時刻はすでに午前2時を回り、寝静まった住宅街の一角でコンビニの灯りは煌々と明るい。そして寒い。また、少しも眠くはない。だが幾分、腹が減った。だから自宅アパートから歩いて5分ほどのコンビニで、何かしら軽食でも買おうと食品売り場を物色しているところだった。


 客は俺以外に1人もおらず、店員も事務所に引っ込んでいて、店内は至って静かだった。これだから深夜のコンビニは居心地がいい。ずっと深夜であってほしいとすら思う。さておき、目ぼしい菓子と食品を買い物かごへ放り込み、天井から透明なフィルムの垂れ下がるレジへと置いた。数秒置いて四十がらみの、マスクをした店員がレジ奥の扉から姿を現した。俺もまたマスクをしている。世の中がこの感じになってからある程度経った頃、期を見計らって布製のものを買った。俺も店員も、互いにマスクをし、透明なフィルムを隔てて向き合っている。四十がらみのその男は、深夜のコンビニの店員なのに快活に会計を済ませた。『深夜のコンビニの店員なのに』などと思うのは失礼だし偏見だ。この時勢に接客業をやってくれているという、とても有難い存在なのに。いや、この時勢でなくともだ。


 店を後にして、来た道を戻る。寝静まった住宅街の、まばらにある街灯が薄明かるい。ほどなくして自宅アパートにたどり着く。夜も深く、更けている。俺は足音を響かせないようゆっくりと階段登り、アパートの2階にある自室の扉を開けた。エアコンを付けっぱなしにしてあった自室の空気は暖かい。


 自室の電気を点けながらマスクを外し靴を脱ぐ。手に提げたレジ袋と外したマスクをリビングのローテーブルに置いた。すぐにでも買って来たものを食べたいところだが、まずは洗面所に向かい手洗いとうがいを済ませた。帰宅したら手洗いとうがいをする。この習慣は時勢柄身につけたというわけではないが、世の中がこの感じになってからは以前よりも多少、念入りに行うようになっていた。


 リビングに戻りソファに腰を下ろすとレジ袋─このレジ袋は3円で買った─から、ローストビーフとチーズのバゲットサンド、缶コーヒー、食べきりサイズのホワイトチョコレートを取り出した。ポテトチップスとエナジードリンクにはレジ袋に残留してもらうことにした。日が昇って後、仕事中にでもいただくことにする。


 バゲットサンドをひとくち齧る。硬い。このバゲットの硬い歯ごたえが好きだ。レタスのシャキっとした食感にチーズとローストビーフがよく合う。やはり旨い。こんなに顎が疲れるにもかかわらず、すぐに食べ終えてしまった。


 ほどよく腹を満たされた多幸感と心地よい顎の疲れに浸りつつ、俺は缶コーヒーのタブを起こした。缶コーヒーという飲み物は缶コーヒーの味としか言い表し様のない独特な味がする。喫茶店で飲むコーヒーとも、家で淹れるコーヒーとも違った味だ。安っぽい味なのかもしれない。それでも無償に飲みたくなる時がある。今こそがその時だ。小腹の空いた深夜。多くの人が寝静まった独りの時間。缶コーヒーの味の質感には、どこか深夜のコンビニにも通ずる雰囲気がある。……少し抽象的にすぎる感想だろうか?


 続いてホワイトチョコレートの袋を開けた。8粒ほど入っている。うち1粒をつまんで口の中に放り込む。甘い。単純に旨い。もそもそと咀嚼して飲み下し、間を空けず缶コーヒーをひとくち啜った。さきほどまで甘ったるかった口の中に特有の甘苦い味が広がる。これよ。ホワイトチョコレートはやはり、缶コーヒーの肴として最も相性のいい菓子のひとつに数えられるだろう。


 大量消費社会の極致たるコンビニエンスストアで購入した食品を深夜に喫食する。これが『今』だった。これは最も今日的な食事と言って差し支えない。


 古い時代の人類は自ら狩った獣や魚、採集した木の実といったものを食べて命を繋いできただろう。人類が小麦に支配されるようになって後は穀物を中心とした食事を摂るようになり、さらに時代が下ると誰もが手の込んだ料理を気軽に買って食べられるようになった。それが今のような深夜でも。いや、『誰もが』というのは語弊があっただろうか。現代においても食うに困る人たちは確かに存在する。そうした人たちを存在しないかのように扱うのはよくない……これからはどうなってゆくのだろう。人間はめしを食うことをやめない。やめないにしても、食うものの中身は時代が変われば移りゆくことだろう。いずれはデケエハンバーガー以外のものを食うことが禁止される時代が来たりとか……


 ……デケエハンバーガー?なんだそれは。いいかげん深夜も深夜だ。無自覚のうちに疲れが溜まっていたのだろうか。こんなわけのわからんことを考えるなんて……時刻は……午前2時30分といったところか。あまり眠気は感じないが、眠れないにしてもベッドで横になっておくか。益体もない動画でも見ながらベッドでだらだらしよう。以来自宅勤務になったことだし、朝も以前ほど急いで起きる必要はない。もし仕事中に眠気を感じたらその時は少し横になって休むこともできる。ああ、でも歯磨きだけは今すぐ済ませておこう。缶コーヒーを飲んだ口のまま眠りたくはない。今はそうした方がいいだろう。とりあえず、今は。


【完結】

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