Epilogue
「お母さん、続きはあるの?」
四人兄妹の三女であるカメリアが、末の妹のポーチュラカと共に、きらきらとした瞳で自分を見つめている。
二人の頭を愛おしげ撫でると、わざとらしく腕を組んで悩んでいるようなそぶりを見せた。
「うーん、続きね、今は考え中。どんな二人は物語がいい?」
そう娘二人に聞いてみると、カメリアとポーチュラカは顔を見合わせて、うーんと自分の母親と同じように腕を組んで考え始める。一人で考えることが好きなカメリアと、元気で友達も多いポーチュラカは、一見正反対であるようでいて、本の趣味は本当によく合う。よく二人でお気に入りの本を読んでいるのを、自分と夫は微笑ましく見つめていた。
そのお気に入りの一つに、自分が書いた本が入っているのだから、これ以上なく嬉しかった。
先に華やぐ笑顔を見せたのはポーチュラカのほうだ。
「こんどはね、みんながしあわせになるハッピーエンドをかいてほしいな!だって、主人公の女の子がとってもかわいそうだもの。お互いを想いあっているのに引き裂かれているなんて、悲しくて耐えきれないわ!あとねあとね、あたしのすきなおとこのこも出してほしい!」
ポーチュラカの言葉に反論したのはカメリアだ。まだ14という歳であるのに、既に大人顔負けの冷静さを持っていて、母親である自分が感心させられてしまうほどだ。カメリアは想像力豊かで賢く、物語を考えるのが好きな子だ。将来は自分と同じ小説家になると言っていた時は、思わずぎゅっと抱きしめてしまったのは記憶に新しい。
「それって、ポーチュラカのわがままじゃない……。けど、ハッピーエンドにしてほしいのは、めずらしくいけんがいっちしているわね……」
というと、カメリアはこげ茶色の髪の先をを指で弄りつつも少し照れ臭そうにポーチュラカから目を背けた。ポーチュラカは「お姉ちゃんと気が合うなんて、あたしとっても嬉しいわ!」と向日葵のような笑顔を咲かせ、ふわふわの茶色の髪を揺らしながらカメリアに勢いよく抱き着いた。驚いたカメリアは足をもつれさせて、そのまま二人揃って転びそうになった。
あー、とわかりやすく大きな声で二人に聞かせる。
「もう、気を付けてね、怪我をしたら大変だよ」
その声に、ポーチュラカは「はーい!」と、反省しているのかいないのかわからないような明るい声を出した。
これは全く反省をしていないなー?と考えていると、部屋の向こうから全く別の声が飛んでくる。
「またカメリアと母さんを困らせて!カメリア、ポーチュラカ。そろそろ兄さんが帰ってくるから、ご飯の準備を手伝ってくれないかな?それにほら、執筆中の母さんを邪魔しないって言ったのはカメリアとポーチュラカでしょう?」
「あら、ソティスお兄ちゃん!そうだわ!今日はソティスお兄ちゃんたちの誕生日で、お客様がやってくる日でしょ?なら、思いっきり豪華にしないとね!お父さんも早めに帰ってきてくれるんでしょ?」
ポーチュラカの言葉に、ソティス、と呼ばれた少年は笑顔のままひきつらせる。
カメリアとポーチュラカの兄である彼は、心優しい性格をしていた。文武両道、その上整った顔立ちで、学校一番の人気者だとポーチュラカが自慢げに話していた。いろんな女の子からの告白が絶えずに、学校の友達からも嫉妬されているという噂話も聞いている。けれど、ソティスは今のところ恋人の気配はない。これもポーチュラカからの情報だ。ソティスは小さなころから双子の兄にべったりで、未だに兄離れが出来ていないのがほんの少しだけ心配だった。少しだけだが。
「確か、マレさんだったかしら。ソティス兄さんと同じクラスの……」
カメリアの言葉に、ポーチュラカが「そう!」と嬉しそうに話し出す。
