第3話

▼堀川派の或る刀工の住まい


【ここは、この山城国で長らく刀鍛冶の大きな派閥をなしていた堀川派の、と或る刀工の住まい。その主は、もともとは伏見の造り酒屋の出でしたが、一転して家を飛び出し、堀川派の刀工に弟子入り、昨今では大名相手とまでは言わないまでも、在京の旗本から商家の大家まで、中小さまざまな相手に刀を打ち、現代の名工としてもっぱらの噂でした。ただし、その主もすでに二年前、四十路を前に物故しており、継ぐ子もおらで、妻と一人娘が残って今に至るという現状。家業は継続しており一番弟子、というよりも生前唯一の弟子が取り仕切っているとはいえ、いよいよ傾きが外からもあからさまになってきたようで】


弟子    「いやはや、大福帳とにらめっこをいくらしても、ほとほと困り果てました」

刀工の後家 「お前、商いがまずいのかえ?どうなっているのか?」

弟子    「奥方様、はい、私も刀は打てますが、大福帳のほうは、なんと申し上げたらよいか」

刀工の後家 「何がどうまずい?なんとかならんかえ?」

弟子    「ここ数か月、伏見の奉行所のほうへの売掛に大きく損を出してございます。このままでは、鍛冶屋の操業もまわってゆかない見込み」

弟子    「なんと。どうすればよい?何か手立ては?そうじゃ、土佐や肥前のお侍はどうじゃ?なにかと要り様ではないか?」

弟子    「ううむ、刀を取りにくる問屋には言ってみますが」

刀工の後家 「頼むぞう。あの人の仇の長州者じゃなければ、この期に及んで選びはせぬ」

弟子    「先代の時からの付き合い以外、なかなか新たには拓けずといったことは、問屋も問屋で苦しんでいるようなので、あまり期待はできないかと」

刀工の後家 「うちが打った刀をどこに卸すか、問屋だけがなんで専決できようか」

弟子    「ごもっともですが」

刀工の後家 「それ、奉行所に多く入れていたから、あの人があんなことになったのではないか」

弟子    「・・・・」

刀工の後家 「ああ、いやだ。こんなに苦しむなら、いっそ死んでしまいたいわ」

弟子    「そんな。それでは先代も悲しみましょう。奥方様とお麗様には、申し訳ありませんがより質素倹約に努めてもらわなければ」

刀工の後家 「もとより富貴の身にあらず。そんなものは簡単なことじゃ。でも口惜しさが去らぬ。伏見のお上様のありさまは?」

弟子    「いけません。つい先月も諸藩のお侍に取り囲まれ、威圧され、往時の勢いはないようで。それに応じてもちろん金子のほうもめっきり」

刀工の後家 「何とか再度掛け合えば?どうじゃ?」

弟子    「ご勘弁ください。日夜、敵味方ともども荒くれたお侍が目を光らせているなか、それこそ斬られかねません。先代のよう、あ、これは申し訳ございません」

刀工の後家 「なんてことを。ああ、口惜しい。あの人がいてくれたら」

弟子    「いやあ、そのようなことを」

刀工の後家 「ご健在であれば今頃、こんな思いもすることもなかった」

弟子    「・・・・」

刀工の後家 「京洛の安寧を脅かすえびすに味方する不届き者だ、なんて。不逞浪士から浴びたいわれなき罪。いまだに冤も雪げず。家は傾くばかり。ああ」

弟子    「お麗様が婿殿を取られるまでと、私がここ数年来、先代の代わりをと頑張ってきましたが、やはり先代の偉大さ、私ではこの世の中の移り変わりに全然しがみつくこともあたわず」

