苦くて、甘い、嘘。

@siriki

苦くて、甘い、嘘。

 並んで歩く彼と歩調が合う。

 偶然だろうか。

 それとも、彼が合わせてくれているのだろうか。

 私はそんな都合の良い妄想を振り払うため、小さく首を振った。


 

 恋になってはいけない。

 高校に上がり彼と初めて出会った時、そう思ったのを覚えている。

 彼が私に優しいのは、「私だから」ではなく、単に誰にでもそうだと気づいたからだ。もし好きになってしまえば辛い恋愛になると当時の私は予見していた。我ながら良い判断だったと、今になって思う。

 そこまでわかっていたのに、一体何がいけなかったのだろう。

 周囲が新たな出会いの花を咲かせる春に、一人種を撒いてしまった事だろうか。

 いや、多分私の最大の失態は、その種を自分で潰してしまった事だ。この「恋」が芽生えないように、念入りに、執拗に、私は潰し、隠してしまった。

 その時からだ。

 「友達」として彼の側にいると決意したその時から半年間、私は自分の気持ちに嘘をついて、生きている。


 

 恋になってはいけない。

 彼には好きな人がいるのだ。

 二ヶ月ほど前にそれを伝えられた時、彼とのチャット画面を映したスマホの前で、どんな顔をしていたのかは覚えていない。

 ただ蕩けるような暑い夏の日、流れ出るものを汗で誤魔化そうと、誰に向けてでもなく躍起になっていたのだけは覚えている。

 言い訳をするように自分に言い聞かせた。

 彼が恋愛相談をしてくれるほど仲良いって事じゃない。友達として嬉しいわ。

 そんな言葉の羅列で自分を騙して、私は今日まで私を繋いでいる。


  

 二日前に彼から連絡があった。深緑色のアイコンの横に通知マークがつくと、未だに胸が高鳴る。

 そんな自分に性懲りもなく、しまった、と思うのだ。

 連絡の内容は「告白して振られた」というものだった。

 私は画面の前で固まる。

 彼からは「好きな人がいる」としか伝えられていない。もしかしたらその相手は……。なんてくだらない私の期待は、こんな事後報告で呆気なく握り潰された。

 悲しい。友達が失恋して、凄く悲しい。

 そんな自分を演じながら、返信を作り上げていく。

「大丈夫?」

「残念だったね」

「また次があるって」

 薄っぺらい言葉をこれでもかと並べては、消す。わからなかったのだ。「友達」ならこんな時、なんて声をかけたら良いのかなんて。

 何度も何度も考える。

 この言葉で、彼を傷つけはしないか。

 この言葉で、私の隠した気持ちに、気づかれてしまいはしないか。

 ……この言葉で、私の印象が悪くなったりしないか。

 いつの間にかそんな卑しいことばかり気にしていた。

 画面に目を落とす。

「そっか……。明後日の放課後なら時間作れるけど、話聞こっか?甘いもんでも奢ってあげるからさ」

 そんな文面が出来上がっていた。

 結局、自分が彼との時間を過ごすことしか考えていない。

 ダメなんだ。周りを鑑みれなくなってしまう。

 だから、恋になってはいけない。いけないのに。


 

 レトロな煉瓦造りの駅の前にある大きな木。その下に設置されたベンチに座って、私は彼を待っていた。

 放課後話を聞くという私の提案を、彼は「俺も会って聞いてほしいと思ってた」と優しい言葉で快諾し、この場所で落ち合うことになったのだ。

 私は小さく息をついた。

 思えば、校外で彼と二人になるのは初めてだった。急に自分の半年間が酷く無意味なものであるように感じて、諦めなのか、自嘲なのか、自分でもわからないまま小さく鼻を鳴らす。

 吹き荒ぶ秋風以外に掃除人がいないのだろう。積もりに積もった落ち葉を踏み分ける通行人たちを眺めていると、彼は不意に現れた。

 遠くからでも彼の姿がわかるのは、きっと単純にスタイルがいいからだったりとか、背が高いからではないと思う。彼は私だけにわかる匂いみたいなものを出していて、どんなに遠くにいてもどこかで彼を感じてしまうようにできているんだ。

 私は目を伏せた。彼の「お待たせ」という言葉に、まるで今気がついたかのように顔をあげる。

「遅いよ」

 そんな言葉をぶっつけてやろうかと思ったが、ダメだった。息を深く吸って、浅く吐く。残った空気がつっかえのように胸に残って苦しくなる。

 ああ、ダメだ。やっぱり格好良い。

 私は精一杯の笑顔を顔に貼り付け、言った。

「お疲れ。とりあえず歩こっか」



「今日どこ行こうか探してたら良い店見つけたんだよね。どうしようもなく甘ったるいクレープ屋さん」

「いいね。どの辺?」

「こっから五分くらいかな。まあ、私に任せときなさいな」

 日が傾いて伸びた建物の影を歩きながら、そんな他愛もない会話を交わした。告白については触れられない。相手は誰なのか、どんな場所で、どんな言葉で、どんな想いで。

 それを聞く勇気があったなら、私はとっくの昔に彼に想いを告げている。そしてきっと優しい言葉で振られているのだ。

 並んで歩く彼と歩調が合う。

 偶然だろうか。

 それとも、彼が合わせてくれているのだろうか。

 私はそんな都合の良い妄想を振り払うため、小さく首を振った。

 決まってるじゃないか。


 私が、合わせているんだ。


 嘘なんてとっくの昔に暴かれている。潰したつもりの種は、いつの間にか私の心のど真ん中で淡いピンクの花を咲かせていた。



 そのクレープ屋はデパートの中にあった。私たちは各々好きなクレープを買い、近くにある長椅子に腰を下ろす。私が奢ると言ったにも関わらず、「話聞いてもらうわけだしね」と彼が財布を出した。

