Very critical essay 英米文学批評エッセイ(ときどき日本)
つちやすばる
ONE『色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹
*突然ですが、読書日記を始めました。成分濃いめなので、こりゃファン以外おもしろくねえよって人は、読み飛ばしちゃってください
単行本が手元にある方はお分かりのように、表紙をめくると、この小説最初の一ページは真っ黒い紙からはじまっています。帯もおんなじ材質の黒です。そう、すでにこの色が、このお話の象徴になっているのですね……。ずばり、死の世界に行って帰ってきた主人公が、また再びそこを訪れる心の旅、それが『色彩のない多崎つくると、彼の巡礼の年』です!(バーン) タイトルにすべて入ってるんですね~お話の中身が。といっても、この小説のカラーは暗いものではまったくなく、主人公である多崎つくるさんも、けしてくよくよすることなく、現実の世界に根を張って、当たり前のようにしっかりと日常を生きています。いままでの「僕」が主人公である村上作品の、あの特徴的な閉塞感、囲われた世界の虚無感、といったものがここでは軽やかに打ち破られ、(『1Q84』でその兆候はありましたが)高い高い青い空の見える小説にまとめ上げられている、それがこの小説の価値でしょう。主人公の多崎つくるさんは、斜に構えることも腐ることもなく、盛大に落ち込み(ここが大事)盛大に精神の危機と格闘し(これがなかなかできない)細い糸を手繰るようにして自分と社会の関係できる点を見い出し(彼の場合はたくさんの人であふれかえった駅。彼にとって駅は心安らぐ居場所)仕事をし、目の前の人や物事を見つめて生きています。これだけでもたいしたもんで、もういい仕事している、と思うのですが、ここで終わらないのが小説の主人公です! もう一度彼は昔の自分がいた場所、カラフルな名前を持つ懐かしい旧友たちのいる場所、その彼らによって無情にも切られた多崎つくるが経験した死の世界、そこにもう一度帰っていきます。なんといっても、ラストのフィンランドへの旅の全篇に流れるペールブルーの北国の風、におい、目の中に雪の光景が見えるような描写は白眉です。この小説は五感を使って生きている私たちの日常を、かろやかに思い出させてくれます。
もうひとつ読者にとって楽しいのは、舞台が名古屋であること! 地方都市の感じが凝縮されて表現されています。読んだだけで名古屋に飛べるんですね。(名古屋小説といってよい)青山とか六本木だけが村上春樹じゃない! 彼のパーソナルな体験も多分に反映されているのでしょうか、いままでよりも迫った小説になっているような気がします。それがいっそうこの小説の、前へ前へと進んでいく力強さを盛り立てています。淡い希望を持って生きるより、真実を知ることになってもよいから力強く生きたい! という現代の読者の心を照らしてくれます。そうです、闘いましょう!(ファイティン!)
彼の旧友も、象徴的な(クロはすこし様子がちがいますが)人生を歩んでおり、現代生活を送る人間にとっては、なかなか泣かせられる人物描写が挟み込まれ、これはあいつだ、そしてこれはおれ……と気が付いてしまった読者の方もいらっしゃることでしょう。いままでの村上作品に登場する語り手の「僕」がポジティブに受け入れてくれてた(当然読者の人生をも)モーダンライフがここでは資本主義の華麗な発展と永遠にダンスしつづける虚無としてまざまざと眼前に見せつけられてしまいます。反対に地道で地味な多崎つくるがスポットライトを浴びており、そこがちゃんと生きなくっちゃなと思わせてくれるんですよね。ちゃんとやるのがどんなにむずかしいか。レクサスや現実的にカスタマイズされた、カウンセリングの型を踏襲した(悪です)コーチングメソッドは実は全然私たちを救ってくれず、永遠に金持ちが金持ちであり続けるための構造に加担しているに過ぎないわけです。分配こそが唯一の課題であるのに、私たちは目をそらされているんじゃあありませんか……?というひそかなひそかなメッセージがあるのですね。ちゃんとやりましょーね!
この小説はいままでの村上作品と比べると、フレッシュで、イメージはさらに鮮やか、とくに練り上げもせずまるで水彩画のようにさっと描かれたような印象があります。いつも出てくるダークサイドも、今回は出てきませんね。(悪霊に憑りつかれたユズの存在はありますが……彼女はまさにさらわれてしまいました)本当に一枚の水彩画のようにきれいな小説です。ダークサイドと闘うこともなく、世界を一新することも、名誉を手に入れることもない多くの私たちが、勇気を得て力強く生きていくための、最初の勇気をくれる小説だと思います。本を開くたび何度でもくれるでしょう。
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