第6話 本心がどこにあるかなんてわからない。

 蘇る思い出。

結衣にとって初めての恋。

初めての彼氏。

初めて知った人を愛しいと思う感情。

それは全て彼方が教えてくれた。


「別にさ、隠すようなことは何もなかったの。半年で別れた後、私が転校したから全く連絡取ってなかったし。話に聞いてた奈緒の彼氏が、まさか彼方だなんて思ってもみなかったから正直驚いた」


 冷めた珈琲を口に含む。

珈琲の苦味が胸の奥にも広がっていくような気がした。

葵はただ黙って聞いている。


「彼方が先に言ったんだよ、『はじめまして』って」


 彼方は結衣との過去をなかったことにした。

そんな彼方を卑怯だと感じてしまった。

結衣にはそんなことを思う資格はない。

あの日、先に逃げたのは結衣の方だ。

だけど彼方の時間は確実に過ぎていて、結衣はまだ止まった時間の中にいたのを思い知らされた気がした。


「でも、結衣ちゃんも彼方を否定しなかった。彼方が結衣ちゃんとのことを隠した理由も察してたんでしょ?」


 葵は結衣の後ろめたさを見透かすように言う。

確かにその場で否定することだって出来た。

でも、結衣もそれをしなかったのだ。


「私が事故に遭ったこと、彼方は責任感じてるから」


 結衣は右足に視線を落とす。

不自由な足、そうなったのはまだ彼方と付き合っていた頃だった。


「別に彼方が責任感じることじゃなかった。でも、そうさせたのは私なんだ」


 彼方がとっさに結衣とのことを言えなかったのはきっと、結衣のせいだと思う。

だから、結衣も否定できなかったのだ。


「このままじゃダメだよね」


 本当の事を話しても彼方と奈緒はダメになってしまうかもしれないし、奈緒とはもう友達に戻れないだろう。

それでも、もうこのままじゃダメだ。


「結衣ちゃん。俺は結衣ちゃんの味方だからね」


「――どうして?葵くんは彼方と友達でしょ?」


「言ったでしょ。『俺はまんざらでもない』って」


 目があうと葵は口の端を上げて不敵な笑みを浮かべる。

さっきまで真剣に聞いてくれていたのに、すぐこれだ。 

本心がどこにあるかなんてわからない。


「いつでも相談してよ」


 葵はそう言うと、次の授業に出なきゃいけないと行ってしまった。



 次の日――。


「奈緒、ちょっといい?」


 授業が終わるタイミングで奈緒に声をかけた。

次のコマはふたりとも授業はない。

今なら話す時間もあるだろう。


「……急いでるから」


 奈緒は結衣の横をすり抜けて、教室を出ていく。

結衣が追いかけてきたのに気づいて奈緒は歩くスピードを上げた。


「奈緒、待ってよ!」


 いつもの結衣なら追いつけないスピードだ。

だけど結衣は追いかけた。

右足に痛みが走るのにも構わずに。

強い痛みに力が抜けそうになる。

それでも止まらない。

普段走らないせいか、息が切れて苦しい。


 奈緒は階段を駆け下りた。

階段なら結衣が着いて来れないと思ったのだろう。

でも――。

結衣は階段に足をかける。

右足を降ろした瞬間、すでに限界を超えていた結衣の右足は力を失くした。

そのままの勢いで前に投げ出される。


「結衣!」


 振り返って叫ぶ奈緒と、目があった。


 フワリと身体が浮く。

――車に跳ね飛ばされて、地面に叩きつけられた。

あの日の事故と同じ浮遊感。

周りがスローモーションのように見えたのも同じだった。

思わずギュッと目を瞑った。

脳裏で奈緒とあの日の彼方の姿が重なる――。


 だけど、次にくると思っていた衝撃はこなかった。

結衣は恐る恐る目を開けた。


「あっぶねー。ギリギリセーフ?」


 思いの外、すぐそばから声が聞こえた。

いつも飄々とした彼のいつになく焦った声。


「あ、おい、くん?」


 階段から落ちかけた結衣を支えていたのは葵だった。

そのまま力の抜けた結衣を階段に座らせて、支えになってくれている。

 気が抜けて激しい痛みが結衣を襲う。

事故のフラッシュバックと激しい痛み、さらに全力で走ったせいで息ができない。

ゼイゼイと荒い呼吸の音が漏れる。


「な、お……」


 絞り出すようにその名を呼ぶ。

奈緒は戸惑ったように立ち尽くしている。


「結衣ちゃん、とりあえず医務室行こう」


 葵はひょいと結衣を抱き上げる。

そのまま振り返って奈緒に向き直った。


「奈緒ちゃん、結衣ちゃんの荷物持ってよ」


「えっ……。でも、あたしは……」


 奈緒は一緒に行くべきか迷っているようだった。

だけど、葵が静かに言う。


「結衣ちゃんはちゃんと向き合おうとした。なのに、まだ逃げるの?」


 奈緒は目を見開いて、結衣を見る。

葵は先に歩き出した。

奈緒が一緒に来ているか、結衣にはもうわからない。


 医務室に着いて、ベットに降ろされた結衣はそのまま倒れ込む。

痛くて、苦しくて何も考えられない。

強く目を閉じると脳裏にあの事故の日が浮かぶ。

強い衝撃、浮かび上がった身体、激しい痛みと共に地面に叩きつけられる。

動かせない身体から流れる血液が視界を赤く染めた。


「結衣!しっかりして!」


 身体を揺さぶられて我にかえった。

目の前に奈緒がいて、心配そうに見ている。

ここは大学の医務室だ。

あの日じゃない――。


「ごめん……大……丈夫」


 結衣はゆっくりと息を吐き出す。

今もまだあの事故に囚われている。

痛みや恐怖。

そして――罪悪感。自己嫌悪。

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親友の彼氏は、私の元彼!? 結羽 @yu_uy0315

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