真冬の夜の夢

白鳥かおる

第1話



 部活で遅くなった。

 冬は暮れるのが早い。

「ただいまぁ」

 玄関の明かりは点いていたが、部屋の中は真っ暗だった。

 誰もいないようだ。

 お父さんはともかく、お母さんや弟がいないのはおかしかった。

(まだ帰ってないのかな? )

 リビングの明かりを点けるとテーブルの上にケーキ箱が置いてあった。

(えっ、なになに)

 何か紙切れが挟んであったが、そんなもの今はどうでもよかった。

 わたしはケーキ箱のシールを優しく剥がすと、そっと中を覗き込んだ。

(あるある!)

 抹茶ムースケーキにレモンチーズケーキ、それに——それにモンブランケーキ!!

 わたしの大好きなモンブラン!! しかも二つも!!

(クゥ——!! たまらんわぁ!)

 ケーキは全部で五つ。

(四人家族なのに何で五つ? 貰い物かな?)

 そして五つ目のイチゴショートケーキをわたしは見下した。

 何の変哲もないイチゴショートがわたしはあまり好きではなかった。

 不味まずいとは言わない。何の芸もなくスポンジにクリームを挟んで、輸入品のイチゴを乗せただけのケーキを、数多あまたある見目麗みめうるわしきケーキの中から一つ選ぶなど、絶対有り得ないからだ。

 中学二年の弟・サトシもモンブランが大好きだから、一つはアイツの分として、抹茶ムースはたぶんお父さんで、レモンチーズはお母さんだろう。

 当然もう一つのモンブランはわたしのものだ。

(でも……このイチゴショート誰が食べるのかな?)

 自分の取り分を確保した上で、前座としてイチゴショートが付いて来るのなら、大歓迎だ。

 わたしがケーキを二個食べる事も念頭に置いて、取り敢えずシャワーを浴びた。


 ケーキが夕食後のデザートなのは、我が家のおきてだから、わたしは取り敢えず二階にある自分の部屋のベッドに横たわった。

 間もなく、誰かの気配を感じてわたしは階下に降りた。

 サトシが帰って、こちらに背を向けてテレビゲームをしていた。

(おやっ?)

 テーブルに目をやると、ケーキ箱が開いていた。

(アイツ、先に食べやがったな。お母さんに怒られるよ)

 まあ、一つはサトシの取り分だし……。

 わたしはケーキ箱を覗き込んだ。

(あれ………?!)

 ケーキの数が三つになっていた。

 抹茶ムースにレモンチーズ………イチゴショート……!!

(えっ?! モンブランがない!! )

 二つあった筈のモンブランが消えているではないか。

 抹茶ムースがお父さんで、レモンチーズがお母さんだとしたら……!!

 わたしは輸入品の小さなイチゴの乗った、何の変哲もないケーキを見つめた。

 頭の中で沸々ふつふつと燃え上がるほせらをわたしは自覚した。

(イチゴショート……? ハァ?  これがわたしの分? )

 わたしの体は震えだした。にわかに殺意が込み上げてきた。

「サ~ト~シィ……!」

「何だよ、ユカ姉」

 わたしはゾンビのような動きで背後からサトシに迫った。

「あんたよねぇ……わたしのモンブラン食べたの」

「別にいいじゃん。ユカ姉にはちゃんとイチゴショート……」

「殺す……!」

「うわっ! ユカ姉、怖ッ! 」

 振り返るサトシを捕まえようとしたが、意外と機微な動きを見せ、ヤツはわたしの横をすり抜けて二階に駆け上がった。


「逃げても無駄よ!」

(おバカ、二階に逃げたら袋のネズミよ)

 何を思ったかサトシはベランダへ駆けあがった。

「もう逃げられないわよ! 今だったら、アスリートキック一発で許してあげるよ」

「冗談じゃない! 五十メートル六・八秒のユカ姉のキック食らったら、オレ死んじゃうよぉ!」

「つべこべ言わないの! 蹴られなさい!」

 わたしが回し蹴りを見せると、けようとしてサトシはベランダから飛び降りた。

(自ら死を選んだか?!)

 と思った瞬間サトシの足の裏がジェット噴射して、空中に舞い上がっていった。

(ハァ———?! なんじゃそりゃ?)

