死神は影の中で
石田宏暁
通学路、振り返るとそこにいる(ホラー)
悔しい……悔しくて涙が出る。
ランドセルを背負って、長い長い田舎道を一人で歩いて帰る。クラスの連中はバカばっかりだ。みんな死ねばいいのに。
こんな田舎に、まともな娯楽なんてひとつもない。wi-fiも飛んでいない、なんにも楽しいことがない。こんな時、どうすればいいのか。
ググってみよう。ちっ……そもそもネットも繋がらないし
鹿島先生はバカ。 特にバカ。あんな教師、普通に都会だったら絶対にやっていけない。コンプライアンスや人権、差別、そういうものが分かってない。
やられたらやり返せだってさ。
殴られたら殴り返せだって。
馬鹿にされるのは、僕がモヤシで病弱でオタクで、負け組で、誰とも友達になろうとしないのが原因だってさ。
いじめを無視する最低のクソ教師が、まだこの国にいるとは驚いた。いや、呆れてモノも言えなかった。
あの脳筋馬鹿教師から言わせれば、人生が公平だと思ったら大間違いだそうだ。やり方は何でもいいから、全力でやれと怒鳴られた。
そんなこと普通に言う大人がいるなんて思わなかった。頼むから死んでくれ。でもなきゃ、教育委員会に訴えてクビにしてやる。
もっと馬鹿なのは、ガキ大将気取りの米山二郎だ。あいつは、ちょっとばかり喧嘩が強いからっていい気になってる。ただの世間知らずの田舎者のくせに、僕をモヤシって呼ぶんだ。
「そんなゲームおもろいか? 貸してみろや」
都会から越してきたばかりの僕は、いろんなゲームやアニメ、漫画を知ってた。はじめは皆が僕をちやほやしたのに、米山のせいで全部がおじゃんになった。
「アハハ、あほくさ。裏山で鬼ごっこしたほうが、よっぽど面白いやんな。今度はモヤシが、わしらの遊びに付き合えや」
今日は酷い目にあった。ズボンの裾は破れ、白いパーカーは泥だらけだ。突き飛ばされたせいで、膝がじんじんする。
これを、やったのはデブの京子だ。女のくせに、体がでかくて、力も強い。おまけにいじが悪くて、食い意地もはってる。
給食で僕が食べ残しを捨てようとしたら、普通に食っていやがった。怪力で、何かにつけては、僕を校庭に引っ張っていくことがあった。あんな怪物は国が保護するべきだ。
みんな死ねばいいのに。先生も、クラスの皆も米山も、デブの京子も、みんな、みんな。
『もし、もし……』
夕焼けの通学路で、耳元から声が聞こえた。振り向いても誰もいない。
『ここです、ここ』
その甲高い声は、僕自身から伸びている影から聞こえた。
「だ、だれ?」
『フフフ、手前ですか、手前が誰だっていいではありませんか。貴殿はこの辺の低能な子供たちとは少し違うようで。貴殿こそどちらから、おいでで?』
「あ、ああ。先月、引っ越してきたんだ。飯は不味いし、ケーブルテレビも映らないし、すぐに帰るつもりだけど」
幻聴とか、幻覚だろうか。確かに気持ち悪いとは思ったが、不思議と怖くはなかった。
僕は母さんが肺の病気で入院したこと、父さんが付きっきりになったせいで、僕だけ祖父母のいる田舎に転校してきたことを話した。
言葉はすらすらとでた。友達がいない僕にとっては幽霊だろうが、死神だろうが話し相手がいるのは歓迎すべき状況だったからかもしれない。
『そう、手前は死神でございます。お手伝い申し上げましょう……貴殿は死んでほしい人が沢山いるようで』
僕の考えが分かるのかとゾッとした。死神、死神だって?