 結局、クレープ屋に着くまで彼の口から好きな相手の話は出なかった。ただ、その緩い笑顔に若干の硬さが混じっているように、私には見えた。

 しばらくは二人とも黙ってクレープを食べていた。美味しいと感じなくなるほど甘いそのクレープが、少しづつ思考の鮮明さを奪っていくのがわかる。

「でさ、相手は、どんな子なの?」

 気づけばそう口にしていた。

 聞いても傷つくだけなのはわかっているのに。

 彼は私の問いに遠い目をして見せた。その目にはきっと、私以外の誰かが映っているのだろう。少ししてから、大切なものを取り出すように彼が静かに口を開く。

「良い、人だよ」

 私は顔だけで笑った。

「わかんないよそれじゃあ。可愛い〜とか、綺麗〜とか、あるでしょ」

「んー」

 彼が困ったように唸る。

「本当に凄く良い人なんだよ。一緒にいて楽しい。あとは、そうだな。多分自分に正直な人だよ」

 そう話す彼の表情に光が宿ったのがわかった。素敵な人なんだと、それを見るだけで伝わってくる。

 それにしても。

 私は思う。

 自分に正直な人か。羨ましい。

 きっと、自分が撒いた種を最後まで育てられる人なんだろう。

 きっと、好きな人の横には「友達」としてではなく、「恋人」として立っていられる人なんだろう。

 きっと、私なんかよりずっと、彼にふさわしい人なんだろう。

 そう思うと、泣きそうになった。

 それでも、友達としてでも良い。私は彼の横にいたい。

「どうやって、告白したわけ?」

 少なくとも彼にだけは、最後までこの嘘を貫き通す。「友達」を、演じ切る。そう決意して、告白について掘り下げた。

 彼は物憂げな顔で言う。

「えっとさ、今日待ち合わせ場所にしたベンチあるでしょ」

「あるね」

「前にお前さ、ああいうとこで告白されたいって言ってたじゃん。だからあそこで、伝えた」

 私はどんな顔をしたら良いかわからなかった。

 自分の言ったことを覚えてくれたことを喜ぶ気持ちと、その場所を他の女性への告白に使われた虚しさが複雑に絡み合って心に居座る。  

 相当微妙な顔をしていたのだろう。彼は私の顔を見てクスリと笑うと、「まあ、振られちゃったんだけど」と付け加えた。

 私はなんとか掠れた声を絞り出す。

「あんたを振るなんて、勿体ない子だね」

「え?」

「なんでもない」

 口をついて出た言葉に自分でも驚き、慌てて誤魔化した。

 またしばらく、二人とも黙ってクレープを食べ続ける。

「ねえ、それで」

 自分のクレープを食べ終わり、私は甘みの残る口を開いた。

「誰なのよ。その相手ちゃんは」

 彼が白い歯を見せて笑う。

「やっぱ気になりますか、それ」

「当たり前でしょう」

 嘘だ。本当は聞きたくなんかない。

「わかったわかった。言うよ。俺が好きなのはさ」

 呼吸が浅く、早くなる。いやだ。やめてくれ。思わず固く、目を瞑る。

 

 だが、いつまで経っても彼の言葉の続きは聞こえて来なかった。

 恐る恐る目を開けて横を見る。彼は片手で顔を覆っていた。

「ダメだ」

 口を覆った手の向こうから、くぐもった声が聞こえてくる。

「なあ、ごめん。俺、嘘ついてた」

「嘘?」

「ああ、嘘。俺本当は……」

 彼はここで小さく間を取ってから言った。

「振られて、ないんだ」

 頭が真っ白になる。

 どう言うことだ?そんな嘘ついて何になる?疑問が脳内に浮かんでは、消える。

 だが、何よりも先に言うべきことがあった。こんな時「友達」なら……

「え、じゃあ付き合うの?良かったじゃん!」

 これが、正解。上擦ったその「正解」が他人の声のように耳から入ってきて、私の心を締め付ける。

 だが彼はこちらを見て申し訳なさそうに小さく笑った。

「いやごめん、違う。そもそもさ、告白自体してないんだよ」

「え?」

 もう、訳がわからない。

「なんでそんな嘘ついたの?」

 辛うじてそう口に出した。

 彼はただまっすぐこちらを向いて言う。

「んーと、俺の好きな人はさ、自分に正直なんだよ。楽しい時は心から笑うし、悲しい時も笑うんだけど、本当の気持ちがバレバレ。正直ってより、多分自分に嘘つけないんだな。隠してるつもりなんだろうけど全部顔に出ちゃうし、なんなら口にも出ちゃう」

 そう話す彼の目は、もう遠い目をしていない。しっかりと私を捉えている。視界が潤んで、彼以外が溶けていく。

「そのくせ変に勘が鋭かったりするからさ、二人きりで呼び出したりしたら告白しようとしてるのがバレるかもしれない。だから、恋愛相談って形で呼び出すために、嘘ついたの」

 彼は立ち上がって、今日一番の笑顔を見せた。甘ったるいクレープの味が、いつの間にか心の中まで甘く染めている。

「あの木の下のベンチで告白されたいんだよね。ちょっと歩こうか」


 並んで歩く彼と歩調が合う。

 偶然だろうか。

 それとも、私が合わせているのだろうか。

 いや、今の私にそんな余裕はない。

 駅前まであと五分。嘘みたいな五分間だった。

 

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