TWO 『ナイン・ストーリーズ』J.D.サリンジャー

 


 いつでもどこであっても私たちを現実に引き戻してくれる、それがサリンジャーの小説です。逃げまとおうが寄り道しようが、魂が本然の輝きに包まれる瞬間を心待ちにしているあなた…逃げていることを完全に第三者的に認識しているあなたにこそ、サリンジャーの小説はぴったりとした居場所を与えてくれます。

 小説の世紀と呼ばれた19世紀から遠く離れて、どちらかというとアイドル(IDOL)が巷を照らしまくっている昨今、もう小説には若者をエンライトメントする力はないのかもしれない…とうすうす感ずいている君、まあ、20世紀の小説もいっぱいあるし、一生かけて読めるから、心配しなさんなと言いたいです。書店さんも出版社とダンスの相手をしてもらうことばかり考えるのではなく、すいません自分と踊ってくださいと言ってもらえるようになるべく、古典を棚に詰め込みましょう。古典は売れます(たぶんね)。さあ、20世紀の小説の話をしましょう。


 サリンジャーといえば、永遠の若さを保ちながら、若者をエンライトメントし続けている作家第1党みたいなポジションを獲得していますが、ところでこの若者って、本当にすべての若者なのでしょうか? 年若い読者が存在することは確かでしょうが、たいていの若者は彼の小説のクレイジーネスさに鼻白み、成長していないとか、中二病的感性にほとほと嫌気がさすとかが、一般的な反応だと思います。書いてあることの中身を消化するまえに、胃がむかむかして受け付けられないのでしょう。それは、今まさに自分が体験し、受容しつつある世界の欺瞞さを、彼は描いているからです。お前が一生懸命馴染もうとしている大人の世界って、実はこんなダセえ田舎くさい、礼儀知らずの巣窟なんだぜと目の前でぶっちゃけられたら、ぶちっと切れちゃいますよね。パーティでどうしたらいいのかわからなくて右往左往して、やっと落ち着けそうな椅子を見つけたのに、その行為そのものを田吾作のやることとジャッチメントされたら、問答無用で嫌いになって当然です。


 そう、この田舎もんに対する理屈なしの嫌悪が、サリンジャーの小説の底にずっとあって、湖のように静かに私たちを惹きつけます。といっても、何も彼は田舎に住んでいる人を馬鹿にしているわけでは決してなく、いわゆる田舎もんと呼ばれてしまう類の人のこと、大阪の人なら「東京に魂売った」人のことを、とことんまでこき下ろしているのです。実際の彼は生まれ育ったニューヨークを離れ、晩年までニューイングランドの古風な村に家を構え、節操を知らないパパラッチから生活を守るために塀を張り巡らし、近所の人たちとのささやかな交流を通して、地元の人たちにも受け入れられていました。まさに彼の理想の、静かな生活です。かつてのニューヨークにもあった、良識に支えられた秩序ある暮らしです。

 サリンジャーは60年代のカルトヒーローであり、彼の創作物であるホールデンやシーモアをイメージするような、都会的で繊細な今どきの若者像を私たちの心に鮮烈に焼き付けており、それは文学史的にもきっかりと刻印されています。まったく新しい人のイメージです。しかし彼の持っていた価値観は新しいどころか、もっと前の戦前の、古めかしい価値観でした。


 第二次世界大戦後、アメリカは華やかな勝利に沸き立っている国民と対照的に、静かな危機に瀕していました。世界中が壊滅的に傷んだ経済と国家の体制に沈み切っているのに、アメリカだけが一人勝ちをして、おまけに世界の舞台の真ん中に躍り出て、世界の均衡を保たなくてはならない役目を持ちました。アメリカはほんの数十年前まで、田舎の国だったのに。そう、ニューヨークだって、世界中から人が集まるような現在の姿とは、程遠かったのです。

 戦後に入ってますますビジネス優先になったニューヨークはどんどんと拡張を広げ、エスタブリッシュメントとそうでない人とにポジショニングが形成されました。元から住んでる人とそうではない他所から来た人との、なかなか馴染めそうもない静かなふたつの世界です。かたやそうそういない人種と、通りを歩いている人の大半という妙な二項対立が、不思議と通りを満たしている人の心に刻まれてゆきます。時を待たずにますます人々は街に吸い込まれ、街に無視され、無力感を抱えて街に溶け込んでゆきます。気が付けば都会が、瞬く間に完成していきました。ここはニューヨークだから、人々は人目を気にせず好きに振舞えます。自分の地元じゃとてもじゃないけど出来ないようなことだって、簡単にやってみせます。別に誰にもたしなめられないからです。自分の骨身に染みている躾なんていう重苦しいものなんて捨ててしまって、新しい自分を演出していくことに心を傾けていけばよい。それはある意味で大きなカタルシスを感じさせてくれたはずです。ただ、それをいつまで続けるのか。その新しい自分というのを目に留めてくれる人というのは、本当にここにいるのか。答えのないような大きな謎に四方を囲まれてしまうことが、その背後にいつでもあったと思います。