「ふん、そんなこと出来るもんか。お前もクラスの連中や先生と同じで、僕を馬鹿にしてるんだ。ほら、米山みたいに、僕を口先だけのモヤシっ子だと思ってるんだろ! 殺れるもんならやってこいよ。今すぐ、殺して来てよ」
『し、失礼でございますな。今すぐに殺すことは出来ませぬが……厳密な審査と偶然的な好機を計算すると、だいたい十年後あたりになります』
「はあ!? なんだそりゃ。そんな影からひそひそ話して、どうせ何も出来ないんだろ」
『では、契約していただけますかな。さすれば、三人ともきっちり殺してさしあげます』
その死神の言い分はこうだ。殺人は人を作った神に反する行為だから、そう簡単にはいかないらしい。
しょせん、死神の能力は神の下位互換だから。殺人は事故や偶然、運の要素をうまく利用して、やっと成し遂げられる奇跡だそうだ。
奇跡の使い方について、議論する気はないけど。崖から落ちるか、病気で死ぬか、交通事故で死ぬかだそうだ。
「あほらし……」
言われてみれば、ホラー映画なんかを見ても悪魔や亡霊が現れて、いきなり皆殺しにするようなシーンは見たことがない。
パニックになって逃げようとする人間が、足を滑らしたり、事故死するのがパターンだった。
「馬鹿じゃないの? つまり僕か誰かの協力が無きゃほとんど不可能じゃないか」
『ば、馬鹿……酷いですね。あてつけで死神を責めるとは、いい度胸でございますれば』
「はあ? どこがあてつけだよ」
『……いや、分からないならいいです』
「よく、そんなので契約とか言えたね。クーリングオフと消費者生活センターは知ってる? 口約束なんか通用しないよ、今時」
『……最近の子供たちが、めっきり話に乗って来ないのは、それが原因でしょうか?』
「ちゃんとプランを見せてから、同意するか、同意しないか二択で選らぶんだよ。それでも通知自体をブロックするけどね、僕なら」
『間抜けな教師は転落死、いじめっ子は心臓発作、嫌な女子は交通事故、ここまでハッキリ言えば、いかがでしょう?』
「い、いんじゃね。それで頼むよ」
『………』
一瞬、影が揺らいで包まれた気がしたが、何も起きなかった。こんな馬鹿げたことはさっさと忘れて、僕は家に帰ることにした。
あの日のことは、誰にも話していない。爺さんや婆さんに言っても、どうせ信じないと思ったから。
※
十年後。街の役場は雨が降ったせいか、少し肌寒かった。座敷には酒とビール、寿司や煮物が並べられていて、あちら此方から女子のすすり泣きが聞こえた。
「ぐすん……すん」
「ひっく……ひっく」
恩師の葬儀には、礼服に身を包んだ町中の人が集まっていた。鹿島先生には、本当にお世話になった。
僕がこの町に来たときは、先生も大変だったはずだ。誰かの保証人になったせいで借金だらけだったとか。
せっかく手に入るはずの親の遺産は、親戚に全部あげてしまったとか、情けない噂話が沢山あった。面倒見のいい先生になら、ありそうな話だけど。
当時の僕は強くならなくちゃいけなかった。母さんが入院して、僕だけが父さんの実家へ引っ越しをした。
友達はひとりも居なくて、病弱な僕はガリガリに痩せた、脱け殻みたいな子供だった。そのくせ、すごく生意気だったんだ。
隣からビールが注がれ、懐かしい友人たちの顔が並んでいる。
「鹿島先生、ほんと怖かったよな。暴力だって当たり前、やられる前にやれ、だもんな」
「ああ、特に僕には滅茶苦茶だった。なんでも絶対に諦めるな、全力でやれって。殴られたこともあったな。あの頃は、時代錯誤も甚だしいって思ってたよ」
親友の二郎はニタニタっと笑った。鼻筋をかいて、少し恥ずかしそうに言った。
「苦労してたから、八つ当たりだったのかもしれないな。だけど、どんな苦難だろうと立ち向かう気持ちが大事だって教えてくれたのは、あの先生だけだ」
初めて会った日、先生は僕に聞いた。将来は何になりたい? どんな人間になりたい?
