先輩のわけがない

真賀田デニム

先輩のわけがない


『昨日、午前九時頃、埼玉県✖✖市の無人の家屋で、近所に住む高校生、近藤こんどう美羽みわさんが死亡しているのが発見されました。近藤さんの遺体には心臓に達するほどの深い刺し傷があり、埼玉県警は殺人事件と断定し、捜査本部を設置しました。埼玉県警によると、五ヵ月前に同じく✖✖市の林で起きた殺人事件との関連性も含めて、慎重に捜査を進めるとのことです』


 私はニュースを見終わるとバッグを手に取り玄関へ向かう。革靴を履き「言ってきます」と挨拶をして、いざ外へ出ようとしたところで後ろから声が飛んできた。


「いってらっしゃい。今日は遅いの? 帰り道、気を付けてよ、本当に」

「遅くないよ。それで、気を付けるって何に?」

「何ってあんた、今のニュース見てたでしょ。近所なのよ。すぐそこなのよ。それにこの前だって起きてるじゃない。殺人事件。しかも被害者は今回と同じで女子高校生。犯人だってまだ捕まってないのよ。……ねえ、学校休んでもいいのよ」


 お母さんの心配は最もだと思う。もしかしたらもしかすることだってあるのだ。でも学校は休みたくない。家にいたら事件のことばかり考えてしまうだろうから。学校に行ってクラスメイトといたほうが気も紛れていい。私はそう口にすると、暗雲に頭を突っ込んでるかのような顔のお母さんに手を振って玄関を出た。

 

 いつもの通学路。私はなんとなく不安になって後ろを振り返る。特に気になる人間はいない。通勤通学中のいたって普通の社会人と学生が歩いているだけだ。途中のバス停でバスに乗ったときも見慣れた人ばかり。降りて学校へと到着する間も、私と同じ高校の学生がほとんどで異質な人間を見かけることはなかった。


唯奈ゆな、おはよう。ねえ、聞いた? 長嶋ながしま先輩のこと」

 

 教室に入ると、親友の香音かおんが話し掛けてきた。長嶋先輩のことと聞いて胸がざわめく。


「おはよう、香音。長嶋先輩がどうかしたの?」

「警察に事情聴取されたんだって。昨日の殺人事件の件で」

「え? 本当に? なんで長嶋先輩が……」

 

 長嶋先輩は私の一つ上の三年生で、サッカー部のキャプテンだ。キャプテンというだけあって当然サッカーもうまい。それに甘いマスクと人当たりの良さもあって、学校の女子の注目の的でもあった。ちなみに私も香音も長嶋先輩のファンだ。


「なんかね、長嶋先輩付き合ってたらしいよ。被害者の女の子と。だから男女のトラブルで殺しちゃったんじゃないかって、疑われているらしいのよ」

「そんな、付き合ってたってだけで……。私は信じない。例えトラブルがあったとしても長嶋先輩が殺人なんてするわけないじゃない」

「私だって信じてないよ。ただ、事情聴取されたっていうのは事実みたいだから――」



 その日、私は食欲もなく夜もなかなか寝付けなった。今日の香音との会話が頭の中をぐるぐると旋回して安眠への誘いを妨げていたのだ。

 

 あろうことか長嶋先輩が疑われているなんて。警察は無能としか言いようがない。長嶋先輩に限って殺人なんて愚行を犯すわけがないのだ。車と接触して今にも息絶えそうな猫を助けて病院に連れて行くような、心暖かい長嶋先輩に限って。

 そう、先輩のわけがない。


 

 夢を見た。

 長嶋先輩と二人でサッカーボールをパスし合う夢だ。私の明後日の方向に飛んでいくパスを長嶋先輩が追いかけてトラップ。お前、下手くそだなと言いながらも、長嶋先輩の顔には柔和な笑みが乗っているという、そんな実際にあった夢。

 

 

 次の日の朝からも、行きと帰りの通学路で私は背後が気になって仕方がなかった。振り返ったらそこにいそうで何度も後ろを見ていた。おそらく私だけではなく、幾人かの女子生徒も同様だったのかもしれない。野放しになっている殺人鬼がいつ自分に牙を剥くか不安でたまらないだろうから。

 

 幸いにも彼女達、そして私にも何事もなく一週間経った今日。長嶋先輩の容疑が完全に晴れたとの情報が香音から伝わってきた。


「良かったぁ。……じゃあ、誰が犯人なんだろうね」

「それはさすがに分からない。だから怖いよね」

「うん。顔の分からない殺人鬼がこの✖✖市にいると思うと、本当に怖い。早く捕まってほしい」

 