「あたしも見たことあるんだけど、とっても綺麗な人でね。びっくりしちゃったわ!雪みたいなふわふわの真っ白髪に、サクラのお花みたいな綺麗な瞳をしているのよ。絵本から飛び出してきたみたいに可愛くて……我が兄ながら、本当に素敵でいい人を見つけたのね!ソティスお兄ちゃんも、素敵な人が見つかるといいのだけど……」
興奮冷めやらぬ様子で話すポーチュラカに、ソティスが今にも気を失いそうな表情でその言葉を聞いていた。当然ポーチュラカは気がついていない。自分の言葉が、まさかソティスを傷つけているなんて思っていないという顔をしていた。
カメリアがおろおろと焦り始めて、こちらへと顔を向ける。
ヘルプミー。そう目が訴えていた。
カメリアの意志を受け取り、「はいはーい!きいてきいて!」と全員に聞こえるような声で話す。
「今日はね~~!ご飯はわたしが作るよ。この頃はあなたたちに任せっきりだったしね!今日は全然かまってあげられなくてごめんね。今日はお母さん直伝の料理で、息子と息子の将来の奥さんをお出迎えしちゃうぞー!」
その言葉に、子供たち全員が嬉しそうな笑顔になった。
背伸びをして、椅子から立ち上がる。机の上には書きかけの原稿用紙が広がっていた。
正直まだ書き終わる気配はないし、担当の人にも怒られるかもしれないが、仕事よりも家族優先だ。
憤怒の表情で睨む架空の担当の人に心の中で全力で土下座した。
ルピナスは、四児の母親として生活しながら、小説家としても名を馳せる存在になっていた。
__あの後、あの日出会った男性に駅まで連れられて帰宅した。
列車の中でも、彼は何も言わずに、ただ隣に座って傍にいてくれた。
翌週、やっと重い腰あげて学校に行くと、彼が自分と同じクラスで友達と話しているの見た時は、その場で声が出るほどに驚いたものだ。
あの時の自分は、どれだけ周りが見えていなかったのだろうと苦笑してしまう。
休み時間、彼は自分の席に来て「勝手に抱きしめてごめん」と謝ってくれた。そこから、彼との交流が始まった。彼はとても誠実な人で、ルピナスは、彼と過ごしていくうちに仄かに想いを寄せるようになった。そうして二人で話していると時間は過ぎ去って、高校卒業の日、彼から告白された時は涙が止まらずにその場で泣きじゃくったものだ。本当に懐かしい、もう。20年も前の話なのに。あの時の気持ちは今も忘れられない。
そんな彼と結婚して、大好きな子供たちに囲まれて、念願の夢でもあった物書きにもなれて……忙しなく幸せな日々を送っている。
こうして子供たちとキッチンに向かい、一緒に料理を作る日がくるなんて思わなかった。
今日は少しだけ奮発して、サラムラ・デ・クラップを振舞うと決めていた。
テーブルに豪華な料理を並べている頃に、ピンポンという音が鳴る。ルピナスは、急いで玄関先まで向かい、玄関の戸を開けた。
そこには、ブルネットの髪を持つ親しみやすい顔立ちをした男性__すべてが終わったあの日に出会った彼が立っていた。
「おかえりなさい、アレック!もうご飯は出来てるよ」
そう笑いかけ、ルピナスはアレックを快く出迎えた。アレックは玄関の扉を閉めて、丁寧に靴を置いてから室内に入ると、ルピナスを軽く抱きしめた後に、とても愛おしそうに微笑んでくれた。
彼はIT企業に勤めている。
昔からプログラミングに興味があったというのもあり、学生時代はよく彼からプログラムの話を聞かされていた。ルピナスはプログラムについてはよくわからなかったけど、彼が心から楽しそうに話していると、わからなくてもいいと思ってしまう。きっとこういうものでいいのだろう。お互いにわからないものがあるし、わからなくてもいい。隣にいるだけで幸せなのだから。
そう、思えるようになっていた。
「今日はお祝いにケーキを買ってきたんだよ。グレアムさんとチェルさんところのケーキ屋さんだから、味はぜーーーったいに保証出来る!」
