あの日を
瑠音
あの日を
「……んんっ……。」
カーテンの隙間から入ってくる日差しと、小鳥のさえずり。眠い目を擦りながら、枕の上の方に手を伸ばし手探りでスマホを探す。
「9時かぁ」
スマホを手に持ったまま、うーんと伸びをすると隣に目を移す。
彼の姿はない。
「そういえば今日は早番だった」
明け方、私の頭を撫でて、何かを呟いてから出て行ったんだった。寝ぼけててよく分からなかったけど。
重たい体を起こし、カーテンを開けて部屋の中に日差しを入れる。あまりの眩しさに思わず目を細める。
「……良い天気だなぁ。」
せっかくの良い天気なので、どこかに出掛けようかとも考えたが、彼が早番で頑張っている訳だし、何か美味しいものでも作ろう。
そうだなぁ……好物のハンバーグとかどうかな?
うん。きっと喜ぶはず。
そうと決まれば行動が早いのが私だ。
薄く化粧をし、髪の毛を整えると、すぐに家を出る。
***
住んでいるマンションの向かいにあるスーパーに辿り着いて気がつく。
……そういえば冷蔵庫の中身確認してこなかったな。何があって、何が無かったのか全く覚えていない。
まあ、とりあえず材料全部を買っておこう。玉ねぎや卵はよく使うからすぐに無くなるだろう。
必要な物以外は買わずに、すぐに買い物を済ませるのが私のやり方なので、かごにどんどん材料を入れ込んでいく。
玉ねぎ、合挽き肉、卵にパン粉……。あとは、ケチャップで良いかな?
それから、これもこだわりなんだけど、毎日同じレジの人のところに並ぶこと。別に、話をするわけでも、その人が好きな訳でもないけど、変なこだわりなんだよね。
「いらっしゃいませー。」
そう言ってかごを受け取った中年のおばさん。そして、かごの中身と私の姿を見るとあからさまに変な顔をしていた。
何……その反応?
私にハンバーグなんて作れないとでも言いたいの?
少し気分が悪くなって、お金を払うとレシートも受け取らずにかごを思いきり引っ張った。
乱雑に袋に買ったものを詰めると、すぐにお店を後にする。
明日から、レジ変えようかな……。
***
家に帰ると、ドキドキしながら冷蔵庫を開ける。そして、私は驚いた。
野菜室には、大量の玉ねぎ。チルド室にも、使いかけの合挽き肉が4パック。ケチャップも、パン粉も戸棚の中にたくさん入れてあった。
こんなにあったのか。きちんと確認していれば買い物に出て嫌な思いをする必要も無かったのに……。
「……はぁ。」と深くため息をつくと、私は再びベッドに転がり込む。
「……何か損した気分……。」
そのまま私は目を閉じた。
***
昼寝をしてしまったことで、あっという間に夕方になってしまった。早くしないと、彼が帰ってきてしまう……!
驚いた顔を見たいから、作った状態で彼を迎えたいと思っていた私。飛び起きると、すぐにハンバーグ作りに取りかかった。
何とか彼が帰ってくるまでに作り終えたが……待てど暮らせど彼は帰ってこない。
残業しているのだろうか?
仕事熱心な彼だ。ありえない話ではない。
目の前ですっかり冷めてしまった料理を見ながら、私はボーッと彼の帰りを待った。
それでも彼は帰ってこない。部屋に響き渡る時計の音が、私の気持ちを不安にする。
外はすっかり暗くなっているし、スマホを見ると21時と表示されていた。
あまりに遅すぎる……。
さすがに心配になって、彼に電話をかけようと決心する。仕事中に連絡をするのは、あまり好きではないのだが、今回は仕方ない。
通話ボタンを押し、コール音が鳴る。
……1回……2回……3回……
『──おかけになった電話は現在使われておりません。』
「…………えっ?」
あまりの衝撃に、私は思わず声を出していた。開いた口が塞がらないとはまさにこの状況を言うのだろう。
とにかく訳が分からないまま、私は母親に電話をかけていた。
『……もしもし。』
「──あ、もしもしお母さんっ!?ねぇ、大変なの!!彼が帰ってこないのっ!!早番で出ていった筈なのに、今の時間になっても帰ってこないのよっ!?」
『ちょっと落ち着きなさい。』
「それにね、携帯電話も繋がらないのっ!!おかけになった電話は現在使われておりませんって……!!きっと彼に何かあったに違いないわ!!」
『ねぇ、お母さんの話聞いてる?』
「どうしたら良いと思う!?警察に連絡した方が……いや、まずは会社まで行ってみた方が良いの──」
『──しっかりしなさいっ!!!!』
母親の怒鳴り声で、私はようやく母の言葉を聞き取ることができた。
私が黙ったところで、母はゆっくりと話し始める。
『……良い?よく聞きなさい。あんた、電話をかけてくるのもう5回目よ。』
「…………へ?」
『……あなたの彼は、2週間前に亡くなったの。早番で出て行った朝、電車のホームに飛び降りて、自ら命を絶ったのよ。遺言も見つかった。』
「……嘘よ。彼がそんなことするはずない……。だって、彼はあの朝私の頭をいとおしそうに撫でて……」
そこまで言ってようやく気がつく。
私は今、自分であの朝と表現した。彼はあの朝……いとおしそうに私の頭を撫でて……
『元気で。』
ポタポタと涙が溢れてくる。
彼は帰ってこない。
もう二度と……。帰ってくることはない。
それを分かっている筈なのに……私は毎日あの日を繰り返す。
そうしていれば、彼が戻ってくるのではないかと思って……何度も何度も繰り返す。
レジのおばさんが変な顔をするのも当たり前だ。
毎日、同じものを買いにやって来て、毎日ムスッとした顔で私が帰っていくからだ。
冷蔵庫の中に溜まったお肉や野菜。戸棚に溜まったパン粉やケチャップもそう。
毎日同じ買い物を繰り返すからだ。
電話が繋がらないのも当たり前だ。
彼はこの世に存在しないのだから。
『……あんた本当に実家に帰ってくる気はないの?どうせ、また明日も同じことを繰り返すんでしょう?もう、狂ってしまってるのよ。一度帰ってくれば良いじゃない。ねぇ──』
プツッ……。
反射的に電話を切る。
そして、目の前ですっかり冷めてしまった二人分の料理を口に入れる。味なんて全く分からないけど、ひたすら口に入れ込む。
その間も涙は溢れて止まらなかった。
そして、ハンバーグを作った証拠を消すようにして、洗い物をきちんと済ませる。
毎日同じことを繰り返していれば、彼に会えるのではないかと思って……彼が自ら命を絶った理由が分かるのではないかと思って……私はあの日を繰り返す。
そうでもしないと、気持ちが押し潰されてしまいそうだ。
静かに布団に入ると、彼が寝転ぶスペースを開けて私はそっと目を閉じた。
「おやすみなさい。」
あの日を 瑠音 @Ru0n
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