あの頃の僕は「なりたい自分を考えないですむ人間になりたいです」
そう応えたんだ。そう、僕は空っぽで、卑屈で、生きる希望を失っていた。ビールを一口だけ飲んで言った。
「実は……感謝してるんだ。駄目なところもあったけど、僕にとって鹿島先生は親父代わりだった。何度も本気で叱ってくれたから、今の僕がいる」
「……ああ、違いない。みんなそう思ってる」
先生は小学校の教師をしながら、中学サッカー部のコーチもしていた。僕は技術以上に、負けたくないという気持ちを先生に教わった。
「俺たちが仲良くなったのも、先生のおかげだ。でも崖からの転落死なんて、何か信じられないよな」
「えっ……何だって?」
何か大事なことを忘れているような気がした。この米山二郎は、僕の親友だった。小学校時代は、ただのいじめっ子だと思っていたが、中学では違った。
毎日、裏山で鬼ごっこや駆けっこをしたおかげで、僕の足腰は鍛えられた。
サッカー部が全国大会で準決勝までいけたのは、全部米山のおかげだ。僕らは毎日グランドを精一杯走り、競いあい、励ましあった。
「本当いうと、最初はお前が羨ましかった。何でも持っているし、都会の匂いがしたからな」
「よく言うぜ。モヤシとかゴボウとか、ずいぶんと馬鹿にしてたくせに」
「からかっただけだろ。ジョークだよ、ジョーク。俺が他の野菜と、親友になってもいいっていうなら別だけど」
「そいつは譲れないな。どうせモヤシ一筋のくせに。なんだよ別の野菜って」
「アハハハハ」
決勝進出が決まった日、米山は心臓発作を起こした。救急車が来て、試合はさんざんだったが、彼は死ななかった。
「俺も、あの先生に鍛えられたからな。負けるもんかっ、死んでたまるかって思ったんだ」
「ああ、あの時は死ぬかもって言われたのに、今まで生きてるとは、さすがは僕の親友だよ」
「……ふふん。それより、お前の婚約者が居ないみたいだけど」
彼女は、車で買い出しに行ってくれてる。働き者で世話焼きで、気が利くうえに美人ときている。僕には勿体ないくらいの女性だ。
「ああ、すぐに来るだろ」
「思い出話ばかりするのも、おかしなもんだけど、あいつも大分綺麗になったよな」
「ぶっ!」俺はビールを吹き出した。
「おいおい、それは言わない約束だぜ。昔はデブでデカくて怖かった、なんて話は僕たちだけの秘密だ」
「アハハ……みんな知ってるだろ? 同じ地元なんだから」
「京子は昔から綺麗だ。そう口裏を合わせてくれなきゃ、親友の意味ない」
「アハハハハハ」
「ぷははははは」
京子と結婚出来る僕は幸せ者だった。皆が彼女を好きだったし、彼女は誰より世の中が不公平だと知っていた。
彼女の母親は僕の母さんより、ずっと前に亡くなっていた。後妻とは色々とあったらしく苦労したそうだ。
天然パーマにあの体格。小学生時代の京子も友達が居なかったのだ。初めて会った頃は知らなかった。
彼女は僕の母さんが死んだときも、ずっとそばに居てくれた。彼女の母親が死んだとき、彼女は独りだったのに。
それがどれほど辛く、苦しいことか、彼女は身を持って知っていた。だから決して僕を一人にしなかったんだ。
無理矢理、校庭に引っ張り出したり、給食を沢山食べろって、僕にお節介をやき続けた。
今なら分かる……世界は不公平だけど、君は一人じゃない。あのとき彼女はそう言いたかったに違いない。
僕は自分が一番、不幸だと思っていた。自分が一番、悲惨だと思わなければ気が済まなかった。でもそんなのは間違いだった。
酒が僕を感傷的にした。先生からは世界の厳しさを、親友からは勇気と力強さを、彼女からは愛と優しさを貰った。
