終止黙示録
碧羅
第1話
神は「光あれ」と言われた。
すると光があった。
神はその光を見て、良しとされた。
───『旧約聖書』より
Ⅰ.
「サリエル。傷を診てくれるかい?」
天界で1番大きな建物である9階建ての公庁舎の1階。
医務室の扉を開けた男性の天使が、右腕を押さえながら声を上げる。
広大な医務室で、サリエルと呼ばれる女性天使が奥のデスクに座っていた。
「ミカエルさん、また怪我をされたんですか?
前も言いましたが、本当に気を付けてくださいね。
ミカエルさんは天使軍の長ではありますが、七大天使の御一方なんですよ」
天使は病気にはかからないが、怪我はする。
この天使──ミカエルも、軍を率いている天使のため、かなりの頻度で怪我をする。
サリエルが白い丸椅子を取り出すと、ミカエルはドカッとその椅子に座る。
ミカエルは普段ポニーテールを結っているが、今日は結っていない──恐らくどこかの紛争へ軍隊を率いて仲介に入る際、ゴムが切れてしまったのだろう。
「常々すまないな。
サリエルの治療はよく効くから、つい安心してしまう」
ハイハイ、とサリエリはミカエルの右腕の袖をまくると、傷の深さを確認。
他の天使が持ってきた消毒液と包帯を受け取り、テキパキと治療をする。
「しかして、『七大天使』であるサリエリがあまり表に出ないと、天使たちに心配されるぞ。
お前もそろそろ表に出たらどうだ」
暇を持て余したのか、ミカエルがそう話し始める。
サリエリはそうですねぇ、と頷くと包帯を巻き終えてポン、とミカエルの腕を叩く。
「私は表に立つより治療の方が好きなんですよ。
それに、他の仕事はここ2000年ありませんからね」
終わりましたよ〜と呑気な声を上げ、またデスクに向かうサリエルを見て、ふふ、とミカエルが笑う。
「お前はこうと決めたら動かない。
ここでの説得はやめよう。
……ああそうだ、2時間後に我らの父が御広間で集まりをするそうだ。
怪我の治療有難う、僕は天使軍の様子を見てくるよ」
立ち上がり、さっさと医務室を出ていくミカエルの後ろ姿を眺めながら、ふぅ、と息を吐いた。
今日は集まりがあるのか──と少し気が重くなったサリエルは、椅子に深くもたれかかった。
我らが父なる神に拝謁するのは、幾年ぶりだろうか。
デスクの上に置いてある鏡をチラリと見ると、少しばかり暗い顔をしている自分の顔がある。
「一度堕天した身なのに、未だ七大天使とはね……」
七大天使の中で、唯一堕天しそして復活した天使。
それが、サリエル。
「まぁ、良い。
それよりも集まりがある、正装に着替えないと」
サリエルは立ち上がると、近くにいた天使に集まりがあるから休みを取ると伝えた。
天の医療も、少しばかり暇なのである。
Ⅱ.
