蒼白

カネコダイスケ

小さな同窓会

 大人になると自分でも気付かないうちに色々と忘れてしまうものだ。

 その日も普通に会社へ出向き、普通に働き、普通に退社した僕は、これまた普通に夕食をコンビニで買っていた。

「………。」

今こうして改めて考えてみれば、毎日の夕食をコンビニで買うのが自分の普通だというのは、我が事ながら実に味気なく、かつ、全くもって情けない話なのだが……これがいつの間にか僕の日常となってしまっているのだから仕方ない。

「……やまざき?」

少し惨めな気持ちで弁当とペットボトルを入れたカゴを手にレジ待ちの列に紛れていると、唐突に横から名前を言われ僕は驚いた。

「やっぱそうじゃん!」

見れば真横に小麦色の肌をした男が白い歯を見せていた。

「は、はい。自分、山崎ですけど……。」

はて、一体誰だったか?

まず、会社の人間ではない。では取引先の人間だったか?いや、こんな陽に焼けた筋肉質の男には見覚えがない。

「久しぶりだからって他人行儀な……って、もしかして俺が分からないってか?」

そう言いながら大きな手で背中をバンバンと叩いてくる。

「トクイだよ!トクイ!」

そして自分を指差して一体何が得意なのか分からないが『得意』と連呼してきた。

「得意、得意って……ん?とくい?トクイって徳井?」

「そうだよ!同じ中学の徳井!やっと思い出したか?」

きっと周囲には三十過ぎの男二人が『とくいとくい』と繰り返し言う姿は騒々しく、かなり珍妙に映ったに違いない。それでも僕と徳井は懐かしさも相まってか、周囲の冷やかな視線たちに気付かず笑い合った。

