第2話

V.

「終末を喚ぶ杖なんてものはない……ただ、ザラキエルが記憶していた終末のラッパの話が、何処かでごっちゃになっただけです」


サリエルは、庁舎の廊下でミカエルにそう告げた。

ミカエルが終末を喚ぶ杖について聞いてきたからだった。


「へぇ、僕も聞いたことないから、そんなことだろうとは思ったけど……」


顎に手を当ててふぅん、と答えるミカエルだが、少し笑ったように見えた。

やはり終末を喚ぶ杖などあってたまるか──と言いたげな笑顔だった。


「ま、多少の疑問は残ろうが、終末なんて名のつく杖は存在しない方が良い」


手をヒラヒラと振って、その場を去るミカエル。

庁舎の廊下は妙にガランとしていた。

サリエルはミカエルの後ろ姿をしばらく眺めた後、彼とは逆方向に歩いて行った。


(そう、終末を喚ぶ杖なんてないのだ)


思考するサリエルは、何かを睨み付けるような目をしていた。

本来ならあるはずのない杖。


「あっ!

サリエル」


向こうから、ザラキエルが走ってきた。


「ザラキエル、庁舎内は走ったらダメでしょう。

どうしたの?」


立ち止まり、ザラキエルがサリエルのところまで来るのを待った。

ザラキエルは走るのをやめ、早歩きに切り替える。


「ラファエルさんが、私とサリエル二人で下界に行ってきてって。

下界に降りる許可は取ってるから、…………はい、ラファエルさんが『これ渡して』って」


ザラキエルが渡してきたメモを、めくる。


『███地域で謎の死を遂げる人間が最近多いから、調査を頼みます。

父なる神の見解では悪魔の仕業だろうということですが、死を司る天使であるサリエルなら何か手がかりを掴めるかと思って。

父なる神からも了承を得ていますが、ザラキエルにも見習いをさせてね』


メモを読み終わったサリエルは、ザラキエルに行こっか、と手を差し出す。

ザラキエルもうん、と頷いて差し出された手を握る。


「ザラキエル、下界への扉の場所は分かる?」


ザラキエルはふるふると首を横に振る。

そうさな、とサリエルは頷いてザラキエルに、庁舎の外に出たタイミングでほら、と遠くを指す。


「あの大きな白い扉が下界への扉だ。

さ、あそこまでひとっ飛びで行こうか」


ふわりと飛ぶサリエルと、拙いながらも飛翔するザラキエル。

二人は下界へと急行する。



VI.

終末を喚ぶ杖。

忽然と天界に現れたザラキエルという天使によって俄に示唆されたもの。

その杖をとある儀式で使えば終末のラッパが鳴らされるという。


(──ついこの前まで実際に無かった。

本当に無かったんだ、そんな杖なんて)


「へぇ、下界ってこんなんなんだね。

随分ごっちゃりしてるんだ」


物珍しそうに下界を眺めるザラキエル。

その様子を少し笑みを浮かべながら見つめるサリエル。


──先刻、図書館で見てしまった。

表紙には小さく『七大天使御教書』と書かれた本。

そもそも図書館に行かないサリエルは、存在を知らなかった本である。

その中の一節に、それはあった。


『終末を喚ぶ杖は西暦████年██月██日に現れる少女の天使である。

天使に擬態し、現界する』


明らかに最近加筆された文章。

その文字は、見知った天使の筆跡と似ていた。


(──ミカエルさんの字だった。

あの字はそうだ)


少女の天使──ザラキエルに擬態しているとはどういうことだ、と考えを巡らせていたが、『呪文を唱えれば彼女は杖に変わる』と書かれていた。

───どうにも終末を喚ぶ杖を使え、と罠を張られている気がしている。

一度天界を裏切った天使だから、ここで終末を喚ぶ杖を使えばまた処罰し、使わなければ信頼を勝ち得て天界に居させようとしているような。


「ザラキエル、あんまり興奮し過ぎると鳥にぶつかってしまうぞ」


ザラキエルの目の前を数羽の鳥が通り過ぎる。

サリエルがほら、とその鳥を指す。


(私は天界が嫌いだ、人間も嫌い。

天界なんて潔白すぎる場所、私には合わないから。

人間もあまりにも醜いから。

ああ、でも天界にいて天使でいる限り『父なる神に尽くさなければならない』という使命感が真っ先に出てきてしまう。

終末を喚ぶなんて以ての外だ、と。

天界を裏切るなという使命を父なる神に植え付けられている。

裏切ればお前の命はないぞ、と)