七大天使とは、伝承によって名が変わる。
ここでは煩雑になるため全ての紹介を控えるが──ミカエル、ガブリエル、ラファエル、ウリエル、ラグエル、レミエルそして──サリエル。
この天使が、この天界における七大天使であり、神への謁見を許された天使たちである。
神への謁見を許されていると言えど、気軽に会える訳ではないが。
集会場に集まった七大天使は、片膝をついて父なる神を待っていた。
しばらく待っていると、ミカエルが不意に立ち上がる。
唯一神が、来たのだ。
相変わらず暗闇に紛れて気配しか感じられない、唯一神が。
「これより我らが父なる神より、招集の儀に際してのお言葉を頂く」
言葉が終わると同時に、その場の全員が立ち上がり、言葉を黙して聞く。
そして、招集の儀が淡々と進んでいく。
偶に招集があるかと思えば、集まる必要性が疑問の話題が消化されていき。
かつてはそんな天界に嫌気が差して堕天してのだが。
「以上で招集の儀を終了する。──父なる神よ」
そうして、暗闇の向こうの気配が、すすすと遠くに行くのを感じた。
完全に部屋から出て行かれた──というタイミングでこれまたミカエルが「解散」と声を上げる。
ふぅ、とサリエルが息を吐き立ち上がったところで、隣に一人の天使がやってくる。
「ラファエルさん」
サリエルにとっては医学の師、ラファエル。
灰色の髪を持つ好青年風の天使だが、医療に対する熱は医療に従事する天使よりはるかに上で、怪我をした天使が一人二人だけでも、大声を出して指示を飛ばす天使だ。
「サリエル、一つお願いがある。良いかな」
良いですよ、と頷くと、ラファエルはニッコリ笑って有り難うとお願いの内容を話す。
「今日、ミカエルが天使軍を率いて、地上の紛争の仲裁に出ただろう。
その帰りに、少女の天使を見かけたそうだ。
庁舎の方に歩いていたと言っていたそうだが、どうにも心配でね。
その子の特徴と見かけた場所は聞いたから、一度見に行ってくれるかい」
「分かりました、見に行ってみます」
少女の天使か、とサリエルは頭を巡らせる。
特徴と見かけた場所が書かれた紙を受け取ると、『見た目は人間で言えば大体12歳ぐらい』の一文に疑問を感じた。
医療を修得した天使であるため、一応全ての天使の名簿は頭に入っている。
――天界に12歳ぐらいの天使なんていないはず。
そう思考しながら、ラファエルからの「お願い」を果たすべく、庁舎を出る。
歩いて探すのでは大変だろうと、飛び立つ。
――ええっと、時間的には2、3時間は前のはずだからかなり庁舎に近付いてるはずよね。
そう思考しながら、見回す。
そして少し飛んだ先で、あ、と声を上げる。
「そこの天使、一度止まりなさい」
ミカエルが少女の天使を見かけた場所からかなり庁舎に近い場所で、例の天使を見つけた。
見かけは確かに、人間で言う12歳ぐらい。
停止の命令を素直に聞いた天使は、サリエルの方を見る。
サリエルが少女の天使の目の前に降り立ち。
「貴女、名は……」
「なまえ、ない」
疑問の言葉に被さるようにして、回答がきた。
名前がない、それは天使にとってはつまり―――。
「貴女、生まれたばかりなのね」
コクリ、と少女が頷く。
そう、と頭を抱えたサリエルはウンウンと悩む。
ここは神話の時代ではない。
『新しい天使が生まれるはずがない』のだ。
どこかの東洋の国のように、どんどんと神が増える世界ではない。
「…………そうね。七大天使と父なる神に報告しないといけないわね。ね、貴女」
サリエルは少女に問いかける。
「これから貴女は天使の頂点に君臨する方々に出会うことになる。
……イマイチ分からないだろうけど、生まれたばかりということは、天界で……神と七大天使に認められなければならないの。
やんごとなき御方に会う覚悟はあるかしら」
しばらく下を見つめた彼女は、顔を上げて強い目でサリエルの方を見る。
───うん、まぁ良いんじゃないか、会わせてみても。
「歩くの疲れたでしょ。
庁舎まで飛んで帰るから」
ほら、と手を広げるサリエルに、少し照れながら抱きつく少女。
この出会いが、全てを狂わせていく。
Ⅲ.
「お前が、ミカエルが言っていた天使か」
「確かにこんなちっこい天使見たことないねぇ」
「名前もないんだって?」
サリエルは父なる神に会わせるより先に、七大天使に少女を会わせた。
すると六人は彼女の周りにわらわらと集まり、観察し始め、各々の意見を言い始める。
「名前がないのは不便だね。
サリエル、良い感じの名前付けてあげたら?
