ガエターノ・ドニゼッティ
ネコ エレクトゥス
第1話
音楽史で言うところのロマン主義時代、19世紀初頭に活躍したイタリアの作曲家ガエターノ・ドニゼッティ。僕が今まで聞いた彼のオペラ中の小歌曲はいずれもイタリアの作曲家らしい情感にあふれ、素晴らしいものだった。それで彼の作品を通して聴いてみたいと思っていたのだが、やっとその機会に恵まれた。ただその感想は?
「もう一度聞きたいとは思わない。」
もっと正確に言うならば、廃墟の中を彷徨っているような感じだった。
あれだけの小歌曲を作る人の作品が何でこんな印象を与えるのだろうか。19世紀が生んだ音楽界の巨人リヒャルト・ワーグナーはドニゼッティの作品をこう評したという。
「大きなギター。」
この言葉と僕の感じた印象は関係があるのだろうか。そしてあれだけの歌曲を作る人間が今日ほとんど評価されず聞く人も少ないのはなぜなのか。
例えば僕の大好きな作曲家グスタフ・マーラーの若い時の作品は非常に印象的なところが多いのだが、若い作曲家の過ちとして情報量を詰め込みすぎる。その結果全体として乱雑な印象を与える。それとは違ってドニゼッティの作品はなぜかスカスカなのだ。それがワーグナーの言うところの「大きなギター」の意味するところだった。この言葉は現代的に言うならこう言い換えてもいいと思う。
「拡大コピー。」
小曲を作ることにたけていたドニゼッティだがそれを大きな曲として組織する能力には欠けていた。彼にできたのは小曲を拡大するだけであった。僕が感じた廃墟の中を彷徨っているような印象というのはつまり、その拡大コピーによって生まれた隙間を意識させられたせいであった。
彼の生きたロマン派という時代は、同時代人のベートーヴェンを見てもわかるように大きな交響曲、大きなオペラを作ることが作曲家に要請された時代でもあった。その中でドニゼッティのように小曲を作る才能しか持たず時の流れの中で消えていった作曲家は他にもいたのかもしれない。
もし彼が一世紀以上前、ルネサンスやバロック時代、必ずしも巨大な曲を作ることを要請されない時代に生まれていたら、もっと彼の名は時代の中で輝いていたのではないか。そうじゃなければ僕らの時代、もう巨大な曲を作ることに何の意味も持たない時代に生まれていたのなら偉大なヒットメイカーになっていたのではないか。
いずれにしても彼の残した小歌曲が優れたものであるには変わりない。それらはこれからも歌い継がれていくのだろう。
ガエターノ・ドニゼッティ ネコ エレクトゥス @katsumikun
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