天使とは皆そういうものだ、そしてその使命に逆らうことは絶対に不可能。


「そろそろ下に降りようかザラキエル。

そうさな、あの山辺り」


サリエルの指す方にザラキエルは目を向け、うんと頷く。


『終末を喚ぶ杖を使用する儀式は、山の頂上で行わなければならない。

人間に見られてはいけない、天使にも見られてはいけない』


「この地域で謎の死が多発、ね……良い兆候ではないけど。

あんまり下界に手を入れすぎるのも良くない気がするのよねぇ」


小さな山の頂上に降り立つ二人は、街の様子を少し伺う。

ザラキエルには特に何も感じるところはないが、サリエルには死の空気がよく感じ取れた。

この地域はもっと死者が増加する。

死を司ると言えど、サリエルにはどうしようもないほど。


(この世界を消すにはもってこいじゃないか。

地上に来る言い訳にもなった……まぁ)


───この「原因不明の死」の発現は本当にたまたまだが。

この少女に名前を付けたあの日見た、「青白い馬とそれに乗った何か」。

名を「ペイルライダー」という。

ペイルライダーは、疫病による死を象徴するもの。

突然、ペイルライダーが天界に現れた。

ペイルライダーは普段下界をうろついており、天界に来た経緯は分からない。

ただ、『サリエルの周りをうろついていた』ことは確かなようだ。


「ザラキエル」


彼女がサリエルの方を見上げる。


「『解放しろ』」


低い声で、ヘブライ語を放つ。

ザラキエルは一瞬疑問符を浮かべたような顔をした。

──が、すぐに彼女の胸あたりから光が放たれる。

やはり。


「終末を喚ぶ杖はお前だったか、ザラキエル!」


声を荒げながら、ザラキエルは笑う。

終末など信じていなかったサリエルだが、あのメモ通りに進んでいるとなると、信じざるを得ないだろう。

ザラキエルが放つ光はさらに強くなり、数秒経つと光が治まる。

そこには。


「──ふぅん、これが終末を喚ぶ杖ね。

結構大きい杖なんだ」


凡そ2.5メートルはあろう杖が現れた。

杖の先は魔法陣のようなものがついている。

杖へと変化したザラキエルを両手でそっと持ち、しばらく眺めるサリエル。


「……っといけないな、早く終末に至る儀式をしないと」


杖を地面に突き立てると、魔法陣がうっすらと浮かび上がる。

ニヤリと笑うサリエルは、終末を喚ぶ儀式を始めた。


「『我が名、七大天使サリエル。

終末を喚ぶ杖よ、世界を終わりへと導き給え』」


その言葉を、少しずつ声を大きくしながら三回唱える。

杖から手を離すと、勝手に空中へと浮かび上がる。


『承知した』


声が、頭の中に聞こえた。

──父なる神!


どこからともなく、ラッパの音が鳴る。

一本だったのが、二本、三本とラッパの音が増える。

四、五、六……と来たところで。


「『命じる。

終末を呼び起こせ』」


七本目のラッパが、鳴る。


『最後の審判なり。

人間はあまねく審判に付す』


やった、やった。

審判によって罪深き人間は処されることとなる。

高揚するサリエルは、父なる神の審判の時間がとても長く感じられた。


『審判、終了。

罪深き人間を、冥府へと送る』


数は如何程だろうか───と思考を巡らせていると、地平線向こうから、光が見えた。

その光が段々と近付いてくる。


──あれは、ただの光ではない。

魂だ!

人間の、霊魂。

相当な魂が浮かび上がっては、地面に叩きつけられる。


「ああ、これで私も今度こそ堕天して戻れないわね。

まぁ天界なんて戻りたくないけど」


魂が冥府へと送り付けられる様を見ながら、ふふふと笑う。


「ねぇ、ミカエルさん。

さっきからそこにいるでしょう」


サリエルが振り返る。

そこには、ミカエルが立っていた。

二人の天使は、少しばかり睨み合う。


「サリエル、これで良かったのか。

……これで。

人間嫌いということは承知していたが」


「良かったんです。

堕天しようと何だろうと、人間を終わらせること自体が私の使命かと」


問答無用、というような風に話すサリエル。

舌打ちをしたミカエルは、開いた手を前にかざして。


「お前を永久に堕天させる。

良いか、天使の役割は人を、下界を成長させることだ!」


グッと握りしめる。

サリエルの真下に穴が開き、サリエルはその穴に堕ちていく。

──堕天した、また堕天してしまった。

ミカエルは悲しげな顔で塞がっていく穴を見つめていた。


堕天したサリエルの今後を知るのは、地獄の悪魔たちだけだった。

このことを人間に伝える者はいなかった。

──人間は全て最後の審判で消え失せてしまったから。

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終止黙示録 碧羅 @hekiheki

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