最終話 行きて帰りし話
皇帝を押さえている以上、帝国軍に抗戦を主張するものはもういない。同様に、ヴァレンティナが屈服した以上、皇国軍に矛を向けようというヴァレンティナ派の兵士も居なかった。皇国軍は、完全なる勝利を手にしたのだ。
皇帝捕縛の報はあっという間に帝国本国に伝わり、宮廷は新たな皇帝を決めるための権力闘争のるつぼと化した。和平交渉は難航したが、帝国にはもはや外征を行うだけの余力は残っていない。むしろ、これから起こるであろう内乱に備え、可能な限り戦力を温存する必要があった。
そこに付け込んだのが、皇国代表の一人として和平交渉に参加したディアローズである。彼女はその明晰な頭脳を生かし、のらりくらりと躱し続ける帝国外交官たちを一人残らず論戦で叩き潰した。
「貴様には恥という概念がないのか」
帝国の次期皇帝でありながら皇国に寝返り、挙句の果てに和平交渉にまでしゃしゃり出てきたディアローズに対して帝国の外交官たちは渋い表情を浮かべて罵倒を飛ばしたが、彼女はどこ吹く風だった。
せっかく戦争が終わったのだ。出来るだけ早く仕事から解放され、愛する男とただれた生活を送りたい。その一心で机の上の戦いを続けた彼女の活躍により、皇国は多額の賠償金に向こう半世紀の不可侵条約、おまけに領土の一部割譲まで勝ち取った。
長きにわたる戦争に倦んでいた民衆は、これを諸手をあげて歓迎した。皇都は祝賀ムードに包まれ、連日連夜の戦勝パーティーが開かれる。それに毎度のように付き合わされたのが、救国の英雄と化してしまった輝星だった。
「もう勘弁して……」
二週間連続でパーティーに参加させられた輝星は、そう言い残してしばらく寝込んでしまった。今まで経験したどんな戦闘よりも辛かったというのは、本人の弁である。結局、彼が自由の身になったのは、終戦から一か月もたってからのことだった。
「はあ……」
ため息を吐きつつ、輝星は大きく伸びをする。目の下には、薄くクマができていた。彼は片手でキャリーケースを引き摺りながら、下町の大通りを歩いていた。
「ふぅん?」
ふと立ち止まり、道端の露天の前でしゃがみ込む。ゴザの上に並べられた手作りらしいアクセサリーを眺めながら、小さく唸る。
「どうした、欲しいのか?」
そう聞いたのは、彼の後ろを歩いていたディアローズだ。彼女は旧式の軍用コートを羽織り、やたらと大きな旅行バッグを抱えている。一目で旅装とわかる格好だった。
「どうしようかな、悩んでる」
「お客さんなら、どれでも似合いますよ」
店主の少女が、もみ手をしながら言う。その目つきには、客に向けるもの以上の媚びが含まれていた。
「彼女さんですか? こういう時は、全部買ってあげるのが甲斐性ですよ?」
一転して、彼女は挑発的な目でディアローズを見つめた。彼女は腕組みをし、ふんと大きく息を吐く。
「
「ええ……」
少女の目つきが、とんでもないクズを見るものへと変化した。ディアローズはにやにやと笑い、続ける。
「これほど
輝星が無言でディアローズの膝を蹴った。付き合いも長くなってきたせいか、その態度はひどくぞんざいだ。しかし彼女は至福の表情を浮かべ、「あふん」と熱い息を漏らした。
「自分用じゃなくて、姉へのお土産ですよ。里帰りするんです、久しぶりにね」
「あらま。ウチで商ってるのは、ほとんど男の人向けのヤツなんですけどね」
ディアローズのことは虫をすることにしたらしい少女が、殊更に驚いた様子で答える。
「ま、大丈夫ですよ。こういうのたぶん好きだし……」
実の姉とはいえ、数年以上あっていないのだ。輝星の声は自信なさげだった。そんな彼になんと声をかけようかと少女が思案していた時だった。
「うわっ!?」
突如として走り寄ってきた大柄な女が、輝星を片腕で掴み上げた。そのまま彼を小脇に抱え、全速力で走り始める。
「ああ!? おいっ!!」
ディアローズが慌てて追いかけたが、どこからともなく現れたチンピラが彼女にタックルをかました。横手からそれをもろに食らった彼女は、結構な距離を吹っ飛ばされる。
「うわあああっ!」
ディアローズの悲鳴を聞きつつ輝星は全力で抵抗したが、ヴルド人の膂力に敵う道理はない。結局、彼はそのまま連れ去られてしまった。
「流石に撒いただろ」
十分後。人さらいはそう呟いて、輝星を地面に転がした。輝星は呻きつつ、周囲を見まわす。人気のない裏路地だ。なんとか逃げようと体を起こすが、人さらいが彼の襟を掴み、強引に地面に押し付けた。それだけで、輝星は身動きが出来なくなる。
「な、なんです、あなた達……」
輝星の疑問に、人さらいは答えなかった。その代わりに、顔をぐっと近づけてくる。
「すげぇ上玉だな。こりゃ高く売れそうだ」
どうやら、営利目的誘拐らしい。戦争が終わったとはいっても、皇国の治安は回復したとは言い難い。この手の
「ちょっと待ってくださいよ。その前にちょっとばかり役得にあずかっても、バチは当たらないんじゃないんですか?」
そんなことを言い放ったのは、人さらいの手下らしきチンピラである。この言葉は手下たちの総意らしく、彼女の他の三名もウンウンと頷いている。
「そりゃあ当然な? けど、一番手はアタシだ。わかってるよな?」
「へへっ! 流石姉貴、話が分かるぅ!」
手下たちが歓声を上げた瞬間だった。弾けるような銃声が、裏路地に鳴り響いた。
「うわっ!?」
