第4話
▼鴨川四条の河原にある連れ込み宿
【場面は転換して、冬の寒風吹きすさぶ京の鴨川の河原です。迫る年の瀬に忙しないのは、河原より離れた、町人か、お武家様に限ったお話。ここにたむろする連中の顔つきは、なんとも胡散臭いもので、年の瀬だろうがはつ春だろうが、やることに変わりはないと言わんばかりに一時の享楽に華を咲かせております。夜を更かしての色事に、明くる朝寝は正午近くまで、目覚めたら目覚めたで悪い輩と悪事にふける。地も汚く、嫌な臭いもするここで、見るからに放埓な四人組が眠たい目をこすってしゃべりだすことには】
お麗 「ふう、ゆうべはすごかったねえ」
非人の新左「じゅうぶん寝たかよ?」
お麗 「おかげさんで疲れてぐっすり」
悪刺青の男「お前さんの技にはこっちも久しぶりにやられちまった」
女 「お前さんもね」
非人の新左「へへへ」
お麗 「あんたたち、何を言ってんのさ」
悪刺青の男「新左、すまねぇな。ゆうべは床にまぜてもらっちまって」
非人の新左「へっ、俺は別に。礼なら、お麗にお礼を言いなよ」
お麗 「あん?ゆうべは驚いたけどね。始めりゃあっという間の夢心地」
悪刺青の男「おかげで今日も、付きがまわってくるにちげぇねぇ。昼からやってる帳場にひとっ走り、行ってくるからよ」
女 「あたしは市場に帰るよ」
悪刺青の男「好きにしろい」
女 「じゃあね」
お麗 「連れ込み宿で、ゆっくりも何も、だよねぇ」
非人の新左「お、帳場か、いいね。俺も行きてえ」
お麗 「あんたは残ってよ。まだまだ、まだまだ足りないんだからね」
非人の新左「はは、だってよ。聞いたかよ、もてちまって、行かせてくれねぇ」
悪刺青の男「うぬぼれもほどほどにだ」
非人の新左「うるせえやい」
お麗 「うぬぼれたっていいんだよ。さあさあ」
【乱れた寝床が朝に生んだ、女二人と男二人。女の一人は眠い目こすって市場の仕事に帰ります。今さら何の仕事があるものか。男の一人は昼から遊びに。も一人の男も、やっぱり遊び足りない。けれども本当に欲深なのは誰でありましょう。お麗をかわいがる、女手一つの母が知るわけもなく、もちろん亡き父知る由もない。子をこうさせてしまうのは、何が悪さをするものか。ちょうどこの時、四条大橋を通りかかる浮かれ騒ぎ】
四条大橋を騒いで通る民衆
「ええじゃないか、ええじゃないか」
悪刺青の男「うるせえ、うるせえ、どけ、おら、うるせえ、おう?」
非人の新左「橋の上のあいつ見てみろ、やってるやってる。お、喧嘩か、喧嘩か?」
お麗 「あんな遠くからでも声が聞こえるのかい?」
非人の新左「聞こえるよ。ああ、畜生め、喧嘩全然買われねぇの」
お麗 「あはは。でも何だい、ありゃ?」
非人の新左「あの大声が聞こえなかったのか。ええじゃないか踊りだ、うわ、こっちに来やがった」
お麗 「見に行く?」
非人の新左「誰が行くかよ。あんな馬鹿騒ぎ」
お麗 「じゃあどうすると?さあ」
非人の新左「床か?」
お麗 「んふふ」
非人の新左「ふあ、眠てえよ」
お麗 「もう、いけず」
非人の新左「ったく、よっこらしょっと」
お麗 「きゃあ」
【昼過ぎの汚い床に戻るのは、これもまた汚い男女。当人たちは心底楽しそうで、戦も何も今この時にないかのような遊びぶり。日夜、血と汗流すお侍様もかわいそう。こちらはというと、くんずほぐれつ、これもこれで戦は戦か。男女の時はあっというまに流れて、鴉も寝不足、まなこ爛々】
非人の新左「ふー、もう勘弁してくれ。よかった、よかった。勘弁だ」
お麗 「まったく、だらしのないね。もう終わりかい、さ、もう一回」
非人の新左「いくら非人手下とて、たったひとつの命あ惜しい」
お麗 「もう元気もないじゃないか。しかたない。それじゃ、あたしも休むとするよ」
非人の新左「そうしろ、そうしろ。それでも足りなきゃ、長州のお侍にもすがりつけ」
