第3話
四十年前、父と母は妹を捨てた。
障碍があったから。
そうしておいて、すぐに弟を産んだ。
弟は健康で可愛くて、その可愛さで花ちゃんのことを忘れそうになる自分が許せなかった。長女の私、一人目の弟、妹、二人目の弟という二男二女で家族旅行すると、いつも周囲の人に「男女バランスよく産まれて最高ですね」と言われた。つらかった。もう一人、妹がいると言えなくて。私が名付けたのに。
弟たちは花ちゃんのことを、ほとんど認識していない。
私へも母から「捨てたんじゃない、預けたのよ」と説明され続けた。
それは嘘ではなかったし、花ちゃんに再会したのは私が高校1年生の夏、花ちゃんが5歳になってから。
それは九州旅行の、ついでだった。
家族で九州を一周する、ほんのついで。
預けられている施設へ面会に行って、ほんの5分ほど顔を見たら両親は私たちを連れて、その場を去ろうとした。それまでにも両親は2回だけ、花ちゃんの顔を見に来ていたらしい。私は許せなくて「花ちゃんといっしょにいる! 遊びにいかない!」と叫んだ。両親は困って私を説得しようとしたけれど、父が諦めて近所のビジネスホテルを私一人分だけ予約して私の食事代をくれながら「三日後、迎えに来る。それまで好きにしろ」と言った。
だから、ずっと三日間、私は花ちゃんのそばにいた。
とても可愛く感じた。
けれど、もう5歳なのに言葉は話せない。
うまく立てない。
施設の人や看護師さんとも話した。
やっぱり花ちゃんは治療を受けていて治るわけじゃなく、これからも死ぬまで私たちと離れて暮らす予定だと知った。
三日後、父が戻ってくるか心配だった。
鹿児島へ遊びにいって桜島を回ってくる予定だから、もしかして山が噴火して家族みんな天罰で死んでしまって、私と花ちゃんだけが残されるんじゃないか、そんな夢をビジネスホテルで見て、高校生だったのにオネショしていた。
けれど、父たちは元気そうに戻ってきた。
私は決意した。
無責任な父たちに代わって、花ちゃんと暮らそう。そのために勉強して自立する、と。
医師になろうと頑張って。
でも授業料が高すぎる私立医大しか合格圏内に入らなくて。
医学部看護科に入った。
助産師の資格も取った。
大学で出会った男性と結婚した。
その人も弟が障碍者で在宅療養していて、その縁で付き合うようになり、彼は医師になったから周囲の女子に羨ましがられたけれど、そういう視線で男を見ていた看護学生たちは医学生に遊ばれていた。遊ばれていると、わかっていて妊娠しようとするから、とても血生臭いことも起きるし、男も女も自分のことしか考えてない。
そして、私も子供ができて、花ちゃんと暮らすのが無理だと、自分の領域のことを守っていくようになった。
夫の弟も在宅療養といっても、義父も医師で経営する病院に三ヶ月入院させては一ヶ月だけ家で看る。その繰り返しで半分は金づる。在宅でも多めに雇った看護師に看てもらっているから、こんな療養は一般家庭にはできない。もしも私が頼めば、花ちゃんを熊本から引き取って婚家と病院で看てくれたかもしれないけれど、そうしたい環境ではなかった。
そして去年、父が死んだ。
ずっと許せなかった父が棺に入っているのを見ると、泣いてやるもんか、と想っていたのに、泣けて泣けて、そして謝った。
お父さんなりに家族を守ってくれたのに、それを認められなかった。
医療現場を経験した今ならわかる。もしも、花ちゃんと暮らしていたら私たちは疲れきって、私は高卒だったかもしれない。母も短命になったかもしれない。
父のずる賢い判断がなければ、今の生活はなかった。
死んでから、謝っても聞こえない。
だから余計に悲しかった。
「伊智子、電話が鳴ってた」
夫が教えてくれて履歴を見ると、熊本の社会福祉士からだった。折り返すと花ちゃんが心疾患の悪化で亡くなったと言われた。
「……花ちゃん……」
必ず毎年、面会に行こうと決意していたのに二年に一回、三年に一回と遠のき、それでも父が亡くなったことを去年、花ちゃんにも告げに行ったから、十ヶ月前が顔を見た最期。
「あなた……花ちゃんの遺体……葬儀、どうしよう?」
「伊智子の実家に連れて帰るか、熊本で火葬か………遺体の搬送、空路だと30万円くらいだったか、たしか、こういう場合は現地と葬儀地の葬儀会社が連携してくれるはずだが……それより商売をしているご実家で葬儀するのを、弥助くんたちは、どう想うか、だ」
「そうね、電話してみるわ」
弟二人は相続で争いながらも、いっしょに寿司店を経営している。二人の答えは予想通りだった。私は夫と熊本へ飛び、花ちゃんの火葬に立ち会った。
棺に入った花ちゃんを見て、泣いたり謝ったりするのは卑怯な気がして、私は無言だった。
「…………」
「…………」
夫も無言で火葬時間を待ち、骨壺に入った花ちゃんを抱いた私と夫は熊本城が見えるホテルにチェックインした。
「伊智子、夕食に行こう」
「そうね」
骨壺を持ったままホテルレストランに入るわけにはいかないので、花ちゃんには悪いけれど部屋で待っていてもらう。和食のコースを食べ始めると馬刺しが出てきて思い出した。
「昔ね、お父さんが熊本で馬刺しを買ったのに、ポーランド産だったって悔しそうに言っていたわ」
「そうか。ははは」
一笑に付した夫が言い加える。
「珍しいな、伊智子がお義父さんのことを、そんな笑顔で言うなんて」
「いろいろあったけど、お父さんなりに頑張ってくれたから。でも…」
「でも?」
「弟たちが争わないよう跡継ぎを遺書に残してほしかったかな、って。人間って、どこまでも、どこまでも……自分勝手ね、私も含めて」
そう言って呑んだ人吉という焼酎が美味しくて、私は久しぶりに酔った。
終わり
正しい赤ちゃんの捨て方 鷹月のり子 @hinatutakao
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