刀工の後家 「致し方なしやも。もともと譜代の旗本様、御家人様に懇意にして頂いていた家業だわいな。今は、力も宝も、諸国の大大名のもの」

弟子    「小声で小声で。奥方様、そこから先、あまり。くれぐれもお気を付けくださいませ」

刀工の後家 「はっ。なんと。こんなことも言ってはいけぬのかえ?」

弟子    「身に覚えもない天下騒擾の罪を与えられた先代も悲しがりましょう」

刀工の後家 「ああ、口惜しき」

弟子    「察するにあまりあり」

刀工の後家 「・・・・(すすり泣き)」

弟子    「・・・・それほどであれば、家伝のあの小太刀を売るというのは?」

刀工の後家 「あの来国時の?あれは貧しても売るなという定めをこれまで守ってこれた。そのご先祖様に面目が」

弟子    「今のこの窮状をご覧になれば、むしろご海容されるのでは」

刀工の後家 「そうかえ」

弟子    「実は、以前より売ってくれ売ってくれという古物に確かな筋もございます。今まで申し上げてきませんでしたが、富貴のお坊さまゆえご心配もな」

刀工の後家 「もうよい」


【身のこなしも慎重になって再度帳簿に何かをつけ始める弟子と、浪士の押し込みの末の斬殺の憂き目にあった先代を思い出し悲しみに暮れる奥方。ここにも来るべき御維新とともに没落をたどる家がひとつ。そんな寒き斜陽をよそに、通りのどこからか聞こえてくる、人々の陽気なお祭り騒ぎ。ええじゃないか、ええじゃないか、と歌う者に叫ぶ者、しかし当人たちも何がよいのか分からない】


遠くの辻から聞こえる騒ぎ声

      「ええじゃないか、ええじゃないか」

弟子    「またあいつらか。人の家のこともお構いなしに」

刀工の後家 「・・・・(すすり泣き)」

弟子    「奥方様、今打っている一振りは、自衛にと烏丸の大店が買い取ることになっております。これができれば、目下しのぐことはできましょう」


【そこへ帰ってくる刀工の一人娘。貧しきなかにも底抜けの明るさが声音からもあふれて聞こえます】


一人娘・お麗「お母さん、お母さん、きた、きた。ええじゃないか踊りだよ」

刀工の後家 「(涙をごまかして)あら、お帰り、お麗。あれには近づいちゃいけません」

一人娘・お麗「なんで?楽しそうなのに」

弟子    「ははは。いけませんよ。奥方様、それでは、私はこれで。裏の房におりますので」

一人娘・お麗「お仕事に精が出ますね。お疲れさま。お母さん、どうしたの、少し元気がないようだわ」

刀工の後家 「そんなこと。お麗、お前さんはいつも明るくて、こっちも助かってしまうよ」

一人娘・お麗「なによ、急に。それより、ねえ、聞いて、さっきの話の続き。さっきね、ここから一乗寺のほうへ二つほど角をいったところにね、一心不乱に騒ぐ大勢の人たちがいたの。噂には聞いていたけど、初めて見た」

刀工の後家 「そうかい。近づかないことだよ」

一人娘・お麗「そんな危ないようなものじゃなかったわ」

刀工の後家 「いいから。にしても、こんな時間までどこに行っていたんだい、お前さんは?あんまり遅くまで遠くにいるもんじゃないよ。物騒な世の中なんだから」

一人娘・お麗「心配しなくても大丈夫。なにせ、守ってくれるお人もいるんだからね」

刀工の後家 「えっ、それこそ初めて聞いた。いったいどこの人だえ?」

一人娘・お麗「それが聞いて驚かないで。今を時めく長州のお侍さまなの。暴れる水戸者を討ったこともあるんですって」

刀工の後家 「水戸・・・」

一人娘・お麗「きっと、お父さんの仇よ。悪い浪士をやっつけてくれたのよ」

刀工の後家 「そんなこと、あるものですか」

一人娘・お麗「それに、ああ、こんなこと頼みにしてはいけないのだけど、とても羽振りもいいのよ」

刀工の後家 「そう・・・・」

一人娘・お麗「きっと、私たちを助けてくださるわ。ね、いいでしょう?」

刀工の後家 「・・・・ええ、そうね」

一人娘・お麗「どうしたの?喜んでくれないの?」

刀工の後家 「はは、そうね」


【貧すれば鈍すると古諺に言いましたか。来国時の小太刀も空っぽの大蔵にはいられそうもないようで。後家にとって、一人娘にとっての長州者と水戸者の違いも何かと面倒なことになりそうで。ただ、それはまた別のお話、となる前に二人の耳をつんざく、真近くに至る大音声】


すぐそばの辻角で轟く割れ鐘の大合唱

      「ええじゃないか、ええじゃないか。家の宝は時それぞれ、山師に売っても、仇に売っても、ええじゃないか、ええじゃないか」


-第4話へつづく-

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