お麗 「また言うのかい。あれはただの金づるだよ。何度言ったらわかるのさ」
非人の新左「無尽蔵のお前の、遊び相手か?」
お麗 「じゃれあいはするが、それだって、あんたの為でもあるんだよ」
非人の新左「金づるのおこぼれにあずかってら」
お麗 「そうだよ、そうだよ。毛利も、近頃じゃ勝ち戦に儲け戦の立て続けで、景気がいいんだよ。離しちゃらんないよ」
非人の新左「その長州侍とだって、どうせ嘘から出た誠じゃねぇのか」
お麗 「なんだね、さっきから繰り返し繰り返し。違うと言ってるだろうに」
非人の新左「嘘ばかりの泡沫だ。信じられるかよ」
お麗 「どうしろってゆうんだい?」
非人の新左「ふん、そうだ、あいつの悪の字の刺青じゃねぇが、何かしるしを入れられるか?」
お麗 「この肌にかい?そんなの」
非人の新左「ほらよ、正体あらわしやがる」
お麗 「違うよ、そんなの入れたら、他に見せられやしなくなるじゃないか」
非人の新左「いいじゃあねぇか。他の男と肌合わせたいのか?」
お麗 「また、そういうことを言う。みっともないね。男の嫉妬は」
非人の新左「言いやがった。誰が女々しい野郎だって?」
お麗 「ああ、ああ、ああ、長々、ねちねちと」
非人の新左「ふざけんな」
お麗 「そんな血相変えて、怒らないでおくれよ。おっかないね。気が昂じてるのかい?」
非人の新左「ふん、そうかもしれねぇな。てめぇに搦め取られたようなもんだ」
お麗 「そこまで好いてくれるなんて、うれしいよぉ。怒った顔なんて似合わないさ」
非人の新左「ふん」
【言い争いの途中でも、ぴたと吸い付く女の肌の湿った温さが目くるめく実感を伴います。また吸う口の柔和なこと】
お麗 「あたしの命は、一人だけ」
非人の新左「それはもう、信じるしかあるめぇ」
お麗 「ほら元気になってきた。じゃあ、もっかい」
非人の新左「おうおう、おめぇを一人で占めるためには、次は遠流ひいては死罪だろうが、構いやしねぇ」
お麗 「本気?うれしくなっちゃうね。その気なら、もとより恨まれ者の長州のお侍だ。いくらでも隠れ方はあるだろうよ」
非人の新左「こんな時にけしかけやがって。真に悪い女狐だ」
お麗 「冗談、冗談。本気にしちゃ嫌だよ。あっ、踊りがもうすぐそこじゃないかい?声音が一段とうるさくて。こんなに近くに人がいちゃ、さすがのあたしもできやしないよ」
非人の新左「ちっ、いい時に。しょうがねぇ、見に行くか?」
お麗 「そうしましょ、そうしましょ」
【諸肌を脱いでいたお麗が、上体を起こして連れ込み宿の外をうかがいます。雪の肌の背中を前に、手持無沙汰の非人の新左。お麗が後ろを向いたその瞬間から、退屈そうに虚空を眺めております。そのまま人々の声と鴨川の音を聞いているんだか聞いていないんだか、お麗の背中に浮かぶ骨の一点を見つめて寝転んでいました。外では騒がしい踊りの音が橋のたもとに至った模様】
四条大橋のたもとにすだく民衆
「ええじゃないか、ええじゃないか」
【新左、やおら起き上がり、背にはり付く古い毛氈もそのままに、お麗の白い背中に武者ぶり付きます。驚くお麗を組み敷いたところで、ちょうど、床のわきに置いていた短刀の木鞘が手に当たります。すぐさま夢見心地に受け入れるお麗の喘ぎをよそに、女の耳の横で新左は短刀を無表情で見つめます。二人の冷たい体が温かく熱くなってゆきます。しかし新左の冷たい目に元の輝きは戻らない。耳には連れ込み宿の外のうるさい歌声が】
四条大橋のたもとにすだく民衆
「ええじゃないか、ええじゃないか。色恋さだめて下克上、非人が志士を騙して殺めて、ええじゃないか、ええじゃないか」
了
【落語台本】ええじゃないか 紀瀬川 沙 @Kisegawa
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