第二百九十九話 ヒーローは遅れてやってくる

「……こうまでしたんだ、わたしから逃げられると思うなよ……!」


 こちらを睨みつけるヴァレンティナの目には、妄執じみた色があった。さんざんに罵倒されたあげく腹にいいのを一発喰らったのだから、流石に彼女も思うところがあるのだろう。


「は、話せばわかる」


 暴力的手段では勝ち目がない。逃げたところで相手は人型の猛獣といっていい生き物だ。三十秒以内につかまる自信がある。と、なればもはや説得以外に取れる方法はない。


「悪いね、我が愛。今のわたしはたとえキミが相手でも話し合いをしたい気分じゃあないんだ……!」


「でしょうね!!」


 ディアローズにさんざん口で負けた直後である。慰めの言葉以外は貰いたくない気分になっているだろう。輝星は顔を引きつらせながら叫んだ。


「ひどくむしゃくしゃした気分だ……なあ、我が愛。どうか抵抗しないでくれ。その方がキミのためにもなる……」


 青い顔のまま、ヴァレンティナはじりじりと輝星ににじり寄り始めた。獲物を見定めた肉食獣の動きだ。万事休すという言葉が、輝星の脳裏に万事休すの文字が浮かぶ。

 ゆっくりと、両者の距離は縮まっていく。輝星は逃げられない。逃げようとした途端、ヴァレンティナが飛び掛かってくるのが分かり切っているからだ。


「いい子だ……」


「ひぇ」


 ヴァレンティナが、輝星の両肩を掴もうとした瞬間だった。


「せいやあああああっ!!」


 勇ましい叫びとともに、何者かが天井から急降下してきた。シュレーアだ! 彼女は背中に背負った個人用スラスターを全開にしながら、ヴァレンティナに強烈な飛び蹴りを仕掛ける。


「ぐわーっ!!」


 完全な奇襲である。すっかり油断していたヴァレンティナに、これを回避できる道理はない。モロにキックを喰らった彼女は、盛大に吹っ飛ばされた。

 破壊的な音と共に壁に叩きつけられるヴァレンティナを油断なく睨みながら、シュレーアは逆噴射をかけつつ輝星の前に着地する。


「輝星! 無事ですか? 遅れました、申し訳ない!」


 ヴァレンティナから目を離さないまま、鋭い声でシュレーアが聞く。輝星は息を詰まらせながら、何度も頷いた。


「……だ、大丈夫。でもディアローズが」


「あんなものはツバでもつけておけば治ります! 問題なし!」


 鼻血を出したまま気絶しているディアローズに、シュレーアは辛辣な言葉を投げかけた。しかし、輝星からは見えないものの、その表情からは素直な称賛がうかがえる。


「とはいえ、わが友ディアローズをこのような目に合わせた貴方には、それなりのケジメを着けてもらう必要があります」


 そう言いつつ、シュレーアは腰のホルスターから旧式のリボルバー拳銃を抜く。撃鉄に親指をかけ、そっと引き上げた。銃口を、ピタリとヴァレンティナにむける。


「ぐ……」


 その様子をみながら、ふらふらとヴァレンティナが立ち上がった。流石の彼女もすでに限界が近いようで、随分と足元が妖しい。ここが重力下ならば、立ち上がれなかったかもしれない。


「く、くそ……」


 反射的にホルスターに手を当てる彼女だったが、当然そこには何も収まっていない。憎々しげな目つきで、シュレーアを睨みつけた。


「その携帯スラスターだけでここまでたどり着いたのか……!?」


 リュックサックのように背負うタイプの個人用スラスターは、ストライカーのコックピットに標準装備されている。しかしその推進剤容量は非常に少なく、あくまで緊急用のものだ。

 この廃戦艦は、二人の機体が撃破された地点からかなり離れたところにある。普通ならば、到着前に推進剤が切れてしまうだろう。


「"ミストルティン"に最後の奉公をしてもらいました。一定方向にスラスターを噴射するくらいなら、なんとかまだできましたからね」


「くそっ……あそこで殺しておけばよかった!」


 ヴァレンティナは、ひどく悔しそうに吐き捨てた。


「泥棒が……ヒーロー気取りか!」


「おや、ネタばらしはすでに終わっていましたか」


 悪びれた様子もなく肩をすくめるシュレーア。


「チンタラしているあなたが悪いのですよ。淑女協定を結んでいたわけで無し、自分の不手際の責任をわたしに負わせるのはやめていただきたい」


「こ、この……!」


 罵ろうとするヴァレンティナだが、悪いのは自分であるということは理解している。結局、何の言葉も発さず口を一文字に結んだ。


「さて、どうします? 戦いますか? 諦めますか?」


 銃を構えたまま、真剣な顔つきでシュレーアは聞いた。彼女とて、ヴァレンティナは撃ちたくない。腐っても、くつわを並べて戦った仲だ。


「正直に言えば、私は貴方の野望などどうでもいい話です。皇国を侵すつもりがないのであれば、さっさとどこかへ消えて皇位でもなんでも勝手に求めていなさい」


 シュレーアの言葉は冷たかった。ヴァレンティナは凍ったような表情で、彼女と輝星と交互に見つめる。


「……しかし、わたしは貴方のことはライバルとしてそれなりに尊敬しています。輝星さんさえ頷くのであれば、我々とともに来るのも良い。どうします?」


「……」


 驚いた様子で、ヴァレンティナは目を見開く。


「……ここまでやったのにか? わたしは」


「……うん」


 輝星はしばし考えて、静かに頷いた。この件を穏当に終わらせるには、それしかないと思ったからだ。彼女のことは決して嫌いではないし、破滅してほしいとも思わない。暴走してしまったと言っても、まだ引き返すことは可能だ。

 できれば、ヴァレンティナと仲直りしてほしいという気分もある。彼女はああ見えて、妹のことはそれなり以上に大切にしているようなのだ。喧嘩別れして終わるというのは、あまりにも悲しすぎる。


「皇帝の座か、輝星か。好きな方を選びなさい」


「……」


 しばらく黙り込んでいたヴァレンティナだが、その目尻にジワリと涙が浮かんだ。涙はどんどんとその量を増し、やがて号泣と言っていい様子になる。


「……皇帝に慣れると……思ったのになあ……偉くなれば、もう誰にもミソっかすとあざ笑われることもないと思ったのに……なあ……」


 涙をあふれさせながら、彼女は独白する。そして、ちらりといまだ気絶したままの姉の方に視線を向けた。彼女もまた、敵の側から味方になった女だ。

 結局、ヴァレンティナは姉に倣うことにした。そっと膝を床につける、頭を深く下げる。土下座の姿勢だ。


「わたしが……間違っていました。許してください……」


 ニヤリと笑い、シュレーアは輝星の方へ視線を向けた。彼は仕方ないな、と言うように笑い返し、頷く。


「わかった、許すよ」


 この言葉をもって、皇国と帝国における一切の戦争行為は終結することになった。

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