第5話 それは大切なものが壊れていく痛み。

 次の日、一限から授業がある結衣は大学に来ていた。

奈緒と共に取っている授業なので、いつもはカフェテリアの前で待ちわせていた。

しかし、そこに奈緒の姿はない。

奈緒は足が不自由な結衣を待たせないため少し早めに来てくれていることが多い。

結衣は壁にもたれ、右腕にはめた杖を見た。

正直、長時間立っているのはつらい。

無意識に右足を庇っているせいか、左足にも負担がかかってしまう。

そうなると立っていることもつらくなる。


 奈緒は早めに来て先に講義室に入っているのか、それとも授業に出ないつもりなのか。

わからないが結衣はギリギリまで待ち合わせ場所で待っていることにした。


 昨日、奈緒を追いかけていった彼方。

ふたりがちゃんと話をしたのかは知らない。

彼方から連絡はなかったし、結衣も連絡していない。

ただ奈緒がここにいないことが答えな気がした。


 授業が始まる直前なので、人通りが多い。

喧騒の中、行き交う人をなんとなく見ていた。

探し人は来ない。

時間になったので講義室に入ると、真ん中近い席に奈緒が座っているのが見えた。

やはり先に来ていたのだろう。

結衣を避けるということは、彼方とも話をしていないのだろう。

結衣はゆっくりと奈緒に近づいた。


「おはよう、先に来てたんだ」


 何気なくを装い結衣は奈緒の隣に座った。

奈緒はチラリと結衣を見たけれど、何も言わず前を見たままだ。


「彼方と話した?」


「『彼方』、ね」


 奈緒の前では名前で呼ばずにいたが、今更取り繕うのも変だ。

当てこするように言う、奈緒の気持ちもわからなくはない。


「彼方とは高校の同級生だったんだ」


「ただの同級生なら隠す必要ないでしょ」


 奈緒は立ち上がり、席を移動する。

結衣から離れた席に。

奈緒は聞く耳を持たず離れていってしまった。

この様子だと彼方に対しても同じ態度だったのだろう。


 それからも奈緒は結衣のことを避けていた。

奈緒はわざと階段を使ったり早足で行ってしまうため、足の悪い結衣には追いつけない。

今日も離れた席にいる奈緒を遠く見る。

このまま離れてしまうのだろうか。

LINEの既読もつかないままだ。


「奈緒とケンカでもしたの?」


「まぁ、ちょっとね」


 共通の友人もふたりの状況を気にかけて声をかけてくれるが、言葉を濁すしかない。

共通の友人といっても、もともとは人付き合いの多い奈緒を通じて知り合った友人がほとんどだ。

奈緒に距離を置かれている今、結衣はひとりで過ごすことが多かった。


 いつものカフェテリア。

メニューを眺めても食べたいものが見つからない。

珈琲だけを頼んで席に座った。


 足が不自由になってからどうしても誰かといると気を使ってしまう。

どこへ行くのも何をするのも不便で気を使われるたび他のみんなと違うことを思い知らされる。

だったらひとりでいた方が良い。

だんだん友達付き合いも億劫になっていた。


「……ちゃん。……結衣ちゃん」


 呼ばれていた名前に顔をあげると目の前に葵が立っていた。

考え事をしているうちに手元の珈琲もすっかり冷めている。


「さっきから呼んでたんだけど、大丈夫?」


 葵が心配そうにのぞき込んでいた。

ずっと呼んでくれていたのに気づいてなかったようだ。


「ごめん。ボーッとしてた」


「何かあった?」


 葵は椅子を引いて、結衣の向かいの席に座った。

真っ直ぐに結衣を見る。


「別に何もないけど」


 見ていられなくて思わず目を逸らす。

冷たくなった珈琲が揺れる。


「彼方と奈緒ちゃんあんなに揉めてるの初めてだし、結衣ちゃんも絡んでるんでしょ?」


 ただふたりのケンカなら奈緒と結衣が一緒にいないのもおかしい。

それでなくても葵は結衣と彼方の関係に感づいていたのだ。

ふたりのケンカに結衣が絡んでいることは容易に想像つくだろう。

否定する気にもなれず、結衣はただ黙っていた。


「あのふたり、結構深刻。このまま別れちゃうかもよ。奈緒ちゃんともこのままでいいの?」


 チラリと葵が結衣の表情をうかがっていることがわかる。

結衣だってふたりの関係を壊したかったわけではない。

ズキンと足が痛む。

それは大切なものが壊れていく痛み。


「結衣ちゃんと彼方はお互いのこと、知ってたんでしょ?」


 葵の言葉に思わず顔を上げる。

その瞳は確信に満ちていた。

結衣は観念したようにため息をついた。


「そうだよ。高校の同級生だった」


「それだけじゃないよね?」


「付き合ってた。まぁ、たったの半年ぐらいだけど」


 結衣にとって人生で一番幸せだった半年間。

自由な足でどこにでも行けた。

隣にはいつも彼方がいた――。

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