なに、一時的なものさ、父なる神が後で正式な名を与えてくださる」
その中から低い声が響いた。
──七大天使かつ、四大天使の一人、ウリエル。
ウリエルとサリエルは同一視されるという伝承があるせいか、ウリエルはやたらサリエルにくっついてくる。
正直あまりくっつかないでほしいと思っているが。
「名前、名前……かぁ……」
うーん、と顎に手を当ててしばらく考える。
その間にも七大天使は少女のことを話したり、少女の観察をする。
「──ザラキエル。
めんどくさいからザラキエルで良いんじゃないですか」
ザラキエル。
サリエルの別名である。
どうせ後で父なる神が別の名を付けるのだから、一時的なものとして別名を名付けた。
「さ、そんなに見てたら萎縮しますよ。
早く父なる神に───」
広間に、と少女の手を引くサリエル。
だが。
『良い、その天使のことは把握している』
父なる神の声が、頭に響く。
父なる神の姿や声は七大天使のみに公開される。
秘匿中の秘匿事項、ということだ。
『名もザラキエルで良い。
サリエル、お前がその天使の世話をしろ』
「──えっ!?」
驚きの声を上げるサリエル、そして他の七大天使の面々も疑問符を浮かべたり、顔を見合わせたりしている。
ただ一人、少女だけがぽぅ、とサリエルの顔を見ていた。
『部屋は、サリエルの部屋の隣に空いているところがあるだろう』
「神よ──」
サリエルが神に疑問を投げかけようとするが、神はそれ以上言葉を放つのをやめた。
神の言葉は絶対であり、七大天使であろうとどうこう言える立場ではない。
頭を抱えるサリエルだったが、ええっと、とガブリエルがサリエルに顔を向ける。
「サリエルが大変なら僕たちも協力するから、さ。
……神が仰ることだから僕たちが引き取る、ということはできないけど……」
サリエルと少女──ザラキエル以外がガブリエルの言葉にうん、と頷く。
「……………………ええ、致し方ないですね。
私がザラキエルの世話をしましょう」
神からの無茶振りは諦めました、という風に首を横に振る。
神というのは、いつも無茶を言うのだ。
サリエルがふぅ、と庁舎の外を見ると青白い馬と、その馬に乗る靄がかった「何か」が見えた。
IV.
「ザラキエル、しばらくは私の部屋で過ごすと良い。
そうだな、半年ぐらいかな。
その後は私の隣の部屋で住むように。
分かった?」
自分の名を呼ぶのも気恥しいな、と思いながらも自宅に案内する。
天界は広い、故に天使一人一人の部屋もかなり広い。
二人で住んでも問題ない広さなのだ。
サリエル自身、自宅と言えど全ての部屋を使い切ってるとは言えず、倉庫状態になっているところが多い。
「…………うん、有難う」
ぽそりと礼を言う。
表情も硬い──知らない場所にいるのだ、緊張しているのだろう。
「天界は怖いものでは無いさ」
気休め程度にもならないだろうが、ザラキエルに一言だけそう言い、彼女にあてがう部屋を片付けていく。
ザラキエルはサリエルの部屋を少しキョロキョロと見回した後、ベランダに出る。
サリエルの部屋は綺麗さっぱりと片付けられていて、特に見るものもない、と言わんばかりに。
ベランダからぼーっと天界を見るザラキエルの後ろで、部屋を片付ける物音が響く。
それが十分程続き。
「ザラキエル」
サリエルが、彼女を呼ぶ。
ザラキエルはパッと振り向き、手招きするサリエルに従って部屋に入る。
ザラキエル用の部屋は、彼女にとっては十分な広さであり、ニコニコと笑いながら自室へと入っていった。
「ベッドは流石に二台も無かったから、ソファベッドで大丈夫?」
そう聞くと、コクコクと頷くザラキエル。
その様子を笑いながら眺めるサリエルだが、ふと外から話し声が聞こえ、外への扉を開けて様子を伺う。
「ああサリエル、丁度良かった。
その子の服作って持ってきたよ。
多分無いんじゃないかと思ってね」
そこにいたのは、七大天使のラグエルとレミエル。
二人の女性天使は大量の服を持って、部屋の目の前に立っていた。
「声を掛ければすぐ開けましたのに」
入ってください、と自室に二人を入れる。
彼女らはザラキエルの部屋に備え付けてあったクローゼットに服を掛けると、さっさとサリエルたちの部屋から出て行った。
「そう言えば服は元々着てたそれしかないんだっけ。
服のこと忘れていたな……ラグエルとレミエルが気付いてくれて良かった」
サリエルはふぅ、と息を吐く。
ふと、サリエルの脳裏に疑問が浮かぶ。
「そう言えば、生まれたばかりだから貴女は天界のこととか、神話のこととかは分からないわよね。
そう、例えば天地創造だとか、世界の終末だとか」
「終末……そこだけは、少しだけ知ってる。
終末を喚ぶ杖を儀式で振るった時、ラッパが吹かれ──」
サリエルはそこで少し顔をしかめた。
──終末を喚ぶ杖?