 だけどこのままでは逃げられてしまう。

 わたしも勢いよくベランダの手すりを蹴り、中空に飛び出した。

「きゃー!」

 一瞬垂直落下しそうになったが、わたしもまた勢いよく上昇していた。

 見ると、背中から白く大きな翼が生えていた。

「ユカ姉、ズルいぞ! 悪魔のくせに天使のような白い翼を生やしちゃって!」

「悪魔とは何よ! もう許さないからね! 鉄腕アトムしているあんたにそんなこと言われたくないわよ! 観念してわたしに蹴られなさい!」

「イヤだね。うわぁ、殺されるぅ!」

 上空を逃げ惑うサトシを追いかけて、わたしも高く高く舞い上がって行った。

 

 眼下に街の明かりが広がっている。

 寒い筈の夜の冬空にいて、わたしは爽快感を覚えた。

 さっきの事は許してしまいそうになったが、大きく首を横に振った。

(いやいや、それとこれは別! 誤魔化されないからね)

 わたしは臨海地区の方に逃げるサトシを追いかけた。

「一発やらせろ!」

「ユカ姉! それ女子が言う言葉じゃないよ!」

「うるさい! 間違えた! 一発蹴らせろ!」

「イヤだぁ!」

 海上に差し掛かった時、サトシのジェット噴射がプスンプスンと変な音を立てて、減速し始めた。

 わたしとの距離は徐々に縮まって行った。

「サトシ―! 覚悟はいい?!」

「イヤだ! 捕まるもんか!」

 もう少しだ。わたしの手がサトシの足に触れようとした時、いきなり急降下した。

「ヘ―ンだ! 捕まんないよ!」

(あの野郎)

 わたしは掴み損ねた手を握りしめた。

「キックに加えて、パンチも追加ね!」

「イヤだよ!」

 降下するサトシをわたしも急降下で追いかけた。

 目の前に海面が迫った。

 先にサトシが水面に吸い込まれると、続いてわたしもダイブした。

 ドーンという音と、水泡に包まれて一瞬視界を失ったが、サトシはすぐに見つけられた。

 暗い海の中でサトシのジェット噴射だけが唯一光をともしていた。

「何処まで行くのよ!」

 喋れるはずはずのない海の中で言葉を発した。

「ユカ姉が追いかけるの止めてくれるまでだよ!」

「サトシが観念してキックを受けたら済むことじゃないの!」

「勝手なこと言うなよ! やっぱ、逃げる!」

 海底深くサトシは突き進んでいった。

 真っ暗な海は不気味だったけど、面白い形や顔の深海魚が出迎えてくれた。

 海の中の垂直の崖をサトシは落下して行く。

「サトシ―! 何処まで行くのよ!」

「知らな~い! ユカ姉が追跡止めるまでだよ」

「止めないって言ってるでしょ! 早くわたしのアスリートキックを食らいなさい!」

「イヤだ! 何処までも逃げてやる!」

「あんたねぇ、さっきからイヤだイヤだばっかり言ってないで、他に何か言えないの?」

「イヤだ!」

「ムカツク、もう!」

 日本海溝の最深部にそろそろ到達する頃だ。

 いつの間にか腕にはめていた水深計が一万メートルを超えていた。

「そろそろ最深部に付くよ。もうあんたには推進力はないでしょ? そろそろ観念なさいよ」

 するとサトシは振り返り不敵な笑みを浮かべた。

「ユカ姉、何でおれが海に潜ったか分かるか? 」

「何よ、その意味深な言い回しは!」

「一つはオーバーヒートしたおれの足の裏を冷却するため」

「もう一つは?」

 わたしが尋ねるとサトシはもう一度不敵な笑みを浮かべた。

「ユカ姉の重たい羽を濡らして、推進力を弱めるためさ。引っ掛かったね。アッカンベー!」

 今度はわたしの頭がオーバーヒートした。

「おのれ! 図ったな、サトシ!」

「ヘーンだ」

 最深部が見えると、サトシは逆に上昇して行った。

「待て、こら、サトシ!」

 わたしは上昇しようと焦ったが、思うように浮上できなかった。

 まんまと愚弟の策にはめられたと言うことか。

(くやしい―!)