 レジで会計を済ませた僕と徳井はコンビニの外で互いの近況を語らう。

徳井は高校を卒業した後、家業の工務店で働いているとの事だった。

「中学の時の連中なら何人か連絡できるから、次の日曜に来られる奴ら集めて呑まないか?」

しばらく他愛のない話を交わしてから、ふと時計を気にし始めた徳井は早口に言う。僕は断る理由もなく、連絡先を交換して彼の車を見送った。


 徳井から連絡がきたのは、偶然コンビニで再会した日から三日後。

すでに彼は店も面子めんつも手配しており、その手際の良さに僕は苦笑いを浮かべてしまった。

 そして当日となり、僕は約束の時間に教えられた居酒屋の暖簾のれんをくぐった。

繁盛している店内。目印は徳井の小麦粉の肌。

「よお!山崎!こっちこっち!」

キョロキョロと探していると名前を呼ばれ、その声がした方を見れば座敷席で徳井が手を振っている。

「もうみんな来てるぞ。」

約束の時間に来たというのに、どうやら僕が一番遅かったらしい。

「ごめん。」

一応謝りながら靴を脱ぎ腰を落ち着かせると、徳井の他に見覚えがあるようなないような男が二人座っていた。

「誰か分かるか?」

徳井に言われ二人を見る。一人は眼鏡をかけた細身。もう一人は少し生え際が後退しつつある太めの男。

「えーっと……。」

二人を交互に見てみたが、失礼な事に二人共に名前が出てこない。というよりも見覚えがない。

「佐久間と関だよ。」

「サクマ?セキ?」

僕が即答できないのをニヤニヤしながら見ていた徳井は眼鏡の男はサクマ、太めの男はセキだと教えてくれた。

その名前を頼りに記憶から中学生の二人を思い出してみる。

 佐久間。確か彼は背が低く頭は丸刈りで、よく女子にからかわれていた気がする。

 関。サッカー部で主将。目立つ存在で女子から人気のあった奴だ。

「………。」

「昔の面影ないだろ?」

あまりの変わりように絶句する横で徳井はゲラゲラと下品に笑った。

 十五年以上経ってからの再会は近況報告から始まるのが常なのか、まず佐久間と関の今を話題にジョッキを傾ける。

眼鏡の佐久間は大手眼鏡チェーン店で店長をしていると簡単に済ませ、関は中小企業の管理職で苦労が絶えないとしつこく話した。

そうやって話をしていたが、しばらくすると話題は共通する過去である中学時代へ流れていく。

 最初は色々あった出来事を並べ合っては相づちを打っていたが、そのうち『どの女子が好きだったか』と互いに白状しろと盛り上がる僕たち。

そうやって何杯目の生ビールかも勘定できなくなった頃、ふと佐久間が眼鏡を拭きながら「そういえば……」と呟いた。

「都市伝説というか、あの頃ちょっと変な噂話あったよな?」

「都市伝説?」

もう何も刺さっていない焼き鳥の串で枝豆をつついていた徳井が首をひねる。

「あれだろ?通学路に出るってやつ。」

頭皮まで赤くさせた関が刺身のツマに醤油をたらし、それに徳井が「ああ。あったな。女の霊が出るって話」とうなずいた。

 それは僕たちが中学生だった頃、その通学路に出ると言われていた『蒼白の女』という怪談染みた噂話だった。


 いつの頃からなのか。誰が言い出した事なのか。その噂は僕たち生徒の内で知らぬ間に語られていた。

 放課後。小高い丘に建つ中学校から伸びる一本道。

日の高いうちはそれほどではないが、途中にある雑木林を抜ける道は夕刻となれば薄暗い。

そんな、まるで異世界へと通じるかのような中を女子生徒が一人で四時四十四時に通ると、それは起こるという。

 誰もいない道。それなのに突如として背中に感じるのは人の視線。

その粘り気のある視線に何者かと振り向けば、鬱蒼うっそうとした林の隙間に人影。目を凝らし、よく見れば木の陰から顔を覗かせる長い黒髪の女の姿。

その女は遠くにいるうえ、伸びるだけ伸びた前髪のせいで顔までは見えない。

なのに女が自分を凝視している事だけは感じられ、まるで心臓を掴まれたかのような恐怖が全身を包み込む。

 得体の知らない女から逃げるように背を向け、一刻も早く林から出なければと否応いやおうなしに沸き上がる焦りに足は自然と大股に、そして、その動きは早くなってしまう。

 しかし、行けども行けども左右は雑木林。

たかが数百メートルしかない道だったはずが、延々えんえんと木々に挟まれ、行く先は闇のまま。

……おかしい。

高まる恐怖心。

ふと後ろにいた女が気になり、歩調そのままに振り返る。

すると女は、また木に隠れながらこちらを凝視している。

こちらが振り返るのを察して隠れたか。いや、それにしては隠れる動きが速すぎる。

しかも、心なしか先ほどよりも自分から近くの木に隠れている。

つーっと背筋に流れる冷たい汗。

早足は駆け足となり、そして走りながら何度も何度も振り返る。

そうやって振り返る度に、木に隠れる女は徐々に距離を縮めてくる。

 やがて数本後ろの木まで近付いた女。

次は真後ろの木か。それとも自分の背後か。

息があがり、走ろうとする気持ちを裏切りもつれる足で決心と諦めが交差する中で振り返る。

 そこに女は見当たらない。ただ行く先と酷似した雑木林に囲まれた薄暗い道があるだけ。

 拍子抜けして立ち止まり、肩で荒く息をしながらあごから落ちる汗を拭う。

あの女は何だったのか。それは分からない。しかし、こうしていなくなった。それならば後は林を抜けるだけだ。

 呼吸を落ち着け、重たくなった足できびすを返し出口の方を向く。

「それ、ちょうだい……。」

振り向いた先に女はいた。

真っ黒な髪をダラリとさせ、かろうじて見える紫色の口唇からかすれた声を発して。

「わたしに、ちょうだい……。」

