世界を滅びへ導く魔物を召喚してしまった男の話

かみたか さち

 

「いわゆる奇跡だったのです」

 語る神官の声は、か細い蝋燭の光によって生み出された部屋の暗がりに吸い込まれていった。向き合って立つ若者との間にわだかまる光を反射させ、落ち窪んだ神官の目は、落ち着きなく辺りを窺い続けていた。

 若者は無言で、先を促した。

「異界の門を開くのに、絶好の条件が揃っておりました。ただ、召喚魔術を命じられた私の決意だけが、欠けておったのです」

「決意、とは?」

 若者の問いに、神官は口ごもった。おどおどと周囲の闇を見回し、さらに声を低くする。

「この国の行く末を、異界の力に頼っていいものかどうか。禁断の術を使ってまで、この国を、王家を存続させるべきなのか。その迷いが、あれを招いてしまったのです」

 明言されないそのものを、若者も知っていた。数年前、異界から召喚された獣のことだ。

 両腕に抱えられる大きさで、長くはない柔らかな毛並みに覆われたしなやかな身体に、長い尾。丸い頭部に三角の耳があり、短いが鋭い爪と牙を持つそれは、愛らしい鳴き声からナーオと呼ばれている。

 魔法陣に現れたナーオは、腹に子を孕んでいた。間もなく生まれた子ナーオは、たちまち王族の心を奪った。

 近隣諸国と戦争に明け暮れていた王も、ナーオの魅力に取り憑かれた。すぐさま敵対国と停戦協定を結び、軍を解体し、軍資金を全て繁殖にあてた。

 そのため、現在国内に生息するナーオは百頭近くに増え、特別な働きへの褒美として与えられる以外は、王宮内に建てられた貴賓館で管理されていた。

「お陰で争いがなくなったのです。良いことではありませんか」

 若者が首をかしげると、神官は激しく頭を振った。

「何をおっしゃる。戦いどころか、王族は政まで辞めてしまった。治安は悪くなり、民は飢えに苦しんでいる。かくいう貴方も、軍が解体されて流れの用心棒となられたのであろう」

 息を荒げる神官に、若者は表情を変えなかったが、無骨な手を腰に帯びた剣の柄に載せた。経歴は、仲介したギルドの者に聞いたのだろう。

 転職を余儀なくされた若者は、腕っ節の良さと実直さで、すぐに仕事にありつけた。だが、国の荒廃ぶりも肌身に感じていた。

「分かりました。それで、この度、私を雇ったのは如何なる理由でしょうか」

 丁寧に問えば、神官は取り乱したことを詫び、震える手で燭台を持ち上げた。

「あれを滅ぼす薬が、先日完成しました。新たな子が生まれなくなる薬です」

 手探りで案内された地下室で、若者はひと抱えもある大きな壺を示された。

「これです。これを、飼育員になりすまして餌に混ぜて欲しいのです。私の顔は王宮の者に知られていますが、貴方なら怪しまれませんし、何かあっても切り抜けることができるでしょう」

「なるほど」

 頷くや否や、若者は剣を抜いた。目を見開いた神官の額が、パックリと割れた。

「な、なにを」

 わなわなと震える彼の目の前で、翻った刃が壺を叩き割る。生臭い液体がドロドロと床に広がった。

 なにやら喚く神官を、若者は静かに見下ろした。

「貴方からの依頼より先に、貴方と薬の始末を命じられておりましてね。報酬も受け取ってあるのです」

 若者の肩に、いつのまにかナーオが載っていた。若者が太い指で眉間を掻いてやると、ゴロゴロと喉を鳴らし、頬に擦り寄る。

「このナーオと引き換えに王宮を潰してくれる国は、周辺にいくらでもあります。王家の腐敗ぶりには、飽き飽きしていたのでね」

「おのれ、悪魔に魂を売っておったか」

 腰へ掴みかかろうとする神官を脚で払い、仰向けになった胸へ切っ先を定める。尚も罵詈雑言を喚き散らす神官へ、若者は爽やかに微笑んだ。

「ああ、いいですね、貴方の暴言。この国への未練も吹き飛びますよ。そのまま、どうか許さないでください」



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世界を滅びへ導く魔物を召喚してしまった男の話 かみたか さち @kamitakasachi

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