 わたしの頭は増々オーバーヒートした。

 推進力が上がらないまでもわたしはサトシを追いかけて海中を上昇した。

 キラキラと光射す海面が見えた。

 夜が明けたようだ。

 サトシが先に海面を飛び出し、わたしがそれに続いた。

 少し引き離されていたはずなのに、サトシの足が目の前にあった。

 見ると、サトシのジェット噴射の勢いが小さくなっていた。

「うわぁ―! 燃料切れだ!」

「あんたは改造人間か! 観念なさい! ジエンドよ!」

「ユカ姉! 止めてぇ!」

 振り返るサトシの顔が恐怖に歪んでいた。

 わたしの右手がサトシの足を射程に捉えた。

「捕まえた!」

「イヤだぁ! 放せぇ!」

(このまま地面にたたき落としてやろうか)

 そう思った時、サトシのジェット噴射が再び勢いよく燃焼した。

 サトシの足の裏から放たれた炎は、わたしの翼に火を点けた。

「ちょっと! 翼に火が付いたじゃないの! ジェット噴射を止めなさい! 早くしないと三倍返しよ!」

「わ、分かったよ」

 サトシは素直にジェット噴射を停止させたが、わたしの羽の炎は消えなかった――いや、消えるどころか風にあおられて増々燃えていた。

 羽ばたきを止めたら止めたで落下風にあおられ、空中停止しようとホバリングしても煽るだけだった。

「炎が消えないよ!」

 言っているうちには羽が燃え尽き、わたしとサトシは共に落下した。

 サトシは懸命にジェット噴射しようとしたが、燃料がないからか勢いはなかった。

(何を燃料にしているのだろう?)

 落下しいるこの時にそれはどうでもいい。

「ユカ姉放せよ! ユカ姉がくっついていると、重くて飛べないんだよ!」

「うるさい! 姉ちゃんがどうなってもいいって言うの?」

「当たり前じゃないか! いなくなったらせいせいだよ」

「何だって! お姉ちゃんに何てこと言うのよ、ばかサトシ!」

「とにかく放せよ!」

 わたし達はどんどん落下していった。

 下を見ると街だと思っていた場所が、底の見えない暗闇だった。

「ユカ姉! 落ちる! うわあ!」

 声も出なかった。

(くぅぅ……)

 無限の彼方に吸い込まれるような感覚の中、わたしは身を固くして恐怖に耐えていた……。

 そしてわたしは地獄の底に到達した………。


「はぁ………」

 薄暗い場所だった。

 ドキドキしていた。

 電気の消えた自室のベッドで、わたしは目を覚ました。

(寝ていたんだわ……。夢だったのね)

「……ちょっと、待てよ……!!」

 ふと、わたしはある事を思い出してベットを飛び起きた。

(あれも夢なのかな)

 階段を駆け下りテーブルに目を向けると、ケーキ箱が置いてあった。

(夢じゃない!)

 リビングの電気は点いていたが、誰もいなかった。

 ケーキ―箱のシールはそのままだった。

 わたしはそっとシールを剥がして箱を開けた。

「あったぁ――!」

わたしは思わず声を上げていた。

 最初に覗いた通りレモンチーズと抹茶ムース。イチゴショート。

 そしてモンブランが二個……!!

 わたしはもう我慢しなかった。

 モンブランを手掴みするとそのままかぶり付いた。

(おいしい!!)

 夢のような至福の時だった。

 と、その時サトシが奥の部屋から姿を見せた。

「あっ、ユカ姉! 食べちゃってるよ」

(さとし、このヤロウ!)

 怒りは夢の続きの中にいた。

「フーンだ。あんたはイチゴショートよ。モンブランはわたしのモンだからね」

 そう言うと二つ目もサトシの目の前で食べてやった。

「おいしい!!」

 嫌がらせとばかり満面笑みを放出したわたしに、サトシがポツリと言った。

「それ、お隣の預かりものだよ」

(………?!)

「伝言を挟んであったよね。見なかったの?」

「えっ? エエエエエエエ?!」

 わたしは指で弾き飛ばした紙を拾い上げて書いてある文字を見た。


 ―― お隣さんの預かりものです ――


 わたしの頭は真っ白になった。

 サトシの背後から腕組みしたお母さんが現れ、その後ろにはトレンチコートのお父さんが、汚物でも見るような目をわたしに向けていた。

「うそ……うそよこれ」

 わたしはマロンクリームまみれになった頬を両手で叩いた。

「これは…夢よ。夢に違いない……ゆめだ。ゆめだ。ゆめだ」

 だけどサトシたちは、冷たい視線を向けるだけだった。


 お願い、誰か……

 真冬の夜の夢、と言ってよ!!

 





                     FIN










  

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