そう言いながら、大きく首を右に傾けながら一歩詰め寄る女。

「ちょうだい……。」

次は大きく首を左に傾け近付いてくる。

その動きのおかしさに足元はどうなっているのかと視線を落とすと、そこには地面まで伸びた髪。

そう、そこには髪しかなかった。

本来あるべきはずの足がない。それどころか視線を上げていくと、腰も、胴も、胸もない。

髪に支えられ宙に浮く首。

「わたしにぃぃそのぉからだぁぁ!」

異形の女の首は右に左に傾ける速度を増しながら、それと比例して詰め寄ってくる。

そして、眼前まで迫った女の口が裂けるように大きく開かれ、生臭い息で「ちょうだいぃぃっっ!!」と声をあげたのを最後に視界は闇に包まれる。

 こうして視界が奪われた中、ただ女子生徒は自分の首の肉と骨が噛み千切られる振動が脳髄のうずいに響き渡るのを聞くしかなかった―――。


 ひとしきり語ると佐久間は『バカバカしい』といった様子で肩をすくめた。

多分、徳井も同感なんだろう。串に刺した枝豆を口に運んでは、泡の消えたビールを飲み干し渋い顔で首を横に振る。

「で、でもさぁ。」

そんな二人とは違い、関は大きな体を小さくしながら箸を置いた。

「あの通学路の林ってさ、奥に一軒だけ家があって、確か強盗殺人事件……起きたんだよな?」

一昔以上も過去の記憶を必死に引っ張り出す関に徳井も少しだけ真顔になる。

「ああ。そんな話あったな。家族三人が殺されたってやつだろ?」

「そのうち高校生くらいの娘だけ首を切断されていて、その首がみつからなかったって話だな。」

見れば佐久間も真面目な顔で徳井の捕捉をし、それを聞く関は大袈裟に頷いた。

「そうそう!きっと幽霊の正体はその娘なんだよ!首だけになったから体を探してて、それで一人で通る女子を追いかけて首を噛み千切るんだ!自分の体にするためにさ!」

興奮したように関が言うと、徳井と佐久間は顔を見合わせ、ほぼ同時に吹き出した。

「な、なんだよ。何がそんなにおかしいんだよ?」

「いやわりぃ!うん、確かに強盗殺人事件はあったみたいだけどさ、だからって幽霊……ってか人の頭を食う化け物になるってのは、なぁ?」

串を皿に戻す徳井から同意を求められた佐久間は眼鏡を外し、再び慣れた手つきで拭きながら呆れた口調になる。

「そもそも生徒が襲われたのなら事件になって大騒ぎになってるはずだろ。そんな話は聞いた事がないし、大体こういう話は作り話に決まってるじゃないか。」

「それはそうだけどさぁ……。」

さも当たり前と言い切った佐久間に、何か腑に落ちないところがあるのか関は歯切れの悪い言葉を一つ二つボソボソと口にしてから黙りこんでしまった。

「って、もうこんな時間か。」

他に話題も尽きたのを見計らって徳井が腕時計に目をやると、僕も気になりスマホを覗いてみた。

時間は深夜一時を過ぎている。

「それじゃそろそろ帰るとするか?」

そう言いながら徳井は僕たちの返事を待たずに立ち上がり、こうして小さな同窓会はお開きとなった。


 大人になると自分でも気付かないうちに色々と忘れてしまうものだ。

 昨晩の徳井たちとの同窓会。僕は口にこそ出さなかったが、彼らも色々と忘れていたり、勘違いしているなと思っていた。

 特に佐久間が語った中学校の通学路の怪談。あれは滑稽こっけいだった。

 確かに中学校の通学路の途中には雑木林を抜ける箇所があり、その林の奥には三人家族が住む家が一軒だけあった。

そして実際に、その家族は惨殺された。が、それは強盗殺人事件ではなかったし、娘は高校生ではなく中学生。しかも、その事件が起きたのは僕たちが高校生になってからだ。

 要するに時系列としては雑木林の怪談の方が古い事になる。

 だから、その娘は幽霊でもなければ、ましてや化け物でもない。むしろ怪談の『最初で最後の犠牲者』として語られるはずの娘が、時間が経つにつれ出来事の順序が歪めれ、いつの間にか怨霊めいたものとして語られてしまっているようだ。

 実際、彼女は下校中の通学路、あの林で視線を感じては何度も何度も振り返っていたというのに。

 それでも彼らの話で正しかったのは、惨殺された一家のうち、娘だけ首を切断され、その行方ゆくえが分からず仕舞いだという事くらいだろう。

 そうこうして重ねた年月を噛みしめながら、今日も普通に会社へ出向き、普通に働き、普通に退社した僕は、これまた普通にコンビニで夕食を買う。

そして普通に自宅に辿り着き、普通に台所へ向かい、普通に冷凍庫を開き、その中へ普通に帰宅した事を告げる。

「……ただいま。」

そこで僕の帰りを待っていてくれた彼女は何も答えない。

それでもいい。

こうして僕のそばにいてくれるだけで幸せだから。

「こんなに綺麗な君が幽霊だとか化け物だとか……笑っちゃうよね?」

その美しく冷たい頬に手をあてながら、ついつい笑い声が喉の奥から出てしまった。

 ああ、そうさ。普通さ。これが僕の普通なんだ。考えなくても分かる。僕は僕の愛する彼女と共にいる。それが普通なんだ。だから、そんな普通になる事を拒んだ彼女と彼女の両親は間違っていたんだ。

「君も幸せだろ?だから言ったんだ。君と僕は一緒にいるのが普通なんだってさ。今なら分かるよね?」

 あの高校の夏から、これが僕の日常になった。

「これからもずっと愛しるから……。」

そうやって僕は今夜も、彼女の蒼白の口唇に、暖かな口づけを優しく交わしてあげた―――。

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蒼白 カネコダイスケ @kaneko_daisuke

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