喪失していった。これを好機とみた政府が漸く腹を決めると、自衛隊は破竹の勢いで、関ヶ原から、関東、東海の自国の領土を取り戻す。


そして、日米同盟も機能しなかった事で、日本政府は、自国の防衛を根本から考え直す事に世論の勢いもとどまらず、負い目のあるアメリカ政府が何も言わなければ、やがて日本は、ゴブリンやオークなどの、人間の身体能力を遥かに超える生物たちの死骸や捕虜に実験を試みつつ、それらによってすら国防の力を高めていき、やがてそれまで以上の国際的な発言力を持つ国家へと変貌を遂げていくのだが、これはまた、別の物語に続いていくのである。

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異世界の密約 本庄冬武 @tom_honjo

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