そんなものは、サリエルが知る限りどの神話にも登場しない。
しかも、彼女は天地創造なんかじゃなく終末の方は知っているという。
この天使、やはりおかしい……拾うべきではなかった。
やはり『魂を奪うべき』だったか。
サリエルは、月の支配者であり死を司る天使。
かつては天界の裁判所にも属していたことがある。
サリエルにとっては人間だろうが天使だろうが、魂を奪うことは容易である。
天界に異分子は要らない、父なる神に少しでも反抗の気がある天使はすぐに魂を奪え。
そう教わっていた。
「……サリエル?」
そこでハッとサリエルがザラキエルを意識の上に捉える。
ザラキエルは少し不安そうな顔をしていた。
何でも無いよ、と笑って誤魔化すが、面倒事はごめんだ、と頭を抱えるハメになった。
──終末を喚ぶ杖、ザラキエルが終末について語った物。
七大天使である自分が知らないということは、ザラキエルだけに埋められた記憶か、秘匿中の秘匿の記録がザラキエルに漏れたということか、と考えを巡らせる。
それから数日、サリエルはザラキエルを仕事に連れてきたり、天界を案内していた。
その間に、終末を喚ぶ杖について調べていた。
「終末を喚ぶ杖ねぇ、聞いたことないな。
ザラキエルがそう言ったの?」
天使長たるミカエルに聞いても、そう答えるのみで。
しかも、隠している素振りはない。
他の天使に聞いても、似たような言葉が返ってくるのみ。
終末を喚ぶ杖なんてそもそもあるはずがない────。
とある休日の朝、サリエルは終末を喚ぶ杖について聞いて回ったり、図書館で全世界の神話を読み漁ったりとしており、ザラキエルをラファエルに預けていた。
「サリエル、今日の午後はどこに行くの?」
午後、自宅へと戻ったサリエル。
ラファエルがタイミング良くザラキエルをサリエルの部屋へと帰してきた。
キョトン、という顔でそう聞いてきたザラキエルの目線に、少しだけ笑みを浮かべるサリエル。
「そうだね、今日の医務室は担当じゃないし……。
お休みだから適当にどこか行く?
仕事以外で下界に行くには承認を得ないといけないからちょっと面倒だけど」
うーん、とザラキエルは悩む。
そこまで行きたいところがない、という雰囲気だった。
「私は図書館に行くけど、一緒に来る?
そろそろ天界の知識も覚えておかないとね」
終末を喚ぶ杖についてもう少し調べなければならない、と思い午後も資料を探そうと計画したところだ。
ザラキエルも、コクリと頷いて部屋を出るサリエルの後ろを着いていく。
天使達の宿舎から少し離れた場所にある図書館は、広さこそそこそこあるが、天使がまばらにいるのみだ。
今更天界のことや下界のことを知ろうと思う天使はあまりいないだろう。
「ザラキエル、緑の髪の天使が立って本を読んでいる棚があるだろう。
あそこ辺りが天界の歴史が書かれた本の棚だ。
私は別の棚から本を取って……そうだな、一番入り口に近い席に座るから、いくつか本を選んでくるといい」
そう言って、サリエルはさっさと終末に関する本棚に行ってしまった。
ザラキエルはトトト……と小走りでサリエルから教えてもらった本棚に向かう。
本なんて初めて読むなぁ、と二冊程手に取って、サリエルに指定された席に持っていく。
パラパラと読んでいると、サリエルも厚めの本を持って席に座る。
しばらく、沈黙の時間が続いた。
「──あ、」
サリエルが声を上げる。
ん?とザラキエルが顔を上げると。
普段はあまり表情の変わらないサリエルの眉間に、少しシワが寄っていた。
図書館の外には、青白い馬が中を覗いていた。
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