アレックは手にある袋を自慢げに見せてきた。袋には、花のロゴマークが描かれている。花が好きな主人と奥様が経営するケーキは、近所でも絶品と評判で、すぐに売り切れになってしまう。きっとアレックはとても長い時間並んだんだろう。ルピナスは、今日はアレックのお願いをなんでもきいてあげようと思った。
「あそこのケーキ屋さんとっても美味しいよね!ご主人も奥様もいい人だし、店員さん二人もとても親切にしてくれて……今度差し入れ持っていきたいなーって思うんだ。今度一緒に見に行こうよ」
「お、それいいね!今度の休日家族と一緒にでかけるついてに見てみようか。そう言えば、今日家にくるマレちゃんもご夫妻のケーキ屋さんで働いている店員さんたちの妹さんだっけ?もしかしたら、ビックリしちゃうかもな!姉弟二人が働いているケーキがテーブルにでてくるんだから」
アレックは、歯を見せて太陽のように笑う。
その笑顔に、ルピナスの心は温かくなる。
「主役の二人はまだ帰ってきてないかな?」
アレックの言葉に、ルピナスは答える。
「そうなんだよー。多分もうちょっとで帰ってくると思う。あ、連絡が来た。今家の通路を一緒にマレちゃんと歩いてるって!」
「じゃあ一緒に待とうか」とアレックが言うと、ルピナスは嬉しそうに頷いた。廊下の奥のダイニングには、子供たちが全員があと一人の家族を待っている。主役二人が来ない限り、このパーティーは始まらないのだ。
せっかくだから、遅れてきた分、いっぱいに盛大にお祝いしてやろう。
ふと、ルピナスは廊下につけられた窓を見た。
窓の向こうには、美しい満天の夜空が世界を彩っている。20年前と何も変わらない空景色に、ルピナスは感慨深いものを感じていた。
アレックが、ルピナスの様子を見て、ふわりと笑みをこぼす。
「先に戻っているよ」そう彼女に小さく告げて、アレックは子供たちの待つダイニングへと向かった。
天に輝く星を見る。
20年も経ったのだ。
青年が遠くに行ってしまったあの日から。
今でも、ルピナスはあの洋館で起きたことを鮮明に思い出せる。それこそ昨日のことのように。
洋館で起きた出来事は、紛れもなく悲劇そのものだった。もしもこの記憶を家族に話したら、子供たちも夫も、誰もが悲しい結末だと言うに違いない。よく頑張ったねと、言ってくれるかもしれない。けれども、あの家族は懸命に生きたのだと、ルピナスは思う。
もっと出来ることはあったかもしれない、間違えた選択をとったのかもしれない。
どちらにせよ、彼らは生きた。
ただただ一途に、純粋に、まっすぐに、自らの命を尽くしたのだと、今ならそう思う。
きっと、100年も生き続けて、最期に家族を救った青年も。
少女だったルピナスは、自分の胸に手を当てる。
今でも、聞こえている。
彼の優しい歌声が、今でも心に灯って、ルピナスの心臓を動かし続けている。
この歌が心にある限り、生き続けることが出来る。
十字に丸を組み合わせたよう形を持つ古ぼけたアクセサリーを、愛おしそうに握り締めてルピナスは微笑んだ。
おじさん、生きるよ。
ちゃんと生きて、わたしが思うままに、わたしだけの音を奏でるから。
ふと、玄関のチャイムが鳴った。
くる、とルピナスはそちらへと顔を向けて、足取り軽くその玄関を開ける。
玄関には、二人の男女が立っている。
ソティスと全く同じ顔をした少年と、白い髪を持った桜色の瞳の少女が、初々しく手を繋いでいた。
二人を見たルピナスは、溢れんばかりの笑顔を咲かせた。
「ようこそ、マレちゃん!我が家へようこそ!そして__」
「__おかえりなさい。ファレノ」
彼は、小さく微笑んだ。
「ただいま帰りました」
アトーンメントの歌声 にじの @nijino1025
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