 サリンジャーは作家になりたかった青年でした。そんな青年によくあるように、大学の創作科のコースを受講したり、街をぶらぶらとうろついて、カフェやバーの止り木に尻を貼りつけて仲間といつまでもしゃべったり、有名人の娘に恋したり、映画や劇場に通ってわかりもしないのにわかった気になっていたはずです。(私はサリンジャーは、おとなしくて素直な青年でもあったと思うのですが)彼は生粋のニューヨーカーで、真っ黒い豊かな髪をきれいにうしろに撫でつけて、ちょっと恥ずかしそうに前を見て、女の子の単純さをうつくしいと思ったり、思いがけない言葉に素直に関心したり、自分の仲間には時折は苦言を言う、当時どこにでもいる普通の青年だったと思います。またその反面、文章を書く、作家になるという情熱を持っていて、そのイメージトレーニングにも余念がなかったでしょう。当時、通りを満たしていた人たちにとって、とくに目に付くところのない普通の青年として、自由に街を歩いていました。彼が目にしたものは、そのまま彼の小説になりました。


 『ナイン・ストーリーズ』は、サリンジャー自身が選んで「これはよし」とした短編を9つ収めた自選短編集です。彼はここに収められている短編以外にも膨大な短編を書いていて、なかにはもっと知られてもよい質のいいものもありますが、本国では掲載雑誌を掘り起こさない限り、現在は読めないはずです(日本語訳では、なぜか出版されていて、最後の中篇『ハプワース16、1924』も読むことができます)。

 彼は自ら選び抜いたこれらの短編を出版後、その後も数年かけて出版をするスタイルを崩さずに、誰の心にも何かを刻み付ける小説を生み出していき、最初であり唯一の短編集で明示したイメージを展開するように、自分の小説世界に分け入って集中的に仕事をしました。

 伝記ではセンセーショナルな言葉が飛び交い、ときおり暴露本が話題になり、現在でも彼の本当の姿を追おうと伝記映画の公開は続いています。それを目にするたびに思うのですが、彼の意外なほどの凡庸さと、意外なほどの達成と、意外なほどの二面性に、あらためて気づくひとはどれだけいるでしょうか。サリンジャーについて書かれた本や伝記は、残念ながら本当の彼の姿をとらえることは出来ていません。しかしそれがかえって、私たちの姿を映しとる鏡の役割をサリンジャーは果たしていると思うのです。一貫した自己を持たずに日々の生活を送る私たちと同じように見えながら、どうしてサリンジャーはここまでの仕事を成し遂げることが出来たのでしょうか。私には小説家として優等生だった彼が変容していく瞬間というものを知らないばかりに、よりいっそう人にのしかかった運命の力を感じるのですが。


 『ナイン・ストーリーズ』に収められた短編を、みなさんどう読まれるでしょうか。いかにもグラス家的な、人生をうまく渡っていけない人たちの一喜一憂に、わたしたちはかえって豊かさを感じます。世の中は全然、連帯するどころか鼻の先が同じ方向を向いているのかどうか、あやしい世界です。それでもときおり私たちは、お互いの言葉や考えの一致に、何よりも得難い気持ちを感じ、相手を罵倒したりこき下ろしている最中でさえ、心のなかではどうか自分に目を向けてほしいと願っているものなのです。

 こどものその場を切り裂く泣き声や、若者の無軌道さ、家庭の中でのぴりぴりするような喧嘩、ときおりのいつまでも続いてゆく思い出ばなしは、ひとつひとつをきれいに折りたたんで、私たちの世界から去っています。かつてはどこでもあった光景でした。今もあるかもしれませんが、それよりも一人きりの世界を望む志向は、これからますます加速度をつけて、とくに目的もなく進んでゆくでしょう。実はこうしたいだとか、こうありたいと願う声があっても、あまりにも小さい声です。ほんとうはこうしたいというのは、それができない自分への証明であると思うのです。

 だから私は、サリンジャーの小説の中に満ち溢れている声に、いつまでも魅力を感じます。喧嘩だって揉め事だって、精神の危機だって、生きていれば何度でも訪れる、相手をいとおしいと思う瞬間、私たちが手にすることができる、唯一のものだったと思うのです。

 サリンジャーの書いた四つの小説すべて、こんなにチャーミングなものは世の中にないと思います。ノスタルジックな加工品ばかりが劇場や書店に並ぶ中、彼の小説だけが赤々と鮮やかに、わたしたちの小脇に抱えられるぴったりの大きさで、いつまでも永遠に輝いているのです。




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Very critical essay 英米文学批評エッセイ(ときどき日本) つちやすばる @subarut

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