 私は両手で身を抱くようにする。

 不安が消え去るわけではない。でも長嶋先輩が、悪夢から解放されていつも通りの日常を送れることは素直にうれしい。いつまでもこの状態が続けばいいのにと私は心の底から思った。


 

 〇〇〇



『昨日、午前七時三十分頃、埼玉県✖✖市の高架下で、近所に住む高校生、岩城いわしろ真帆まほさんが死亡しているのが発見されました。岩城さんの遺体には胸を中心に十数か所の刺し傷があり、埼玉県警は殺人事件と断定し、捜査本部を設置しました。埼玉県警によると、一か月前に無人の家屋で起きた殺人事件、及び半年前に林の中で起きた殺人事件との関連性も含めて、慎重に捜査を進めるとのことです』


 お母さんの懇願にも似た制止を振り切って、私は学校へと向かう。

 通学の途中、何度も後ろを見た。最近は背後を振り返ることはあまりなかったのだけど、今日の朝のニュースを見て再び胸を圧迫するような不安が鎌首をもたげ始めたのだ。


「唯奈、今朝のニュース見たっ?」

 

 教室に入った途端、香音が走り寄ってくる。おはようの挨拶を忘れるほどに衝撃的なニュースなのだろう。


「見たよ。犯人捕まっていないし、もしかしたらって思っていたけど、まさかね」

「うん。……でね、その犯人なんだけど」

「え? もう見つかったの?」

「ううん、違う。やっぱり長嶋先輩なんじゃないかなって。あ、これはみんなもそう言ってて、ちゃんとした理由もあるの」

 

 香音の言う、ちゃんとした理由とはこういうものだった。

 今回殺された岩城真帆と一か月前の被害者である近藤美羽、及び半年前に殺害された長岡ながおかあおいが皆、長嶋先輩と交際していたらしい。被害者三人が一人の人間と付き合っていたなど、滅多にあることではない。つまり恋愛のもつれから長嶋先輩が殺した。


「それは一理あるけど……。やっぱり信じられない。長嶋先輩が犯人だなんて」

「気持ちは分かるよ。でも長嶋先輩が交際していた三人が死んだっていう事実は大きいと思う。それはもう警察だって知っていることだし……。だから長嶋先輩、やばいかも」


 

 その日は寝返りばかりうって、なかなか寝ることができなかった。その理由は前回同様に香音との会話のせいだ。

 

 確かに被害者全員が長嶋先輩と繋がれば、長嶋先輩が怪しいとなるだろう。でも怪しいだけで証拠なんてない。

 それはそうだ。殺人なんて愚かな行いを仕出かす筈がないのだから。階段の前で困り果てているおばあちゃんを背負って一緒に上ってあげる、心優しい長嶋先輩が。

 そう、先輩のわけがない。

 


 夢を見た。

 長嶋先輩と二人で部室でいる夢だ。長嶋先輩は将来の夢について話してくれた。サッカー選手になりたいという先輩の話はとても熱くて、心の底から応援したい気持ちになったという、そんな実際にあった夢。


 

 三度目の殺人事件のあとから、背後が気になるという確固とした恐れが終始まとわりついて私を苦しめた。夜、帰途へ就くときなど、周囲に人が減った瞬間を突いて現れるのではと動悸が強くなり、コンビニへ逃げ込んだこともあった。

 

 でもそれは私だけではないはずだ。女性、特に女子高校生は気が気でないだろう。なにせまだ犯人は捕まっていないのだ。いつまで姿なき殺人鬼に怯えなければならないのだろうと、恐怖におののきながら日々を過ごしているだろうから。



「そういえば、唯奈ってサッカー部のマネージャーだよね?」

 

 昼休み、対面してお弁当を食べている香音が突然聞いてきた。


「そうだけど、どうかした?」

「なんか心配になっちゃって。……被害者の三人と長嶋先輩との関係性を考えたとき、もしからした唯奈も危ないんじゃないかって」

「待って。それって次に私が殺人鬼に殺されるってこと? なんで? 意味分かんない」

「親しい間柄だからだよ。噂になってるんだよ? 唯奈と長嶋先輩がよく二人っきりでいるって。部員とマネージャーの一線を越えているんじゃないかって」

 