その時、慌てて飛び込んできた男の声が役場の入り口から響いた。
「大変だ!! 京子さんが事故ったそうだ。そ、即死だなんて……言ってる」
「えっ?」
呼吸が乱れて、うまく息が出来なかった。頭が真っ白になって、目の前がぐらぐらと揺れる。
僕は米山と顔をあわせた瞬間、あの日の事を思い出した。親友は真っ青な顔をしていた。
「……っ」
「お、おい。冗談だろ、米山!」
ビールは一杯しか飲んでいなかった。ガシャガシャンと音をたてて、米山はテーブルに突っ伏した。胸をおさえて、苦しそうだった。
「……っ」
僕は立ち上がり、胃の中で何かがうねるよう不快な気分を味わった。転落死、心臓発作、交通事故。あの日から、ちょうど十年がたつ。
体がぶるぶると震えて、吐き気がした。口が乾いて、唾も飲み込めなかった。手足は痺れ、血液が流れるのをやめたみたいに、全身が冷たくなった。
「嘘だ! そんな約束してないっ! こんなの絶対に認めないっ。僕は、僕は……契約なんか絶対にしてないっ」
※
僕は力一杯、ランドセルを握っていた。長い間、ずっとここにいたみたいだ。汗がだらだらと流れている。
ここは、この場所は、あの通学路だった。耳元から甲高い声が聞こえた。
『いかがでございますかな。おっしゃるとおり、特別にプランをお見せ致しました。さあ、契約をしてくださいませ』
「……ゆ、夢だったの?」
息があがっていた。自分の心臓の鳴る音が聴こえるほどに、胸が震えていた。乾いた汗が冷たい風を受け止めた。
『夢と申しますか、未来と申しますか』
僕はゆっくりと振り向いて、足元の影をじっと見た。ずっと長く延びた黒い影。その深くには何かが確かに、僕を見ている。
「違うっ! 違う、全然違うっ!」
『では、こ……』
「違う!」
『なら、あ……』
「違う!」
『………』
「絶対に違う!」
『何も言ってませんが、約束がち……』
「ちがあああああああうっ!!」
僕は踵をかえして走り出した。当然ながら影はずっとすぐ後ろに付いてきた。何か怨みや妬みのような言葉をブツブツと話していた。
振り向く必要なんかない。僕は、分かっていた。死神はどうせ何も出来ない。
前を見た、前を向いて、前だけに向かって、僕は思い切り走った。明日に向かって、未来に向かって走った。
『お待ちください。それじゃ、手前の立場がありません。あの未来は手前が関係しております。そうでなければ、彼女も出来ず、親友も恩師も居ませぬぞ』
「ハッ……ハッ……安心したよ。自分の人生だもんな。僕は自分が成りたい自分になる」
家に帰って、煮物や野菜の汁を沢山食べるんだ。風呂でちゃんと疲れをとって、朝は早く起きよう。まずは、それからだ。
『いじめられて、馬鹿にされて、殴られてもいいのですか? 何一つ自分の思い通りにはなりませんぞ』
変えるんだ。僕は自分の力であんな未来は変えてやる。全国大会は優勝するし、鹿島先生は死なせない。
米山の心臓を大事にするし、京子だけに買い出しなんか、絶対させるもんか。確かに思い通りにはならないかもしれない。でも、でも、それでもいいんだ。
「それで当たり前だろ。何だって思い通りになる? それこそホラーだ」
僕は夕焼けの一本道を、家へと走った。そして大声で爺さんと婆さんに叫んだ。もうスマホもゲームもいらない。僕の将来は僕が決めるんだ。
ただいまーっ!!
ごはん、まだあ!!
死神は影の中で 石田宏暁 @nashida
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