肩口を撃たれた手下の一人が、傷口を押さえながら地面に転がる。慌てて人さらいが銃声のした方に目をやると、そこに居たのは拳銃を構えたシュレーアだった。彼女は白煙の上がるリボルバー拳銃を握ったまま、大声で叫ぶ。
「制圧! せいあーつ!」
号令と共に、大量の女たちが人さらいの一味へと襲い掛かる。刀を構えたサムライに、赤髪ポニーテールの騎士。二丁拳銃の少女に、マシンガンを抱えた貴族っぽい女まで。おそろしく濃いメンツだった。
「うわーっ!」
「痛めつけるのは結構ですが、殺さないように! 薄汚い死体を見せて輝星の気分を害するのはよろしくありませんからね」
数でも質でも劣る人さらい一味に、勝てる道理などありはしない。あっという間に制圧され、ボコボコにシバきあげられるチンピラ共を見ながら、シュレーアがそう宣言する。
「大丈夫かい、我が愛」
そう言って輝星に手を差し出したのは、ヴァレンティナだった。「なんとか」と答えつつ、輝星は彼女の手を取って立ち上がる。フライトジャケットとジーンズについた土ぼこりを払いつつ、ヴァレンティナの首元をちらりと見た。
「気になるかい? これが」
彼女の首には、ディアローズと同様のデザインの首輪が嵌まっていた。当然、機能面も完全に同じものだ。輝星の持つスイッチ一つで、彼女の首は吹っ飛ぶという寸法である。
「まあね……わざわざそんな物騒なもの、着ける必要があったのかなって」
「ケジメのようなものさ」
まったく気にしていない様子で、ヴァレンティナはそう言い切る。結局彼女は帝国に戻らず、皇国の客将となる道を選んだ。この首輪は、彼女自身の要望によるものだ。一度は輝星やシュレーアを裏切ったのだから、保険をかけておく必要がある、というのが彼女の弁である。
「それに、姉上とペアルックというのも、まあ悪くはないさ」
そう言って笑うヴァレンティナの表情は、ひどく晴れやかなものだった。肩の重荷が降りたと言わんばかりの様子だ。
「いやあ済まぬ済まぬ。応援を呼んでいたら、遅くなってしまった」
当のディアローズが、後頭部を搔きながら現れる。
「自分が責任をもって護衛するとディアローズは言っていたハズ。そのあげくがこれ?」
痛烈な口調でディアローズを批判したのは、大型の狙撃銃を抱えたリレンである。彼女は元から鋭い目つきをさらに険しくして、元帝姫現奴隷の金髪女を睨みつける。
「その通りです。せっかくの婚前旅行だというのに、いきなりケチがついてしまったではありませんか」
「いや、ははは……」
シュレーアまで責めてくるものだから、ディアローズは笑って誤魔化すしかない。
「後でしっかりオシオキするデス。任せてください」
ロープでグルグル巻きにされ、ぐったりとした人さらいを拳銃の銃口で突っついていたノラが、ひどく物騒な笑みを浮かべて言った。
「お仕置きはご主人様にお願いしたいのだが!」
「それはむしろご褒美なのではないか?」
ため息を吐きつつ、テルシスが言う。
「ご褒美なら、むしろわたくしたちが貰いたいところですわね。こうして華麗に救出して差し上げたわけですし!」
エレノールが、その豊満な胸を張りながらふんすと鼻息荒く言い放つ。
「馬鹿言え! お前は昨日の夜楽しんだばっかりだろうが! 順番は守れよ! 今夜はあたしだ!」
渋い顔をしながら、サキが文句を言う。
「今日からしばらく船旅だっていうのに、遠慮する気はないみたいだねー? お盛んなのは結構だけど、輝星の健康が第一だからねー?」
そのサキをけん制するのは、フレアだ。裏路地には、輝星が結婚する予定の女たちが勢ぞろいしている。そのあまりの数に、彼は軽い頭痛を覚えて頭を押さえた。
「まったく、あの女どもは……輝星さん、どこかけがを?」
「いや、何というか……俺、生きて故郷の土を踏めるんだろうかって」
「さ、最悪あの色情狂どもは殴ってでも止めますので、ハイ……」
お前も大概だよ、という目つきで輝星はシュレーアを睨んだ。戦争というタガが外れたからか、あるいは婚約を公表したからか、すっかり彼女たちは己の獣欲を発露することに躊躇しなくなっていた。夜が来るたび、輝星の居室に誰かが忍び込んでくるのである。彼はすっかり疲労困憊になっていた。
「とにかく、せっかく義姉上に結婚の御挨拶をしに行くのです。あまり無様な姿を見せてはいけませんよ」
半目になったシュレーアの忠告に、女たちが思い思いの言葉で答える。輝星は小さくため息を吐いた。
戦後処理のゴタゴタがずいぶんと片付いて来たため、輝星はいったん故郷に帰ることにした。それは結婚の報告のためであり、また、実家の家族を己の結婚式に招くためでもあった。
自身の近況については、ある程度手紙で知らせてはいる。しかし、さすがに複数の女性と結婚することになったというのは、流石に書けなかった。実家に帰ったら、いったい何と説明しよう? そう考えるだけで、輝星の気分は無限に重くなっていった。
「さて! この痴れ者どもを警察に引き渡しに行きましょう。船の準備はできていますから、そのまま港へ向かいますよ!」
そんな彼の心情を知ってか知らずか、シュレーアはひどく上機嫌な様子で輝星を促す。彼はもう一度ため息を吐いてから、小さく笑う。
「まったく、傭兵を続けてた方がよっぽどいい死に方が出来たかもしれないな」
言葉とは裏腹に、彼の表情はどこか幸せそうなものだった。
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