 何を言うかと思えばくだらない。だとすれば私は誰に殺されるというのだろうか。目下犯人と目されている長嶋先輩にだろうか。意味が分からない。仮に別れ話のもつれで殺されるとしても、そもそも私は長嶋先輩とは付き合ってもいないのだ。

 

 そこで私は香音の真意に気づく。

 つまり香音は、私と長嶋先輩が仲良くしているのが気に食わないのだ。だから醜い嫉妬心を露わにしてでも私を長嶋先輩から離そうとしているのだ。


「別に香音には関係ないじゃん」


 私はそれだけ言うと、お弁当を片付けて自分の席へ戻った。


 

 部活の時間が終わり、私は部員達がいなくなった部室の掃除を始める。するとドアが開く音が聞こえた。見向くと、そこには長嶋先輩がいた。

 あっと、驚いたような長嶋先輩は「まだいたんだ。お疲れ様」とだけを述べると、私の言葉も待たずにそそくさと去っていった。ショックだった。二人きりでまたお話ができると思っていたから。

 

 それにしても長嶋先輩の今の態度は気になる。まるで、後ろめたさを覚えて逃げていくかのように見えた。長嶋先輩は殺人なんて犯していない。なのになんでそんな態度を取るのだろうか。

 いや。まさか。もしかして――。



「言ってきます」

 

 私はお母さんの挨拶を待たずに玄関を飛び出る。

 岩城真帆が殺害されてから四日経つ。✖✖市全体が不穏の霧に包まれたかのように、道行く人の顔が一様に暗く感じられる。もちろん私の先入観かもしれないけれど、殺人鬼が未だ捕まっていないという現実を前にして、明るく振る舞える人間はそうはいないだろう。

 

 私は不安感を抱えながら、バス停へと向かう。

 前方のT字路を右に曲がればそのバス停というところで、私は立ち止まった。

 背後から視線を感じたのだ。単に、後ろを歩いている人間の視界に私が入ったというレベルではない。確実に私だけをターゲットにしたような、粘着的な視線。何匹もの毛虫が背中を這いずり回っているかのような、ぞっとする悪寒と恐怖。


 私は意を決して振り返る。

 振り返るとそこにはいた。悪寒と恐怖の元凶が。

 私には分かる。点在する人間とは違うその異質な雰囲気が。なぜならずっとそいつらを警戒していたのだから。

 

 そいつらと視線が合う。その眼光から読み取れるのは、決して獲物を逃さないという肉食獣の執念。

 その瞬間、逃げだそうという気持ちは呆気なく霧散した。私は覚悟を決めるとそいつらが近づいてくるのを身を震わせながら待った。そいつらは、私に逃げる気がないことが分かるとゆっくりとそばへやってきた。


「橋本唯奈さんだよね?」

「はい。そうです」

「私達はこういうものだけど、少し話をさせてもらってもいいかな」


 二人組の一人が私の眼前に、『こういうもの』である証を見せる。

 それはドラマなんかでよく見る警察手帳だった。

 私はどうやら、致命的なヘマをしたらしい。



 私が殺人現場で岩城真帆と言い争っているのを目撃した人間がいたようだ。こうなることを危惧して前の二件は人の目が届かない場所で行ったのに、慢心とは恐ろしいものだ。高架下であっても夜なら大丈夫だろうと慎重さを蔑ろにするのだから。

 

 警察が私を事情聴取した時点でゲームオーバー。絶対に言い逃れはできない。前の二件の殺人事件だって追及される。だから私は近藤美羽、長岡葵、岩城真帆の殺害を認めた。

 理由は、あいつらが私から長嶋先輩を奪おうとしたから。私が部員とマネージャーという関係を温めて徐々に距離を縮めていくという地道な作業をしているというのに、横から急に入ってきて長嶋先輩を取り上げようとしたから。


 そうだ。長嶋先輩は付き合う気もないのにあいつらが奪ったのだ。その証拠に長嶋先輩は、おそらく警察から橋本唯奈が殺人犯だと聞いたとき、私に罪悪感を覚えている。それが部室で会ったときの長嶋先輩の後ろめたさの正体。

 私という大切な人がいながら、三人の女に交際を強要されてしまい受け入れてしまった。その結果、私に殺人を犯させてしまったという――。


 その長嶋先輩が私に極刑を望んでいるという。

 でも私は分かっている。長嶋先輩は私が刑期を終えて出所するのをずっと待っていてくれると。

 

 だからそんなの、先輩のわけがない。

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